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思い出は美しすぎて feat.ギネス認定ソーキそば職人|Report
マインドフルネス〜
何も足さず何も引かず、次の沖縄そばの変化についての追憶エッセイを読んでみてほしい。
今晩の話題/名物そば
そばを食べながら、ふと以前のそばは、もっとうまかったのではないかと思うことがある。そば通と自称する人や街のもの知りに聞くと以前の方――とりわけ戦前はうまかったと判で押したような返事。和洋食、中華料理をはじめ、本物かどうかはさておくとしてあらゆる国の料理があふれるこのごろとは違い、貧しい食生活の中で、そばは特殊なものであり、外食の主役であった。安いのも魅力、自家製ではどうしても出せない味が庶民の味覚をとらえた。
時代の移り変わりとともに、名称、中身、味なども変わってきたようだ。今流と昔ふうでは盛り方ひとつとってみても大きく違う。どんぶりに盛り上げて汁は八分目ぐらい、汁は見えないのがふつうだった。いまは「汁ぼんぼん」でラーメンふうになってしまった。
名物に仕立てようと地名をかぶせるのもはやり、名護そば、与那原そば、八重山そばだとか、ばく然としている。戦前の那覇では「萬人屋」「井筒屋」「ウシマーそば」など有名店があり戦後も一部同名の有名店が復活して懐かしがられたものだが、ほとんど姿を消してしまった。昔を知るそばファンにとっては寂しいことだろう。
古い話のついでにもう一つ。以前はそばといえば沖縄そば(ウチナーソバ)で、改まってことわることはなかった。むしろ蕎麦(そば)を日本そばといって別扱いにしたものだという。県外から多数の観光団もくることだし「沖縄そば」の看板を出すのは一つのサービスであろう。
今日の論点は主に第一パラグラフにある。
最初に言っておこう。人間の味覚は加齢によって変化する。
まず味蕾の変化だ。人間の味覚は舌にある味蕾によって感知されるが、その数は加齢とともに減少し、特に苦味や甘味の感覚が鈍化する傾向にある。研究では、60歳以降は味蕾の再生能力が低下し、味覚感度が減退するらしい。
唾液分泌の減少も見逃せない。唾液は味を溶解させて味蕾に届ける役割を果たしており、分泌の低下が味覚の鈍化につながる。また、加齢に伴う嗅覚の衰えが、味覚の変化をより顕著にする要因となる。
一般的に歳をとると、若い頃好きだった濃い味付けが重たく感じられるようになり、よりさっぱりしたものを好むようになる。さらに歳をとると、逆に甘味や塩味が感じにくくなり、より濃い味付けを求めるようになることがあるともいわれる。
そう前置きしたうえで記事をふりかえると、戦前のそばが「うまかった」とする評価は、個人の記憶や情緒に強く依存している可能性があるといえよう。高齢者が過去の味をより美味と感じる背景には、味覚の感度低下だけでなく、ノスタルジアが影響していると考えられる。例えば、戦前はそばが貴重な外食機会であり、単なる味覚以上の象徴的な存在だったことは忘れてはならない。つまり、記憶は美化されうるのだ。
そばが憧れの外食だったというのは、次の投稿記事にもみてとれる。国を守って戦ったのだから、おおいに美化してもらおうではないか。
茶のみ話/ソバ余話/仲田栄松
ある人はイナガ、スバスバイレー、ナカヤターガ、カムガ。(ミナガソバソバ言うと、ナカはだれが食うのか)と冗句を投げたが、ウチナーンチュは総じてソバ好きのようである。<略>
ともあれ、戦前の貧食時代は、ソバにあり付くこと年に一度か二度だった。したがってソバをたら腹食べれる身分になりたい、とは共通の心情であった。また、出征を前にした村の青年たちは、ソバを腹いっぱい食べて惜しみなく戦場へ行きたいとして、もらった餞別のすべてをソバ代にはたいた。なかには名こそ残そうと、一尋(ひろ)に並べたソバ(八丁)を平らげた物食武士もいたのだ。(那覇市首里末吉町三ノ七七ノ五)
たぶん高齢者にも人気のそば屋「我部祖河食堂」(名護市)
沖縄そばの名店として有名で、伝統的な味を守り続けているのが魅力です。特に三枚肉やソーキの調理が丁寧で、長年親しまれてきた「昔ながらの味」が常連さんを惹きつけています。創業者の金城源治さん(95歳)と妻の文子さん(97歳)がいまも現役で働いており、このほどギネス世界記録(夫婦の年齢を合わせて192歳267日)に認定されています。
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出典:沖縄タイムス