教えたい病 〜読書感想「教えないスキル」〜
ビジネス数学教育家・深沢真太郎です。いい本はご紹介していこうと思っていて。このタイトルに反応された方はきっと役立つものになるでしょう。およそ10分もあれば映像含め全文お読みいただけるはずです。ぜひどうぞ。
書き終える直前に映像を撮りました
6分弱の映像を撮りました。よろしければご覧ください。この記事を読んでいただくにあたり前提をお話ししています。もちろんスルーしていただいても問題ございません。
『教えないスキル〜ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術〜』
『教えないスキル〜ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術〜』佐伯夕利子(小学館新書)を拝読しました。最近NHKの番組でもご紹介されたようで、まだちょっと手に入らない書店があるかもしれません。
「教える」という言葉。教育、人材育成、人材開発、チームビルディング、マネジメント、、、実に様々なテーマと強い関係がある言葉です。私も教育を仕事にしているひとりです。この記事は教育者の観点で書き綴るものです。では本題に入りましょう。
先に結論を伝えます
この記事における「結論」を先に伝えておきます。
教師は「教えたい病」を克服してから教壇に立ちましょう
です。
あなたは「教えたい病」になっていないか
この「教えたい病」はこの記事を書き始めた2分ほど前に思いついた表現です。つまり一般的な用語ではなくあくまで個人的なもの。言葉は伝わることが重要です。一瞬で伝わることを最優先して表現するものです。
ところであなたは「教えたい病」になっていませんか。学校の先生。塾の先生。セミナー講師。研修講師。学者。研究者。管理職。さまざまな仕事に「教える」場面は存在します。特に学校の先生。塾の先生。セミナー講師。研修講師。このあたりのお仕事をされている方はおそらく「教えたいからその仕事をしている」のではないでしょうか。
私もまさにそのような仕事をしているひとり。国内唯一のビジネス数学教育家です。なんじゃそれ?という方はこちらでサラッと確認いただければと思います。(できればここはすっ飛ばしていただき記事を優先してください)
私の活動のひとつに、ビジネス数学を指導できるインストラクターの育成があります。学校の授業。あるいは企業内の研修。あるいはビジネスとしてのセミナー。数学ではなくビジネス数学を学生やビジネスパーソンに指導できる先生を育成することは、日本だけではなく世界のビジネスを活性化させ、生産性向上を実現する。少なくとも私はそう信じてインストラクター制度を立ち上げました。
その養成講座において私が参加者に必ず伝えているエッセンスがあります。
教える ×
導く ◯
見ての通り、教えるのではなく指導することを目指しなさいという意味です。しかし教育や育成をしたことのない人にとっては、これがどういう意味なのかがピンときません。ある人は「上から目線で教えるな」という意味に解釈しますし、別のある人は「個別指導のように1対1で優しく教えること」だと解釈しますし、別のある人は「徹底的に厳しくすることが指導することだ」と本気で思っています。この記事を読まれている方はおそらく優秀なビジネスパーソンあるいは教育者だと思われ、先述の解釈をしてしまう人の感覚は理解できないかもしれません。しかし現実として「教える」と「指導する」の違いがわからない人はとても多くいらっしゃいます。
事例がなかった
しかし残念ながら、私のマネジメントするビジネス数学インストラクター養成講座の中ではこの部分の本質が伝えきれていません。それだけの時間がないというのもありますが、本質的な理由は他にあります。「指導する」ことで何がどううまくいくのかをわかってもらう事例やツールが私の手元になかったからです。
