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【短編小説】2人をつなぐ風
もう少しだ。
夏休みも終わりに近づいた暑い日の午後、僕は少し息を弾ませながら、お気に入りの高台へ向けて自転車で坂を上っていた。
そこはベンチしかない、公園とさえ呼べない小さな展望所。
傍に立つ大きな木が日影を作り、暑い最中においても不思議と風がよく通る。
風に吹かれながら、眼下に広がる家々や田畑、道を行き交う車を眺めていると、憂鬱な気分も少しは紛れる。
そんな、1人になるには持って来いの場所だ。
そもそも僕は1人でいることが多い。
小学校では、体が小さく運動が苦手なのを理由にしばしばいじめに遭い、学校に友達と呼べるほど仲のいい人はいなかった。
中学生になる時に丁度この町に引っ越したことで、僕をいじめていた連中とは離れられたけれど、中学では当然知っている人は誰もおらず、同じ小学校出身者で固まることの多いクラスでは、何だか居場所がない感じだった。
しかも1学期の班分けで同じグループになった男子、太田大介、黒木剛、長井克也に、ことあるごとに「小さい」と言われていじられていた。
「いじめ」と「いじり」の境目は微妙で、嫌な思いばかりしながらも、僕はハッキリと抗議の声を上げることができずにいた。
抗議をきっかけにいじりが明確ないじめに変わってしまうのが恐かったからだ。
明確ないじめを受けるくらいなら、我慢してやり過ごした方がましだ。
少しずつエスカレートする悪質ないじりを何とか受け流し、掃除当番を僕だけに押し付けてふざけて遊んでばかりの彼らに、僕はただ黙々と我慢する毎日だった。
彼らの中でもクラス1の大柄で、雰囲気が小学生の時に僕をいじめていた奴によく似た太田大介が、特に僕は苦手だった。
2学期になれば席替えや班分けをして別のグループになるだろうけれど、夏休みが終わってまた顔を合わせると思うと憂鬱になる。
そんな憂鬱な気分を紛らわせようと、僕はお気に入りの高台を目指していたのだ。
いつもは誰もいないその場所に、今日はベンチに腰かける人がいた。
どうしようかと思う間もなく、自転車の止まる音に気づいてベンチから先客が立ち上がり、こちらを見た。
身長は僕よりも少し高いくらいの少年。
14、5歳くらいに見える顔立ちは、僕よりも少し年上だろうか。
風に吹かれる髪がキラキラと光って見えた。
「こんにちは」と明るく声をかけられ、僕も反射的に「こんにちは」と挨拶を返した。
「ここ、いい場所だね」と弾んだ声で言われ、自分の持ち物を褒められたような、何だか得意気な気分になる。
それで少し気を許した僕は自転車を停め、「そうなんだ」と同意しながら、少年の傍へと歩み寄った。
「ふ~ん、ショウは12歳で中1なんだね。じゃあ、僕と同学年ってやつだ」
初対面の僕に気さくに話しかけ、少年は微笑む。
一緒にベンチに腰かけ近くで見る少年の顔は、鼻筋が通っていてやや堀が深く、何より薄青い瞳の色が、彼が外国人の血を持っていることを物語っていた。
光って見えた髪も茶色がかった金髪だったからだ。
整った顔立ちは外国映画に出て来る子役のようでもある。
リオンと名乗った彼は、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれたハーフなのだそうだ。
リオンは地面に木の枝で「理音」と名を書いてみせた。
僕も同じように「翔」と書いてみせる。
「名字が小原なのもあって、学校では『大中小の小』とか『ちっちぇえ小』なんて言われてるけどね」
「そうなんだ。……ここにはよく来るのかい?」
僕の表情が曇ったのに気づいたからなのか、理音は話題を変えながら尋ねた。
「時々ね。憂鬱な気分を紛らわせたい時には。ここは眺めがいいし、風に吹かれていると少しは気が晴れるし」
「そうなんだ。……憂鬱なのは、学校のこと?」
少し迷った様子を感じさせながら理音が尋ねた。
「うん」
僕は、ぽつりぽつりと話し出した。
小学校でいじめられていたこと。
この町に引っ越して来て、いじめていた連中からは離れられたものの中学校に居場所がないこと。
同じ班の男子からことあるごとに「小さい」といじられ、嫌な思いをしながらも、いじりがいじめになってしまうのを恐れて抗議できないこと。
