頭の中の声
つい最近まで、どんな人の頭の中にも、頭の持ち主以外の何者かの声が聞こえてくるものだ、と思っていた。
ソイツらは大抵、私の母や私の父、そして名前も知らない世間の声色やしゃべり方をしている。
また、アンタはだらしないんだから
お前は優しくないな
お前みたいなやつ結婚できない
お前はなんて親不孝なんだ
お前はほんとにワガママだ
お前は自分勝手だ
お前なんかにできるわけがない
もっといい仕事に就きなさいよ
お前みたいなやつ誰も好きじゃないよ
今までソイツらはかなりの声と主張力を以て、私を苦しめてきた。私を呪ってきた。私を殺してきた。
自分の親と距離をとって、私の心の中でふてぶてしく、何十年も居座っていたソイツが、少しずつしぼんでいった。
いとも簡単に、私の心の中を真っ黒く染めてしまうソイツが、だんだんと薄まってきた。
だから、つい油断していた。
もうソイツとの縁は切れかけてるんじゃないかと。
やっぱりアイツは私の弱いところを突いてくる。
新しいことに挑戦しようとするとき、その気持ちをなんとかして弱らせようと、アイツがまた世間や親の皮をかぶって私の前に出てきた。
あんたみたいな無責任なやつにできるの?
やりとげられるの?
お前みたいなのにできるはずがない
散々聞いてきた言葉のはずなのに、なぜこうもグサグサと私の心は血を流しているのか。
誰か私の弁護をしてくれないか?
私は私の挑戦すら人に責任を押し付けるのか?
今度は私が私の弁護をする。
今度は私が私のやりたいことをやりたいと言う。
今度は私が私でやりたいことの責任を取る。
何があっても私は私の味方でいる。
何があっても私は私を信じる。
私は私の一番の味方だし、失敗しても私をどこにも置いていかないし、もし失敗しちゃったら一緒に考えるし、失敗を失敗で終わらせないって信じている。大丈夫だ。あなたなら大丈夫。私なら大丈夫。
新しいことを始めてみます。
勇気を持って、自分でやりたいって言ってみます。
今までやりたい、っていえなかった。
人の顔色ばかり伺って、みんなの望まないようなことをやりたい、っていえなかった。
今回は、やりたい、って言ってみたい。言ってみる。そうしたら、私はまた1枚、殻を破れる気がする。