平和教育とトラウマについて考える
昨年、はだしのゲンが小学校の図書館で閲覧禁止になることや、教科書から削除されるというニュースを見かけました。「時代にあった表現でない」「刺激的すぎる」などの理由が挙げられていましたが、皆さんはどのようにお考えですか。
小中高と受けてきた平和教育の中で、何が印象に残るかは人それぞれだと思いますが、トラウマとして心に傷が残ってしまったことはありますか。
高校生の時に友人との会話で「ただ見せればいいってもんじゃないよね」と共感されるまで、平和教育のための授業で見た映像やアニメ、写真に大きくショックを受け、心的外傷としてフラッシュバックに苦しみながら、「知るべきこと」との向き合い方に大いに悩んだのは自分だけだと思っていました。
このnoteを開いてくださった方の中にも、少なからずそういったトラウマに悩まされた経験がある方もいらっしゃるかもしれません。本文では私がトラウマとなった内容を文章で記載することがございますが、写真などは掲載いたしません。少し長いですが、色々な人にご意見をいただけたら嬉しいです。
トラウマ意識を持ったままアウシュヴィッツを訪れた夏休み
私は現在チェコ共和国で交換留学をしており、隣国ポーランドのアウシュヴィッツを訪れることは、渡航前から決めていた留学中にしたいことの一つでした。
アウシュヴィッツについて詳しく知ったのは高校生の時、授業でドキュメンタリー映画『夜と霧』(1956年)を見た時でした。怖いシーンがあれば目を伏せて構わないと先生が言ったものの、予告がなければ目を伏せることもできず、結局ほとんどのシーンを直視したことを覚えています。
私はその映像を見て大変ショックを受けました。グロテスクだとか、トラウマティックだとかいうこと以前に、白黒の画質の荒い映像だと、それが人の死体の山であることや、あまりにも酷い行いが収められているとしても、パッと気づくこともできず、現実味を持って映像を受け止めることができないということに。
同じ世界の延長線上に自分が生きているという実感を持てず、それがスクリーンの中だけで起きていたかのように感じてしまっていることに。その日の映像記憶がたびたびトラウマとしてフラッシュバックしましたが、それはただヴィジュアルとしての恐怖が凄まじかったということで、映像を現実の出来事として捉えることができない状態のまま過ごしてしまっていることの表れでした。
授業で直面した「私だけ」の感覚
その日から、ヴィジュアルエイドを使った戦争教育のあり方について真剣に考えるようになりました。そもそも私が戦争関連の視聴覚資料にトラウマ意識を持ち始めたのは小学校低学年の頃、祖父や兄と一緒に見たNHKのドキュメンタリーで、原爆で亡くなった人の資料を目にしてから、「戦争についてもう知りたくない」という強い拒否反応を持つようになったことです。それまで、死体すらもまともに目にしたことがなかったため、お風呂にいる時も、ベッドに入ってもその写真がフラッシュバックして、しばらくの間、夜は冷や汗をかいて寝付けずにいました。
その記憶が落ち着いた数年後に金ローで予期せず目にした火垂るの墓のワンシーン、中学校で見たはだしのゲンのアニメなど、それ以降もたびたび戦争に関する描写や資料を目にすることはあり、逃げることは許されないのだろうか、こんなに苦しんでいるのにと考えていました。
一方で、ただ見るのが怖いからといって私だけが向き合うことをやめてしまっていいはずがない、という葛藤もありました。
私をもっと悩ませたのは、中学校の授業で学年で一斉に『はだしのゲン』を見る時、先生が「どうしても怖いという人は教室から出ていて構わない」と言った時、誰一人手をあげなかったことでした。
私は悩んだ末に、怖いところが来そうになったら目を瞑ろう、と思い、教室に残りました。当時の自分にとっては、トラウマを増やすより教室で目立つことの方が大問題だったのです。
私がおかしいんだ、見なければいけないのに、私だけ向き合わないのは甘えだ。えー、みんなどうして平気なんだろう。私は目を瞑って聞いているだけでも自分の体が溶けていくような感覚になるのに。苦しい。
こういうふうに、授業や生活で避けられない資料との直面を重ね、中途半端に見聞きてしまったことで、戦争に関する資料のフラッシュバックは実際に見たものよりも鮮烈になっていきました。脳が、記憶をよりショッキングなものに変化させていたように思います。その機能はエスカレートして、教科書や資料集にある白黒写真にも苦手意識が芽生え始め、付箋で隠す作業をしていたほどでした。
始めて共感を得られたときに、書籍『夜と霧』に出会う
放課後に受験勉強のため同じ教室で勉強していた友人が、息抜きに雑談をしている時に、手元の資料集を見ながら不意に「私、こういう写真見るとゾワゾワするっていうか、結構トラウマなんだよね。大事だと思うけど、話聞くだけでも苦しいくらいだから、映像とか写真、結構キツくて」と打ち明けました。私と同じ感覚で悩んでいる人と対話をしたのはそれが最初でした。
私にとって、映像記憶のフラッシュバックは深刻だったため、この歳の頃には戦争の話を聞くだけで勝手に強烈な映像を脳内に描いてしまうほどでした。友人と一通り話すと、彼女と私は予想外に前向きな結論に至りました。私たちは想像力が豊かすぎるのかもしれない。見たくないのは関心がないからではなく、人一倍戦争の酷さに思いを馳せているから。じゃあ、私たちみたいな子が無理なくできる平和学習のあり方ってなんだろう?