自分だけに掃除当番を押し付けられていること。
中でもクラス1大柄な太田大介に対して、かつて自分をいじめていた奴に似た雰囲気があるために強い苦手意識があること。
初対面の相手に話すことではない、という思いも心の片隅にあったけれど、優しく吹く風が心を裸にして行くように、気がつけば僕は深い思いを吐露していた。
普段何となく誰にも話せないでいたことを、本当は誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
それに、外国人とのハーフである理音は、僕の日常からはかけ離れた存在のように感じられて、かえって世間のしがらみを抜きに話せてしまえる気安さもあった。
「そうなのか……。翔は、苦労してるんだね」
しみじみと同情するような理音の言葉。
「うん」
ここまで話しておいて、「それほどでもないよ」とは言えない。
それに、自分の状況をありのままに認め寄り添ってくれる理音の気持ちが伝わって来て、嬉しくもあった。
「理音は、ここにはよく来るの?」
「ここに来るのは2度目だよ。気持ちのいい場所だよね」
理音は、少し前にこの高台の近くに引っ越して来たのだとか。
幼い時から病弱であまり学校にも行かずに育ち、家や病院で過ごすことが多かったものの、最近はだいぶ体調も安定し、2学期から本格的に学校にも行く予定だと言う。
「それは……理音の方こそ、苦労してるじゃないか」
「まぁ、そうだけどね」
クスッと笑みを漏らし、しかし理音は真摯な瞳で僕を見つめた。
「それでも、君の苦しさは誰かと比べるものじゃない。君だけの重大なものさ」
僕は、心を射抜かれたような気がした。
「うん……」
理音の言うことは、理解できたようなできないような、難しい感じがした。
それでも、これから先の人生において、じっくり噛み締めて度々考えたい深さや重みのある事柄のように思えた。
「理音は、同い年とは思えないな。最初見た時も少し年上かと思ったんだ。やっぱり、病気で遊べない時間が長くて、色々考えることが多かったからかな?」
「それも、あるかもね。結構色々考えはした。でも……それだけじゃないよ……」
しばらく沈黙して考えていた理音が、心を決めたように口角を上げてじっと僕を見つめた。
「翔、僕のとっておきの話を聞きたくないかい? これは、まだ誰にも話したことがないし、信じられない話かもしれないけど」
その瞳には、静かな興奮と真剣な思いが同居していた。
きっと理音は話したいのだ。話してしまいたいのだ。誰にも話したことがない秘密の話を。
それでも……。
「僕で、いいのかな?」
「翔は僕に、自分の苦しい話を聞かせてくれた。だから僕は、翔になら話してもいいかな、って思ったんだ」
信頼された、ということなのだろう。
ただ流れで愚痴のようなことをぶちまけてしまっただけではあるけれど。
「じゃあ聞くよ。理音の特別な話を、僕は聞く」
言葉にしてみて、何だかワクワクして来た。理音と秘密を共有する仲になるのだ。
「他の人には内緒だよ。まぁ、話したところで誰も信じはしないだろうけど」
「わかった。内緒だ」
理音は頷くと、僕を見つめながら言い切った。
「翔、僕は、過去の記憶を持つ転生者で、風の魔法使いなんだ」
それは、想像の斜め上を行く驚きの発言だった。
理音が、信じられないかも、と言ったのも頷ける。
「本当に?」
僕の問いに理音はしっかりと頷いた。
理音の話によると、彼が生死の境を彷徨うほど具合が悪くなった2年前、危機を脱した後に過去の記憶が蘇ったとのこと。
過去の理音は、風と水を扱う異世界の魔術師で、冒険中28歳で命を落としたのだそうだ。
「こう見えて、中身は28歳の部分もある。だから内面が影響して少し年上に見えてしまうのかもしれない」
そう言われると、何だかそんなふうにも見える。
「魔法は?」
「思い出した分は、風魔法は使えるようになった。どういうわけか水魔法は全然なんだけど」
何か理由があるのかもしれないけれど、それは誰にもわからない。
「翔、帽子を貸して」と言われ、僕は被っていた帽子を理音に渡した。
僕には意味を聞き取れない何か呪文のようなものを唱えた理音の瞳が、微かに黄緑色の光を放ったように見えた。
理音の手の上で帽子がふわりと浮き上がり、かざした手の平に届くか届かないかくらいのところで高く浮き上がりまた落ちて来る、という動きを繰り返した。