そんなとき、たまたまNHKの番組を見て本書の存在を知りました。『教えないスキル〜ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術〜』佐伯夕利子(小学館新書)。ビジャレアルとはスペインのプロサッカーチーム。今をときめく久保建英選手が選んだチームでもあります。学生時代にサッカー部だった私にはこれ以上ない素材でした(笑) 何より、私もこの数年で日本のプロスポーツチームのアスリートやコーチの育成に関わるようになり、アスリートの育成現場に対する肌感覚が(少しですが)ありました。スポーツの世界での人材育成の本質はそのままビジネスや学校教育の現場に置き換えることができる。そんな感覚を持っていたのです。
本書には「教える」のではなく「指導する」ことの本質が書かれています。フィクションではなくノンフィクションで。なぜ教えてはいけないのか。指導とはなんなのか。これからの時代に必要なコーチ、トレーナー、インストラクター、教師の姿とはなんなのか。ここまで読んでくださり、興味を持った(持てる)方はきっと本書にあなたの仕事を変えるヒントが書かれていると思います。
と、ここで終えてもこの記事は成立するとは思います。しかし私もひとりの教育者。いくつか本書のキーワードをピックアップし、少しだけコメントを添えていこうと思います。読んでくださったあなたに何かが残ることを期待して。それは共感でもいいし発見でもいいし異論でもいい。とにかくあなたに何かが残ることを期待して。
「あなたはどうしたいの?」という問い
私がとても大切にしているワードが本書にも登場しており、率直に「だよね!」と思いました(笑)。どんな教育をすべきなのか。どんな人材に育てるべきなのか。そうじゃない。あなたはどんな人材を育てたいのか。この問いに答えがない教育者は偽物です。
この考え方は私のビジネス数学インストラクター制度でも強く反映されています。例えばインストラクターが集うオンラインサロン。私が代表理事としてすべてをマネジメントしますし、もちろん教えるべきことは教えます。ラーニングのサービス提供も存在します。しかし私はメンバーには(基本的には)何も教えません。場とヒントと機会を提供するだけ。自分でどうしたいのか、どうこのコミュニティを使いたいのか、あなたはどんな教育がしたいのか、自分で考えて欲しいからです。とても自由です。ほぼ放置です。
教えると何が起こるのか。私が教え込んで育成した講師は、間違いなく生徒さんたちに教え込む講師になります。教え込まれた生徒さんたちは、自分で考えることをせず常に「教えてくれ」という学習者になります。そしてうまくいかなければ、結果が悪ければ、教えてくれなかった指導者のせいだと思うようになります。それは私たちが目指している姿なのでしょうか。
だから私は指導者の養成機関において「教える」ことをしていません。
「とにかく一周しておいで」
いいワードですね。つべこべ言わずまずはひと通りやってみてごらん。そういう意味です。こうして文章にすればほとんどの方が「そうだよね」と思います。しかし現実はなかなかこの「とにかく一周してみる」ことができません。めんどくさいから。怖いから。自信がないから。人間ですから、とてもよくわかります。
何度も事例に出して恐縮ですが、この考え方は私のビジネス数学インストラクター制度でも強く反映されています。どうすれば売れる講師になれるか。どうすればいい研修ができるようになるか。みんな真剣に考えます。技術論を学ぶ。たくさん本を読む。深沢真太郎(私)の動画を観る。いいと思います。しかし私の本音はこうです。
そんなことはいいから、つべこべ言わずまずは人の前に立って(人がいないなら誰かがいる体で)授業なり研修なりをやってごらん
例えば(失礼ながら)売れない芸人やアーティストがいます。彼らは売れた人の芸やパフォーマンスをyoutubeで観ていればうまくなるのでしょうか。大成功したトップ芸人の著作を読むことで仕事がもらえるようになるのでしょうか。そんなことはありません。そんな暇があるなら、人様にご迷惑にならない場所(路上とか駅前とか)をお借りして、そこでパフォーマンスをした方がよっぽどいい。見てくれる人がいるかどうかなど関係ない。そんなことを気にする以前に、まずは自分のパフォーマンスのレベルが高いこと。価値があること。そちらの方がはるかに重要です。
