アナログ派の愉しみ/音楽◎伊福部昭 作曲『交響頌偈「釈迦」』
お釈迦さまと
ゴジラが出会ったら?
面妖なCDである。1989年4月8日に東京・五反田の簡易保険ホールで小松一彦指揮/東京交響楽団が行ったコンサートの記録だ。オール伊福部昭プログラムはけっこうとしても、先に『SF交響ファンタジー第1番』が演奏されたのに続いて、お釈迦さまの誕生日の「花まつり(灌仏会)」にちなみ新作の『交響頌偈「釈迦」』が披露されたのだから、その組み合わせについ首をひねりたくなる。
だって、そうだろう。あの有名なゴジラの主題からはじまり、モスラ、ラドン、キングギドラ……なども入り乱れて戦いを繰り広げる、一連の怪獣映画シリーズの音楽によって編まれた『SF交響ファンタジー第1番』が強烈なインパクトを撒き散らしたあとで、お釈迦さまをテーマとする音楽を持ってくるなんて。あまりにも大きなギャップに、せっかくの初演の影が薄くなってしまいかねない、前プロにはもっと落ち着いた楽曲を配置したほうがふさわしい、と考えるのがふつうではないか。ところが、そんな懸念は見事に覆されるのだ。
そもそも、世界三大宗教のひとつ、仏教の開祖たるお釈迦さまそのひとをオーケストラで描写するという、そんな蛮勇を持つ者は伊福部以外においそれと存在しないだろう。しかも、これが初の取り組みではなかった。過去にバレエ音楽『人間釈迦』(1953年)や三隅研次監督の映画『釈迦』(1961年)の音楽にも手を染めているから、よほどこだわりを持っていたのに違いない。そうした実績も踏まえて、おのれの信仰心のありようを集大成するかのように制作されたのが、この三管編成のオーケストラに男声・女声の合唱団も加わった巨大な楽曲だ。
『交響頌偈「釈迦」』は三つの楽章から成り立つ。第1楽章は「カピラバスツの悉達多」の標題のもと、北インドの城主の家系に生まれたお釈迦さまが、人間の背負う生老病死の苦しみを乗り越えるために、安楽な生活を捨て出家するまでの前半生が描かれる。第2楽章「ブタガヤの降魔」では、苦行6年を経たのち、菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦さまに悪魔たちが戦いを挑んだのを斥けて、第3楽章「頌偈」では、ついに真のブッダ(目覚めたひと)となったことへの賛美が音響の大伽藍をともなって捧げられるのだ。
全体のクライマックスが、第2楽章の悪魔との壮絶な闘争にあることは言うまでもない。お釈迦さまの前に現れたかれらは、まず男声の激しい合唱で煩悩に支配された俗界へ引き戻そうとし、ついで女声の艶やかな合唱が肉の快楽を迫ってくる。これらの誘惑が失敗に帰すると、いよいよ男声と女声が阿鼻叫喚をなす大合唱によって総攻撃が切って落とされる……。伊福部のただならぬこだわりは、それらの章句をあえてパーリ語でうたわせていることからも窺い知れよう。
その古代インドの言語でまとめられた最古の仏典『スッタニパータ』は、悪魔と対峙したお釈迦さまの言葉をこう伝えている。
「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、/わたくしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい」(中村元訳)
善なるものの真っ向からの否定。こうした厳しい態度は一体、どれだけの葛藤の積み重ねを経てもたらされたものだろうか。それからすれば怪獣どもの戦いなど、しょせん児戯のたぐいに過ぎず、いわば素朴な煩悩のいさかいを前奏曲としたことで、お釈迦さまの出家からブッダへと至る過程をいっそうドラマティックに際立たせる効果があったろう。先の言葉のあとにはつぎのように続く。
「わたくしには信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたくしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?/(はげみから起る)この風は、河水の流れをも涸らすであろう。ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。/(身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。/わたくしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているのであるから、わが心は諸々の欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかんなことを」
血を吐くような独白の底に、なんと強靭で気高い精神が息づいていることか。肯定されているのは徹底した苦行ではなく、それと対置すべき心身の徹底した清浄さなのだ。ことここにきわまったときに、悪魔の化身として立ち現れたゴジラもまた、お釈迦さまの力によって菩薩の輝きを放つような錯覚に襲われるのはわたしだけだろうか? 人間の思惟をはるかに凌駕した境地を音楽だから表現できる、この『交響頌偈「釈迦」』はそうした確信にもとづいて生みだされたものだと思う。