【映画】「ブルーピリオド」感想・レビュー・解説

ここ数年、毎年、藝祭に行っている。東京藝術大学から割と近いところに住んでいることもあり、金曜日にわざわざ有休を取り、学生たちの神輿合戦を見学、その後の土日で、藝大内の展示を色々と見て回る、みたいなことをしている。

だからと言って別に、「芸術・アートのことが分かる」などと言いたいわけではない。むしろ、全然分からない。というか、藝祭に限らず、美術展などにも足を運ぶのは、「あー、全然分かんない」という感覚を得るため、と言ってもいいだろう。

ただ、芸術・アートそのものはよく分からないものの、毎回感じることがある。それは、「これに人生を注ぎ込んでいるんだ」ということだ。

そしてそれは、とてもうらやましいことに感じられる。

『あの青い絵を描くまで、生きてる実感が持てなかった』

『今、俺の心臓は動き出した気がした』

本作『ブルーピリオド』の主人公・矢口八虎も、そんな風に考えるシーンがある。毎晩のように渋谷でオールし、まともに勉強していないのに学年で4位という好成績を保つ八虎は、「成績を上げることも、友人との会話も、『ノルマをクリアする』ぐらいの感覚しかない」と考えていた。そのあまりの「手応えの無さ」に、ある種絶望していたのだ。

その感覚は、僕もよく分かる。41歳になった今も、結局、「手応えの無さ」を感じ続けているのだ。いや、「もしかしたら」と思うこともあった。「これなのかもしれない」と感じることが。しかし、錯覚だったようだ。「生きてる実感」なんか、結局感じられない。

だから羨ましい。「そういう何か」に出会ったという事実に対して。それが、「食べていけないでしょ」と母親から言われるような「絵」だとしても。「自分より上手い奴はいくらでもいる」という実感と共に目指さざるを得ないものだとしても。「空っぽの自分」を突きつけられるようなしんどいものだとしても。

「そういう何か」に出会えることは羨ましいなと思う。

しかし、「そんな甘いものでもない」という描写が、一方で本作の中では描かれている。「『好きを突き詰めた』のに上手く行かなかった人物」が登場するのだ。

もちろん、本作はそんな人間ばかりが出てくると言える。東京芸術大学の絵画科は日本一受験倍率が高いと言われており、その倍率なんと200倍。毎年5人程度の合格者枠を1000人が争うというわけだ。となれば、毎年955人が「『好きを突き詰めた』のに上手く行かなかった人物」になると言えるかもしれない(これが「絵画科」だけの数字だということを忘れてはならない)。

しかし本作では、そういう人たちとはまた違った「『好きを突き詰めた』のに上手く行かなかった人物」を描き出している。鮎川龍二。高校に女性の制服を着て来る人物だ。学校では「ユカちゃん」と呼ばれている。そして冒頭、彼は教師から注意を受けるが、「私は自分のルールを守る」と口にするのだ。

最初こそ、「反抗的な態度」みたいな受け取り方になるかもしれないが、徐々にそうではないことが分かってくる。彼は「『好きを突き詰める』ことで自分を守っている」のである。

龍二についてはあまり詳しく描かれないが、「『美しいもの』が好きで、自分もそのような『美』を目指したいと考えている」ということは理解できる。そしてそれは、彼の家族にはまったく理解されていないようだ。学校でも教師には認められていないし(同級生には受け入れられている)、彼自身も「世間的に広く受け入れられる存在ではない」と自覚している。

そしてそんな自分の存在をどうにか守るために、彼は「好きを突き詰めざるを得ない」のだ。

本作ではそんな、「まったく違う形で好きを突き詰める人物」が描かれることになる。それはこの2人だけではない。八虎の美術部の先輩である森まるは、「私は好きなものしか描けないから、作品を持ち込める美大を選んだ」と言っているし、美大専門の予備校(だと思う)で出会った高橋世田介は、努力と戦略で藝大入試を突破しようとしている八虎に向かって、「芸術じゃなくても良かったくせに」と、自分の「好き」の強さを訴えようとする。

こんな風に「『好き』に囚われた人たち」を描き出す物語であり、そのややこしさが詰まった作品と言えるだろう。

だから、「『そういう何か』に出会えること」が本当に良いことなのかは分からない。出会ってしまったら最後、底なし沼のような人生を歩むしかなくなるのかもしれない。

今、そっち側にいない僕は、結局「隣の芝生は青く見えている」だけと言えるだろう。しかしそれでも、「『そういう何か』に出会えること」に羨ましさを抱いてしまう自分がいることは確かだ。

さて、そんな「『好き』に囚われた者たち」の中で、矢口八虎は一体何が違っていたのか。高校2年生の時、美術の時間にたまたま描いた「青い絵」によって絵の世界に惹き込まれた八虎は、藝大受験まで620日というところから努力を始めた。繰り返すが、倍率は200倍であり、3浪4浪は当たり前の世界だ。また、八虎の家庭の金銭事情から、国公立以外の大学には通わせられない。となれば、芸術系の大学で唯一の国公立である東京藝術大学しか選択肢はない。そういう状況で、「それまで絵なんて描いたことがない高校2年生」が、620日間の努力で藝大を目指そうというのだ。

では、そんな八虎には、一体何があったのか?

