【エッセイ】なぜ秋は「深まる」のか 春夏冬は?
2週間前、11月4日投稿の短歌の記事中にて、「深まる秋に」と記した。
記してから、ふとある疑問が浮かんだ。
秋に対する表現として、何気なく「深まる」という言葉を用いたが、「深まる」という言葉は、秋にしか使わないような気がする。春も夏も冬も、同じように季節はやって来て過ぎて行くのに、どうしてだろう? と。
季節は留まらない。
空気や風から感じられる気温や湿度の変化、そして草木や花、虫や鳥や動物など、野に生きる生物の見せる変化などから、少しずつ季節の移ろいを感じたりする。
気温や湿度に合わせた人々の服装の変化、巷に出回るその季節ならではの物、様々な媒体で知らされる季節の行事に関する情報などによって、よりしっかりとその季節を感じたりする。
秋が深まるのは、季節が秋であるというその度合いが深まる、ということだろう。
では、他の季節はどうなのか。
他の季節も、時の経過によって季節の度合いが深まることに変わりはないと思うのだが。
まず「深まる」という言葉を調べてみた。
更に言い換えや類義語も調べてみた。
「深まる」は「より強くなる」という意味もあるようだ。
ここで、それぞれの季節の季節らしさをより強く感じられる頃合いを考えてみる。
春は、温かな眩しい光が降り注ぎ、色とりどりの花が咲き乱れる頃が、より春らしいと思われる。
夏は、空には入道雲があり太陽が照りつけ、ひまわりが咲きミンミンゼミが賑やかに鳴く頃が、より夏らしいと思われる。
秋は、木々の葉が赤や黄色に色づく紅葉の頃が、より秋らしいと思われる。
冬は、冷たい風が吹き、降る雪に景色が白く染められる頃が、より冬らしいと思われる。
この四季の中で秋だけが、終わり頃である晩秋の状態をより秋らしいと感じる。
紅葉は地域によって見頃である時期が異なるが、11月上旬から12月上旬の頃が多く、秋になってもしばらくは、しっかり秋らしいと感じられる紅葉を味わうことはできないのだ。
そのため、古来より日本人は、秋らしい紅葉のイメージを思い描きながら、その時期に至るまで、じわりじわりと少しずつ秋らしさが強まって行くのを待って過ごす、という感性が養われたのではないだろうか。
秋以外の他の季節も、時の経過によって季節の度合いが深まることに変わりはない、と思っていた。
しかしあらためて考えてみると、秋以外の他の季節は、時の経過によって季節らしさの度合いが強まったとしても、その後弱まっていた。
秋だけが、終盤にクライマックスがあるのだ。
そんな中で、晩秋を好ましく思ってじっくり待つ気持ちから、秋という季節だけに、「深まる」という表現が生まれたのかもしれない。
今年のように猛暑酷暑が続き夏が長引いて、秋が遅く来て冬が例年通りに来る季節の移り変わりになると、短い秋においてはあまりじっくり待つことなく晩秋を迎えるようになるのかもしれない、とも思う。
それでも、移り変わる季節を敏感に感じ取り様々な表現を生み出して来た日本語の心を大切にしながら、創作活動に活かして行きたいと思うものだ。
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