追悼ジャン=リュック・ゴダール
映画に興味を持ち始めた頃、至る所でゴダールの名前が挙がっていた。
ならば観ずにはいられない。
『勝手にしやがれ』(原題は息切れの意味らしい。「勝手にしやがれ」素晴らしい邦題だ)を観た。
御多分に洩れず、ゴダールに、ベルモンドに、セバーグにやられたひとりになった。
自分が生まれる10年以上も前にこんな映画を撮っていたのか、衝撃だった。ヌーベルバーグすごいぞ、正直ストーリーは曖昧にしか分からず、ただカメラ割、セリフ回し、ベルモンドのカッコよさ、スタイリッシュな空気感は存分に味わえた。最高にカッコいい。
難解だと敬遠することなかれ、感じて観るのが正解だ。
「まったく最低だ」「最低ってなんの事?」
イキなセリフに、煙草の扱いのカッコよさ!唇を指でなぞるあの仕草好き。
以後、定期的にやってくる「観たい欲」が高まると、観ている。ポートレートもお気に入り。
ただ、『軽蔑』、『気狂いピエロ』までが自分の中のゴダールかな。
映画のようなドキュメンタリーのような、ストーンズを撮った『ワン・プラス・ワン』も良かったが。
ゴダールといえば、ベルモンド。そしてミューズが皆素敵だ。ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナ、ブリジット・バルドー。
数年前にリバイバル上映で『気狂いピエロ』を劇場で観たが、詩的な台詞、極彩色に彩られた画は、変わらず素晴らしかった。完成されている。ひとつの頂点を観た気がする。
「また見つかった!」「何が?」「永遠が」
ヌーベルバーグ、いわゆるニューウェーブ。これまでの常識に捉われず、才能溢れる若い映像作家たちが自由に映画を作り始めた。これが60年代のフランス・ヌーベルバーグ。
その波は次第に大きくうねり、『俺たちに明日はない』などのアメリカン・ニューシネマにも多大な影響を与えていく。
「映画表現は、もっと自由であるべきだ。」
ヌーベルバーグ最後の巨匠、ジャン=リュック・ゴダール。
後世に遺したものの大きさは計り知れない。
正直、未だに理解できているとは言い難い。
だが、それでいいのだとも思う。
徹底的に研究するも良し、解らぬと嫌うも良し、恥じるもまた良し。
一度触れてみて自身の中から出てきたものが正解、と思うことにした。
観た人の心の中にそれぞれのゴダールがいて、みんな違ってみんないいである。
こんなにも熱狂とアンチをない交ぜにしてしまう稀有な、唯一無二の存在。
昨年の同じ時期にベルモンドが亡くなっている(2021年9月6日)。縁を感じるのは考えすぎか。
映画界はまたひとり、素晴らしき才能を失った。
あちらでトリュフォーが、ベルモンドが、アンナも、アンヌも待っているはず。
名作を革命をありがとう。
安らかに。
(text by電気羊は夢を見た)