幽霊は夏の季語?
初めに
幽霊の正体見たり枯尾花 横井也有
誰もが知るこの句は江戸俳人の横井也有(よこいやゆう)の句であり、元句は幽霊でなくばけものであったが変化して伝わったものだそう。
この句の季語は言うまでもなく枯尾花(三冬)であり、もし幽霊が夏の季語であるならば、この句は季重なりの句ということになる。では「幽霊」は季語では無いのだろうか。夏も終わりであるが、徹底的に考察していく。
歳時記の中の「幽霊」
まずは歳時記から見ていこう。私の調べる限り、夏の季語として幽霊が掲載されている歳時記は『現代俳句歳時記』(現代俳句協会編)のみであった。曰く、心理的な涼しさを詠めれば季語として機能するそうだ。これはどういうことか。他の季語の例から考えていこう。
例えば「龍淵に潜む」が季語と言われても、俳句を知らない人からすれば、なんのこっちゃとなるだろう。しかし「龍淵に潜む」は扱いにくくはあるが、秋の季語なのである。例句を見ていこう。
らうめんの淵にも龍の潜みけり 青山茂根
秋は水中に身を潜めるとされる龍のように、ラーメンの縁にも描かれた龍がいたという庶民的な気付きと、ラーメンの温かさが持つ秋のイメージが、この句を紛れもなく秋の句にさせている。
この句のように「直感的に分かり難い季語」+「季節を感じる季語でないもの」を抱き合わせる手法は、幽霊の句にも通づるものがあるかもしれない。
コカ・コーラ持つて幽霊見物に 宇多喜代子
コカ・コーラをソーダ水(夏)の子季語と捉えることもできなくはないが、この句の主題はインパクトのある幽霊であるように感じる。
この句の場合は「コカ・コーラ」と「幽霊」の持つ夏のイメージが、心理的な涼しさを生んでいると言えるだろう。他の幽霊の句はどうだろうか。過去のNHK俳句の兼題「幽霊」の特選を見ていく。
NHK俳句の中の「幽霊」
夏井いつき選
一席
目を縫い潰したる幽霊に朝陽が差して白い 川口誠司めをぬいつぶしたるゆうれいにあさひがさしてしろい
何だこの恐ろしい句は。朝になれば幽霊は消えていくのが怪談噺の鉄板だが、この幽霊は目を縫い潰されているが為に朝が来たことが分からず、延々と現世を彷徨い続けるのだろう。十分すぎるほどの心理的な涼しさがあるが、幽霊を主題とした涼しさを得るためには17音を超える必要があった…と言われると痛い。
二席
引潮や幽霊の列ゑんゑんと 森丘信行
ひきしおや/ゆうれいのれつ/えんえんと
旧仮名遣いがまるで、海へと伸びる幽霊の列のように見える。彼岸へ帰ってゆくのか、はたまた此岸へ向かってくるのか…
🌊🌊🌊ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ🏠🏠🏠
こんなイメージを持った。
三席
抽斗に蜘蛛の幽霊飼うてをる 内藤羊皐
ひきだしに/くものゆうれい/かうておる
秘密に引き出しの中で飼う蜘蛛が、この世のものでないことに主人は気付いているのだろうか。蜘蛛を飼うには生き餌がいるが、蜘蛛の幽霊にはどの様な餌をあげているのだろう。蜘蛛(夏)との季重なり。
「幽霊」の季語としての弱さ
これまで季語としての「幽霊」を用いた秀句を挙げてきたが、実態のない幽霊が季語として成立するかは未だに疑問が残る。夏井いつきも「幽霊は一年中出るのではないか」と某バラエティ番組で言っていた。(ブランコも冷蔵庫も年中あるが季語なのに!)
正岡子規も幽霊を使った句として
幽霊の出る井戸涸れて雲の峯 (雲の峯)
短夜の幽霊多き墓場かな (短夜)
幽霊ノ如キ東寺ヤ朧月 (朧月)
など多くの句を残しているが、季語として「幽霊」を使った句はひとつたりとて無い。もちろん子規は季重なりないし季語なしを恐れる俳人でもない。子規が「幽霊」を夏の季語とすることに反対(眼中にすらなかったかもしれない)だったことは疑いようがないだろう。そして、「幽霊」が季語として成立するには、一句の中で「幽霊」を季語とした、紛うことなき名句の誕生が絶対条件であるということは
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
を生み出し「万緑」を新たな季語とした草田男の例を見るに間違いない。そろそろ結論が見えてきた。
「幽霊」から考える季語の本質
季語に認定機関は存在しないが、歳時記や季寄せに掲載されることでおおやけに認められることは、季語として一人前という証だろう。「幽霊」を季語とするには、今を生きる我々俳人が、「幽霊」を主たる季語とした堂々たる名句を生み出していくこと以外道はない。これは季語「幽霊」に限らず全ての季語に言える話であることは無論である。
夏井いつきの著作に「絶滅寸前季語辞典」があるが、読み返す度に責められているような気持ちにさえなる。詠んでくれる俳人がいなくなれば、季語はこの世界から絶滅してしまう。季語という生き物の保全と新種の発見は、今を生きる私たち俳人の責務だ。私たち俳人は、季語という生き物を専門とした生物学者なのである。
終わりに
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございます。ぜひあなたも「幽霊」で一句考えてみては如何ですか。質問や感想はコメントによろしくお願いします。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?