下手な人ほど見てくれる人数を気にしたり、うまくいく方法論を気にします。そんなことを気にする前に、そもそもあなたは上手なのか。そんなことを気にする前に、「とにかく一周しておいで」と私は思う。もちろんこれは教育の話であり、導きたい人がいるなら「とにかく一周しておいで」と言えることが本物の指導者だという話。先ほどの売れない芸人やアーティストの話はあくまでたとえだ。
まずは自力で一周してきた人。まずは一周するために時間やお金を投資できる人。こういう人には全力でサポートするようにしています。逆にいえば、そうでない人にはいっさい手を貸さない。私が人を指導するにあたりとても大切にしている価値観です。
問題を持ち込むときは解決策を添付してから来なさい
問題提起するだけなら誰でもできる。そう思いませんか。わかりやすく会社組織の話をしましょう。業績が上がらない。マーケティングが機能しない。人材不足。社員が成長しない。会社組織には様々な問題があります。そしてそれは当然のことです。
何が言いたいか。
「問題提起するだけ」とは、当然のことを言及したに過ぎないこと。ビジネスパーソンとして何もしていないことと同義だということです。
この記事をお読みの方の中には企業で経営やマネジメントをされている方も多いでしょう。部下指導もお仕事の一環ではないでしょうか。本当に難しいことですよね。でも私は今回この本を読んで、著者の佐伯さんがおっしゃっていた「問題を持ち込むときは解決策を添付してから来なさい」という言葉がとても大事だなと思ったのです。このような環境にすること。このような文化を構築すること。教えるというよりは導く。ガミガミ叱ったり教えたりするのではなく、自然にそうなるように導く。こういうことなのではないかと。
私はマネジメントが専門ではありません。あくまで人材開発の人間です。しかし思うのは、組織をマネジメントするにあたりルールの存在は重要なのではないかということです。そのルールとは、メンバーを管理するためのルールではなく、メンバーを育成する、成長させる、高みへ導くためのルールであるべきではないかと思います。例えば「遅刻は厳禁」というルールは管理することが目的ではなく、そのルールを通じて大人として大切なことを身体に浸透させることが目的でしょう。
私自身も戒めたいと思いました。ルールは管理するためではなく導くためにある。「問題を持ち込むときは解決策を添付してから来なさい」もまさにそうですね。
学校の教室が変わらなければ、スポーツも社会も変わらない
共感しかない一文。著者の佐伯さんはあくまでプロスポーツチームの育成担当です。スポーツを変えたい。勝てる選手(集団)にしたい。そう願って活動をされていることでしょう。そんな佐伯さんが、やはりこうおっしゃるのです。
根本は学校の教室にある
私はビジネス数学を提唱しています。ビジネスで活用できる数学的なリテラシーを養う教育です。誇りを持って、世の中に必要なものと信じて、今日も活動をしています。しかし一方で、心の奥底ではこう思っています。
学校の教室に何らかの改善点があるから、いま私の仕事は存在する
思考力。コミュニケーション力。数字力。このようなリテラシーは大人になってから一生懸命身につけるものではなく、学生時代に身につけてしまえるものです。それが何らかの理由でうまくいかなかった人がいるから、私のビジネス数学は存在します。大手企業がお金を使って研修をしたり、多くのビジネスパーソンが私の書籍を買い求めたりします。それはありがたいことではあるけれど、一方で世の中的には最適ではありません。彼らの学生時代の教室が魅力的かつ機能的であれば、その人物が就職した企業が私の研修プログラムを購入することはないし、私の著作がロングセラーになったりはしないはずなのです。
教えるのではなく導く。この考え方が全ての学校の教室に存在するといいなと思います。だから私は自分自身が研修や講演に立つことをしつつ、正しい指導ができるインストラクターを増やしたいと思っているのです。
学校の教室が変わらなければ、スポーツも社会も変わらない
私の拙い文章では伝えきれていないと思います。詳しくは佐伯さんの書籍を読んでみてください。
人は相手から何を言われたではなく、どんな気持ちにさせられたかをずっと覚えている
私がインストラクター養成講座において口を酸っぱくして言うことがあります。
あなたはその講義にどんな「印象づけ」をしたいですか?
