アナログ派の愉しみ/本◎尾崎紅葉 著『金色夜叉』
だれもが真人間で
いられなくなった時代に
尾崎紅葉の『金色夜叉』については未完の大作と説明されるのがつねだけれど、本当にそうだろうか? わたしは疑問なのだ。もしもそんな決まり文句のために、まるで欠陥品かのように受け止められて読まないひとがいたら惜しいと思う。
紅葉は東大在学中に読売新聞社に入って以降、『三人妻』『多情多恨』などを発表して流行作家となり、29歳のときに満を持して『金色夜叉』に取りかかった。その経過を辿ると、読売新聞1897年1月1日から翌年4月1日にかけて「金色夜叉」「金色夜叉後篇」「続金色夜叉」が連載され、単行本の前篇・中篇・後篇にまとまる。そして9か月ほど間を置いて、1899年1月1日から「続々金色夜叉」「続々金色夜叉後篇」が書き継がれたものの、著者の急逝により1902年5月11日をもって中絶に終わった。したがって、未完であるのは事実にせよ、この作品が絶大な人気を博し、連載中に早くも舞台で上演されたことを踏まえれば、本来は前篇・中篇・後篇で完結のはずだったものが、ブームに背中を押されて「続々」に着手したと考えてもあながち不自然と言えないのではないか。
もう少し具体的に見てみよう。前篇では、優秀な学生の間貫一は寄寓先の鴫沢家の娘・宮と許婚の仲だったにもかかわらず、彼女は銀行家の倅に見初められダイヤモンドの指輪に目が眩んで求婚を受け入れてしまう。かくして、貫一は熱海の海岸で宮を待ち伏せ、来年の今月今夜になったら「僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから」との名セリフを吐くのだが、そのあとも相手の翻意を促してこんなふうに言い募る。
「雀が米を食ふのは僅か十粒か二十粒だ、俵で置いてあつたつて、一度に一俵食へるものぢやない、僕は鴫沢の財産を譲つてもらはんでも、十粒か二十粒の米に事を欠いて、お前に餒(ひもじ)い思を為せるやうな、そんな意気地の無い男でもない。若し間違つて、その十粒か二十粒の工面が出来なかつたら、僕は自分は食はんでも、決してお前に不自由は為せん。宮さん、僕はこれ……これ程までにお前の事を思つてゐる!」
こうした懸命の説得も無に帰して、貫一がついに宮を足蹴にする劇的な場面を迎えるわけだが、それはともかく、ここでかれが依拠しているのは封建時代の農業経済にもとづく金銭感覚に他ならない。清貧の思想と言ってもいい。しかし、宮の裏切りに深く絶望した貫一は、世間に出ると高利貸しの手代となって悪辣な所業を積み重ねていく。ドストエフスキーの『罪と罰』(1866年)においては、ラスコーリニコフが金貸しの老婆を殺したのに対し、寛一はみずからが金貸しとなることで世界と折りあいをつけようとしたのだ。
後篇のクライマックスでは、貫一は債権者から半死半生の目に遭わされ、また、当の高利貸しも屋敷に火を放たれて焼死してしまう。すると、その息子はこれを悪行の報いと受け止めて、手代の貫一にも「真人間になってくれませんか」と迫るのだが、かれはこんな意味深長な言葉を返した。
「今更真人間に復(かへ)る必要も無いのです。〔中略〕こんな商売は真人間の為る事ではない、と知つてゐながらかうして致してゐる私の心中、辛いのでございます。そんな思いをしつつ何為(なぜ)してゐるのか! 曰く言難しで、精神的に酷く傷(きずつ)けられた反動と、先づ思召して下さいまし。私が酒を飲めたら自棄酒でも吃(くら)つて、体を毀して、それきりに成つたかも知れませんけれど、酒は可(い)かず、腹を切る勇気は無し、究竟(つまり)は意気地の無いところから、こんな者に成つて了つたのであらうと考へられます」
相変わらず宮への恨みを引きずっているようだが、ここにあるのはもはや封建時代の素朴な金銭感覚ではない。日清戦争後に本格的な産業革命に突入した日本は、ようやく近代資本主義の怒涛に呑み込まれようとしていた。いまやカネのほうが主人となり、とうてい十粒か二十粒の米では済まされない金銭感覚に支配されて、だれもが真人間ではいられない。貫一の叫びはそんな時代の到来を告げるものだったろう。果たして、以降、日本じゅうが雪崩れを打って「金色夜叉」と化していく……。
カネというものを凝視した稀有な作品。こうした観点に立つとき、前篇・中篇・後篇のあとに、貫一が次第にカネと和解して真人間に立ち返ろうとする姿を描く「続々」は無用だとわたしは思うのだが、どうだろうか?