傷つくだけで強くなれなかった。そんなわたしの声になってくれたひと。
心が弱っていて、しゃがみこみたくなるほど瞬間的におちこんでいた時。
ある人が教えてくれた。
何かに悩んでいて袋小路に入り込んでいる時は、
じぶんのことばっかりを考えているからだよって。
そう言われて、すこし恥ずかしくなっていたら。
俺もいつもそうだからって。
ほんとうにそうだった。じぶんのことばかりしか考えていなかった。
昨日もちょっとそんな感じだったんだけど。
人と比べていたんだと思う。
まばゆい才能を放つ誰かと。
そして1日前の新聞を読んでいたら、傷ついた人に言葉で手を差し伸べている人に再会した。
インタビュアーの木村俊介さんが、コロナ禍での飲食業界の現状について語っていらっしゃった記事だった。
淡々と、そして今まで通りのことを、やるだけだと答えてくれた飲食業界で働く彼らはその後にこう言葉を続けたという。
そう語る彼らの切実な思いを知ってほしいと、木村さんは語りながら、彼らは
と。
わたし自身も、今世界を取り巻いているこの病のただ中で、大好きだったカフェをひとつ失った。
(イメージ写真です)
買い物の後で、最後の日にそこの店長さんや
ウェイトレスのみなさんにお世話になった挨拶をしようと思っていたのだけれど、たどり着いた時には、早めの店閉じまいをされていて、そのままになってしまった。
さびしくなるから最後の挨拶はしなかった方がよかったかもしれないけれど、ちょっと悔やまれる。
木村さんは、個々のお店の厳しい現実を紹介しながら
長年彼らを取材してきた経験から、飲食業界で働く方々は
と、語る。
お酒であり、ケーキであり、パスタであり、
そういった嗜好品ってただそれだけじゃないですよ、って。
嗜好品に見合う金額を払ってペイするものペイされるものというだけではなくて。
そこを提供している人との信頼があるがゆえに
「そこで過ごす時間」をあえて訪れるものたちは持ちたいのだと。
そして木村さんの言葉に胸を突かれた。
「嗜好品って、慰めじゃないですか」。
そして彼は最後にこう結ぶ。
彼がインタビューした飲食業界の方達の寡黙さ、つまり「意見を言わない強さ」に寄り添う姿勢に尊敬と希望の念を抱いていると締めくくられていた。
わたしは何度もインタビュー記事というものを目にしているけれど。
木村俊介さんの言葉にそして傷ついた人へのまなざしに何度も胸が熱くなる。
自分が受けた傷のようにそれを受け止めながら誰かの話を信頼をもって聞くとは、まさにこういうことなんだと。
そして、
彼らの叫びの代わりに、木村俊介さんはいつも彼らの声になっているんだなと。
私事で恐縮ですが、わたしも木村俊介さんに救われたことのあるひとりです。
昔、ある場所で原稿を書いていた時、その原稿がわたしの存在をもてあそぶような言葉でそっくりそのまま改ざんされたことがあった。
その時に、相談に乗って頂いたのが木村俊介さんだった。
ただただ傷ついていたわたしに、言葉で寄り添ってくださって。
その言葉は、あなたに悪いことはなにひとつないのだから、傷がいちにちも早く癒されることを心から願っていますと。
そして。
なにか僕にできることはありますかと書いてくれた。
ひとつずつ彼は解決策を施してくれた。
トライ&エラーでいいから、ひとつずつやってみますと。
ほとんど木村さんがすみやかに処理してくれた。
そしてその犯人をぼくは断じて許さないと、強い口調で示してくれた。
あの時、わたしは誰が犯人かをつきとめることよりも木村さんが、わたしのできたばかりの傷のそばで、じぶんも悲しんでいらっしゃることに、とても励まされた。
そして、彼の言葉やふるまいは、わたしの恐怖を勇気に変えようとする力を贈ってくれたのだと今でも思う。
その後、インタビュアーになられたことを知って、
ほんとうに、対象となられている方への心の寄せ方にあの日の木村俊介さんの姿を、同じ地平線上に見るようなそんな想いがしていた。
誰かの言葉に耳を傾けながら、その言葉を偽ること飾ることなく届けられる人。
インタビューって、今のような時期にはとても大切で、
わたしたち読者も、そこに耳を傾ける時間が必要なような気がしている。
やさしさってほんとうにその裏側には強さが潜んでいる。
声高なもろい強さじゃなくて、土の中でも耐えられるような
そんな根っこの生えた強さだ。
届かないことは承知です。
その節は、木村俊介さんほんとうにありがとうございました。
昨日の記事を読ませて頂いてほんとうにそんな気持ちだけを伝えたくて今日は書いています。
しんぞうのありかをゆびで なぞってみても
こころには たどりつけない しらなかったよ
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