「すごい……! 手品みたいだ」
驚く僕に、理音はフフフッと笑って逆の手でキャッチした帽子を返す。
「そうだね。今後不審がられることがあったら、手品だ、って言うことにしよう」
「理音が友達だったならよかったのに。色々話せて、中身は大人の部分もあって心強い感じ」
眼前の景色を眺めながらそう言う僕に、理音は「ん~?」と疑問の声を上げた。
「何言ってるんだか。僕達はもう友達だろう?」
「え……?」
驚いた顔の僕に、理音は微笑みかける。
「確かに僕達は今日会ったばかりで、今までは友達ではなかった。でも、ここで話して、お互いの深い話や秘密を共有したんだ。これを友達と言わずに何と言うんだい?」
「そ、そう……かな?」
「そうだよ」
「今からは、友達……?」
「うん」
理音に大きく頷かれ、何だか胸が熱くなる。
「友達かぁ……僕に友達……すごいな……」
思いを噛み締める僕に、微笑みかける理音が言った。
「翔、友達になった記念に、翔に魔法をかけてあげるよ」
「魔法?」
どんな魔法だろう。
危害を加えるようなものではないと思うけれど、少しドキッとした。
「そう。僕の心が傍にある、と感じられる魔法、かな」
微笑んで説明した理音がベンチから立ち上がり、「立って、手を出して」と促した。
ベンチから立った僕に、理音は「こう」と言って、両方の手の平を上にして体の前に差し出すようなポーズを取ってみせる。
指定のポーズを取る僕に頷くと、理音は先程のような呪文らしいものを唱えながら、自分の手を組み合わせたり指を折ったり開いたり何やら不思議な動きを見せた。
理音の瞳は先程帽子を浮かせた時のような微かな黄緑色の光を放ち、彼の手も微かに光ったように見えた。
その手で、理音はポーズを取ったままの僕の手を握った。
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風が、僕達を包むように吹いた。
握った理音の手から温かな光のようなものが流れ込んで来るのを感じた。
それは、僕の心を温かく包み、まるで大きく開いていた穴を塞いでくれたようだった。
「終わったよ」と言って理音が手を離した。
「結印も施したから、僕が死ぬか破棄しない限りずっと続くはずだ。……何か変わった感じはある?」
「胸が温かくなった。まるで理音がここにいる感じ」
驚きと喜びに目を輝かせて答える僕に、理音も嬉しそうに頷いた。
「僕は翔の友達だよ。心はいつでも傍にいるし、強い思いは僕に伝わる。またここで会って話したい、とかね」
「そっか。ありがとう」
何と素晴らしいことだろう。今日は高台に来てよかった。
この日のことを僕は一生忘れないような気がした。
ふと視線を向けた眼前の景色に、僕は違和感を感じた。
更に注意しながら視線を向ける景色の中に異変を見つけ、「あっ……!」と声を上げる。
同時に、理音も僕が視線を向けた方に目をやった。
ここから少し下ったところにある小さな公園。その芝の上に誰かが仰向けに倒れていた。
ただ寝転んでいるだけかもしれない。
それでも、熱中症の可能性もある。
もし違ったら笑い話で済ませればいいだけのことだ。
「理音!」
「わかってる」
思いが伝わっているというのは本当のようだ。
僕は停めていた自転車に向かって走る。理音も後を駆けて来る。
「僕も行くよ。魔法をかけるから、ちょっと待って」
呪文を唱える様子の理音の瞳が、再び微かな黄緑色に光った。彼はその手で僕の自転車に触れる。
再び呪文を唱えた理音の瞳がもう一度微かな黄緑色の光を放つと、理音と僕を風が包んだ。
「今、自転車にスピードを上げる魔法と、僕達に風の守りの魔法をかけた。急いで向かおう」
「わかった」
僕が運転する自転車の後ろに、理音も僕につかまって乗る。
僕は風を感じながら、2人乗りにも関わらずかつてなく軽快にペダルを踏んで、公園へ向かう坂道を下って行った。
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公園に駆けつけた僕達が見たのは、芝の上に仰向けに倒れている7~9歳くらいの女の子だった。
赤い顔をした女の子は浅い息をしている。
傍に落ちている布製の手提げバッグには「太田梨里花」と名が書かれていた。
「太田……?」