数日後、受験勉強のため図書室へ向かうと、「司書のおすすめ」として表紙向きに置いてあった新版『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著、池田香代子訳)が目に止まりました。映像記憶もあるため、背表紙で置いてあったらきっと手に取らなかったタイトルですが、表紙が(私の感性ですが)可愛らしいイラストで、なんとなく惹かれて、読めるかなと薄い目で全ページを確認すると写真や絵がなく、文章だけの本と分かり、すぐに借りることにしました。著者が精神科医であることから視点が珍しく、私にとっては心理的負担が少ない読みやすい本でした。
それどころか、現代を生きる上で時々私たちに軽々しく現れる希死観念をやっつけるような、生きる勇気を与えてくれる本でした。大変意外で、「私はこれだ!」と思いました。
平和学習は、人によって最適なスタイルとタイミングがある
すごく長くなってしまいました。ここまで読んでくださってる方はいないのかもしれませんが、もしいたら、嬉しいです。後少しお付き合いください。
そもそも教育全般に言えることですが、学習法を個別最適化すべき分野と、全体で競争した方が良い分野があると思います。平和学習は、個別最適化して伸ばし、それぞれのスタイルとタイミング別にグループ分けをして議論をするなどの対応が必要なデリケートな科目だと思います。
ショッキングだからこそ、見させるべき、という意見もあるかと思いますが、私は「トラウマ」になってしまうことは、戦争に関する話題をシャットアウトさせてしまうことにつながると考えます。怖いから見たくない、考えたくない、では思考停止状態です。私には未だその気が残っており、現実として受け止めることが難しい状態です。書籍『夜と霧』に出会ってから、Podcastや文章などで戦争について学び直すことができるようになりましたが、未だにヴィジュアルエイドは触れられていませんでした。
しかし、いざ心を決めてアウシュヴィッツを訪れた際、あれだけのトラウマを持っていたのに、全ての精神的な不安が臨界点に達したのか、私の感覚は麻痺状態になり、「何も感じない」という、一番問題のある精神状態で見学してしまいました。それから夏休み中にヨーロッパ各地の戦争や社会主義時代の資料館を訪れてみるも、なかなか現実味を持って受け止めることができませんでした。蓄積したトラウマが全て無に期して、何も感じないようになってしまったことに、かなり戸惑いました。
同じ教室で平気そうに映像を見ていた同級生や、テレビを直視していた兄も、現実味を持って受け止めることができていなかったのではないか。この感覚は、それに近いのではないか、と不安になりました。
トラウマになってしまうこと、現実として受け止められない、または他人事になってしまうことは、現状の平和教育の課題と言えるのではないでしょうか。
人間は刺激に慣れる生き物です。戦争は歴史上のものではなく、今も起きていることである。その意識が難しくなっている理由の一つに、麻痺があるのではないか、と思います。
それぞれが自分に合った平和学習を選び、戦争について他人事にせず学び考えることを当たり前にするために何ができるか、今後も考え続けたいです。
(もしここまで読んでくださった方がいたら、感想やご意見をいただきたいです!!ありがとうございました。)