恐らく、彼が「藝大を目指す」と決めるきっかけとして大きかった要素の1つとして、「才能だけの世界じゃない」と言われたことが大きかったはずだ。先輩の森からも、美術教師の佐伯からも、そんな風に言われていた。もし「才能」で入学が決まるなら、八虎はそもそも藝大を目指さなかったはずだ。しかし、「才能だけじゃない」と知ったことで、「可能性はゼロではない」と思えたのだ。

さらにその上で、「ずっと手を動かし続けられる」という才能があった。これももちろん、「そうする以外になかった」というだけの話ではあるのだが、ただ、どんなに好きなことであったとしても、気力や体力やメンタルなど様々な理由から「手を動かし続ける」ことが出来ない状況もあるだろう。八虎自身も、本作ではポツリポツリと語られる程度だったが、620日間を走り抜ける中で、メンタル的にやられていたことが結構あったようだ。

まあ、そりゃあ当然だ。「私立には行かせられない」と言われているし、恐らく「浪人も避けてほしい」だろう家庭環境の中で、「倍率200倍の受験」に挑もうとしているのだし、また、「才能だけの世界じゃない」と分かっていても、やはり「圧倒的な才能を持つ者」と接すると気分も落ちる。また、「目の前にあるモノしか描いたことがない」という八虎には「縁」というお題は難しく、そんな時には自分の引き出しの無さ、底の浅さみたいなものに打ちのめされたりもする。

しかしそれでも、彼は「手を動かし続ける」ことだけは止めなかったのだ。龍二はある場面で、そんな八虎に対して「覚悟」という言葉を使っていた。「藝大は、お前のように覚悟を決めた人間が行くべき場所だ」と。逆に言えば、才能があっても覚悟が無ければ藝大の壁を突破するのは難しいのだろう。予告でも使われているが、「俺は天才じゃない。だから、天才と見分けがつかなくなるぐらいまでやるしかない」というわけだ。

そんな「才能には努力で打ち克てる余地がある」と、かなりリアルに信じさせてくれる物語でもあり、その辺りもグッと来るポイントだと思う。

とまあ色々書いたのだけど、作品としてはメチャクチャ良かったとは言い難いと感じた。その理由ははっきりしている。2時間じゃ足りない。本作は、勇気を持って前後編にすべきだったんじゃないかという気がする。前後編は興行的に色々と大変なのかもしれないけど、ちょっと2時間で描くのは厳しい物語だったと思う。せめて2時間半ぐらいの物語として描くべきだったんじゃないかなと。

主人公・矢口八虎の物語だけ見ても「もうちょっと深く掘り下げた方が良くない?」と感じるシーンはあった。さらに本作には、鮎川龍二、森まる、高橋世田介と、主役級の扱いと言っていい人物が出てくるのだけど、彼らの掘り下げはかなり浅い。鮎川龍二はそれでも描かれている方だと思うが、森まると高橋世田介はちょっと物足りなささえ感じるぐらいの描かれ方だったと思う。

僕は原作は読んでいないが、映画化されたのは一部だと思う(というかまだ連載は続いているみたいだ)。だとしたら、前後半の物語にしても、描くべき物語はいくらでも引っ張ってこれただろう。だから個人的には、あらゆる描写をもう少し深く描いた物語として観たかったという感じがした。

ただ、その点と表裏をなす話ではあるが、逆に言えば「原作を読みたいと思わせる映画」であるとも言える。映画だけでも十分、「『ブルーピリオド』という物語が持つ面白さのエッセンス」は伝わると思う。だから、後は原作漫画を読めばいい、ということになるだろう。原作未読の人が、映画を観て「原作を読もう!」ってなるパターンは、本作に関しては結構あるんじゃないかと思う。僕も、普段まったく漫画を読まないので「機会がない」という意味で読まなそうではあるが、「原作を読みたい」という気分にはさせられたし、「漫画喫茶に行くような機会があったら優先で手にとってみよう」と思う。

だから、「映画を観た人に『原作を読みたい』と思わせる」という意図で本作が作られたのであれば、それは正解と言えるだろう。だから、制作側の意図次第では評価が変わるという感じがする。

さて、本作を観る前から知っていたことではあるが、本作は「絵を描くシーンを吹き替え無しで行った」ことでも注目されている。主役級の人物を演じた眞栄田郷敦、高橋文哉、桜田ひより、板垣李光人は、超一流の指導者の元、「プロが見てもしっくりくる動き」を猛特訓したそうだ。僕自身は絵に詳しくないので、役者の演技を見ていても「本物っぽいか」など分からないわけだが、こういう外的な情報を知った上で観ることで「圧倒的なリアリティ」を感じられると言える。特に板垣李光人は、本人もアート作品を発表していることもあって、「天才役」がハマっていたなと思う。

あと、高橋文哉の脚が細くてマジでビビった。8kgも減量して撮影に臨んだそうだ。

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