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私の性格説明書 〜近しい人をどう見るか〜
何事にも例外はあります。
ただ「ひとつひとつ見て例外を探すメリットよりも
おしなべて一律で判断する効用のほうが大きい」と
判断することは往々にしてありますよね。
統計判断とはそういうものです。
たとえば私が言っている
「女性はある程度以上親しくなると自分にマイナスをもたらす」というのは
正確に言えば「結果的にそういうパターンが多い」というだけの話です。
「自分はそうじゃない」と言った人でも
私は生きるスピーカー。 自分が発する声はない
私の本質というか本懐というか、
それはやはり「メッセンジャー」であり、
「スポークスマン」なんでしょうね。
代弁者であり伝達者。
幼少から自分が周囲に求められる役割であり、
自分もまたそうあることで人の役に立ちたいと
あらためて思うのです。
私はやはり表現者ではない。
「人の声を引き出し、大きくすること」が
生涯かけて私のやり続けたいことです。
しかし、
「自分は代弁者であり伝達者であり、
生まれたときは、幸せでした。
はい、どうでしょうかこの写真。
ひまわり畑でちょっとムスッとしながらピースサインをする子ども、
平和な一枚ですね。なにを隠そう、これが幼少期の僕です。
僕はこのときのことを覚えていないのですが、
たしか2〜3歳のときにどこかのお出かけ先で
母に撮ってもらった写真だと思います。
父は医師、母は書家、祖父はもともと浄土宗の僧侶であり
僕が生まれたときは医師だった。
父の弟、つまり僕
詐欺にあった父、崩壊する家庭(思春期)
皮膚科医師であった父は、病院勤務を経てから
民間の美容クリニックで執刀医として勤務、
「もっと自分の美しさに自信を持って輝く女性を増やしたい」と
日々仕事に精を出していました。ですが父は、
「雇われの身ではやはりベストは尽くせない」との考えで
自分の店を出すことにしました。
最初こそ独立への不安で家族や親戚にも反対する人はいましたが、
父の努力の甲斐あって僕は勉強をして私立中学に進学
歪んだ正義、 やわらぐ心
激しいスポーツに打ち込むようになり、
きついトレーニングにも耐えて体を鍛えるようになった中学・高校時代。
「世の中やるかやられるか、スキを見せれば足元を掬われる」
という考えは変わらず、その思想は友人関係にまで影響していました。
いま思うと非常に滑稽なのですが、当時は学校の先生や同世代の友人にすら
「この行為にはなにか打算や悪意が潜んでいるのではないだろうか」
という考えを持ち、常にう