以前僕はスーパーで、大介が彼の母親、そして妹と思われる3人で買物をしていたのを見かけたことがある。
もちろん、学校でさえ顔を合わせたくない大介と、学校外でまで会いたくはない僕は、目が届かないよう隠れてやり過ごしたけれど。
この子は、あの時大介と一緒にいた女の子だ。
「太田って、さっき翔が話してた……。どうする?」
理音が僕を窺うように尋ねた。
「助けるに決まってる……! 大介が嫌な奴でも、この子には関係ない」
「そうだね」
理音が嬉しそうに微笑んだ。
それから僕と理音は、手分けして救急車を呼んだり女の子を冷やして手当したりした。
救急車が来てからは、理音が一緒に救急車に乗って病院まで付き添い、僕は少し遅れて自転車で病院に到着した。
過去の受診カルテから太田梨里花の保護者へと連絡がなされ、やがて太田母が太田大介を伴って病院に駆け込んで来た。
僕の心が怯えるように震えたのを感じた理音が、気遣う眼差しで「行こう」と声をかけ、応対していた看護師に「それじゃ、僕達は用があるのでこれで」と言い置き、太田親子には挨拶もそこそこにその場を離れた。
大介がこちらに視線を向けたような気もしたけれど、僕は振り向くことはせず、ただ足早に院外へと出た。
「お疲れさま、翔」
「うん、理音もお疲れ」
成すべきことをやり遂げた僕達は、互いを労い、またいつかの再会を願って今日は別れることにした。
親に電話をして迎えを待つ理音は、自転車でその場を離れる僕に大きく手を振ってくれた。
僕もハンドルから片手を離し、理音に大きく振ってみせた。
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やがて2学期が始まった。
また憂鬱な学校生活が始まる、と思っていた僕に、驚くべき知らせがもたらされた。
「今日からこのクラスで一緒に過ごす、転校生の土屋理音君だ。みんな仲良くしてやってくれ」
担任教師の紹介の後に挨拶する理音。
「初めまして。土屋理音です。日本人とアメリカ人のハーフで、あまり学校には行かずに過ごして来たので、わからないことも多いと思いますが、優しく教えて下さい。どうぞよろしく」
目を丸くする僕に向けて、理音がウインクしてみせた。
まさか、こんなことが起こるなんて。
「ねぇねぇ、理音君って、どういう人が好みなの?」
その後理音は、ウインクを自分達に向けられたと勘違いした女子達から質問攻めにされていた。
「そうだなぁ」
理音はあえて大きめの声で、周囲の男子にも聞こえるように言う。
「自分が毎日いじられて嫌な思いをさせられていても、そんな相手の大切な人の危機を前にして、躊躇わずに命を救ったりできるような人、かな」
「理音……」
それが誰を指しているのか、僕にはわかった。話を聞いていた大介にも。
「小原……。やっぱり病院にいたのはお前だったんだな」
「ん? どうした大介。ちっちぇえ小と何かあったか?」
「まさかちっちぇえ小にいじめられたか? いや、それはありえないか」
いつも一緒にいじって来る剛と克也が、茶化すように言葉を挟む。
傍に来ていた理音が、励ますように僕の肩に手を置いた。
「そうだよ。僕は梨里花ちゃんを助けた」
その言葉に大介がうつむく。
「今まで言えなかったけど、僕は、君に、君達に毎日いじられて嫌な思いをしていた。でも、あの子には関係ないから」
僕は自身を鼓舞するようにぐっと拳を握る。
「でも、もうやめてほしい。もういじるのはやめてほしい。いじめじゃないかもしれないけど、嫌なものは嫌なんだ……!」
涙が溢れそうだった。
「翔、よく言った」
傍らで理音がそう言ってくれた。
「ごめん……悪かった」
大介がうつむいたまま侘びの言葉を口にした。
それは、その場にいた誰の耳にも届いたのだった。
大介が剛と克也に話してくれたことで、僕へのいじりは全てなくなった。
しかも理音が同じクラスに転校して来てくれたこともあって、憂鬱だった学校生活は激変した。
「すごいね」
目を輝かせる僕に、理音はクスリと笑う。
「君は今まで苦労して来たんだから、これからたくさん幸せにならないとね」
理音の言葉に僕は笑ってみせる。
「理音、それは君もだよ」
僕と理音の背を押すように、爽やかに風が吹き抜けて行った。
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