講義や研修の内容が正しいか立派かよりも、どんな印象だったかが重要。私はそう思っています。ぶっちゃけ印象が9割です。これはたくさんお勉強だけしてきた知識人や学者さんにはなかなか理解できないことかもしれません。内容が正しく崇高であることが正義。「俺の講義の何が間違っているんだ?」「俺はこのメソッドで実績を出してきたんだ知りたいだろう?」と思ってしまうようなタイプです(苦笑)
「間違っていませんが、つまんないんです」
「ご実績は立派ですが、あなたは嫌いです」
これが現実です。だから私は必ずインストラクターが行う講義や研修に「印象づけ」を定義するよう指導しています。そのこととまったく同じことを著者の佐伯さんがおっしゃっていました。人は相手から何を言われたではなく、どんな気持ちにさせられたかをずっと覚えている。その通りだと思います。
人は言われたことなんてすぐ忘れます。しかし印象や感情といったものはずっと残ります。例えば映画を観たとします。重要なシーンで何が映っていたか、役者がどんなセリフで喋っていたか、1週間もすれば忘れてしまうでしょう。しかしその映画の印象はずっと残っています。「面白かった」「感動した」「よかった」「エモかった」・・・ 人はどんな気持ちにさせられたかをずっと覚えています。だから指導者は、相手をどんな気持ちにさせるのかに敏感でなければなりません。
余談ですが、ビジネス数学インストラクターに興味を持つ方(心から感謝!)の中には、いわゆる学問の数学に対する愛の強い人がいます。もちろんそれ自体は素晴らしいことであり、大事にして欲しいと心から思います。しかしその愛が偏愛になってしまい、目の前にいる学習者の気持ちに敏感になれないとしたら、それは指導者としては失格だと思っています。
私はこれまでインストラクター養成講座において不合格を出した方が何名もいます。周囲からいろいろと文句を言われました(笑)。
「厳しすぎるのではないか」
「大きな金額を払わせておいて認定講師になれないのはいかがなものか」
「金儲けするな」
何を言われようが、「指導」ができない人を認定インストラクターにするわけにはいきません。数学への愛ではなく、目の前にいる学習者への愛が大きい人でなければ、指導者にはなれない。なってはいけない。そういうメッセージでもあります。
話が逸れました。
人は相手から何を言われたではなく、どんな気持ちにさせられたかをずっと覚えている。私も大事にしていることです。あなたはどうですか。
指導者は支配者ではない。ファシリテーターである。
この記事をここまで読んでくださった方には説明の必要はないでしょう。わかりやすい事例として、日本のかつての部活動は監督やコーチが支配者であったケースが多いと思われます。実際私もサッカー部に所属していましたが、監督は鬼のような人物でそれは恐ろしかったことを覚えています。監督に怒られることへの恐怖は、必然的に「いい子」を演じることにつながり、サッカーのプレイにおいて本人の自由を奪います。言われた通りにプレイする。監督が好むプレイだけする。まさに支配。心の奥底ではサッカーがつまらないと感じていた頃の話です。
これは私自身、ビジネス系の研修に登壇するときにとても気をつけています。参加者は勝手に自分を格下にし、講師を格上にします。それをいいことに「大先生」としてその場を支配してしまうのは論外ですが、プロの研修講師はそんな参加者のインサイトをわかっていないといけません。
ひとつ私の経験が言えることを。
仕事柄、いろんなビジネス系講師(予備軍)の実演を観ることがあります。その実演にフィードバックをし、成長や変化に繋げていただきます。いい研修ができるようになるための、いい指導者になるための、重要な機能です。
実はそのような場において私が注目している視点があります。もちろんいろんなものがあるのですが、ひとつだけご紹介しておきます。
「問いかけ」の量
支配者タイプの講師は、参加者への問いかけが極めて少ない。一方、ファシリテータータイプの講師は、参加者への問いかけが多く、そしてその内容も質が高い。面白い傾向ですが、実に実態を映していると思います。
このテーマについては、これ以上の言葉を紡ぐ必要はないでしょう。
まとめ 教えないスキルの本質
最後に。
で、結局のところ「教えない」の本質はなんなの?
もしそんな質問をされたとしたら、私ならどう答えるか。そんなことを考えてみました。時間にして1分くらいかけたかな。私の答えはこうです。
「問い」と「環境」
この記事では詳しく解説はしません。あなたもぜひ考えてみて欲しいし、そのための素材として、ご紹介した書籍も読んでみて欲しいと思います。
私の本業であるビジネス系の研修や講義はもちろん、ビジネス数学インストラクター養成講座ならびに認定講師が集うオンラインサロンの内容もすべて、うまくいっているときは「問い」と「環境」が機能したときです。逆にうまくいっていないときは、「問い」と「環境」の質が低いときです。いい指導者に必要なものは何か。私ははっきりと確信できる結論を得ることができました。
教えたいという想いはとても尊いものです。そういう人がいるからこそ、人は成長するし感謝もします。この世から絶対になくしてはいけないものです。しかしその想いが自己中心的なものであり、「教えている自分が楽しいから」「教えることで自己承認欲求が満たされるから」「手っ取り早く感謝されるから」という理由によるものだとしたら、それはとても危険なことです。結局それは、いつか必ず誰かを不幸にするでしょう。だから、
教師は「教えたい病」を克服してから教壇に立ちましょう
教えたい病の可能性がある方は、ぜひ。
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