アナログ派の愉しみ/映画◎スティーヴン・キング原作『スタンド・バイ・ミー』&宮本 輝 原作『泥の河』

その夏、少年は
世界の神秘と出会った


アメリカと日本のふたりの作家、スティーヴン・キングと宮本輝のあいだにはのっぴきならない共通項がある。両者とも1947年生まれであること、そして、ともに少年期を主題にした短篇小説を書き、かつ、それらを原作としてつくられた映画のいずれもが大傑作となったことだ。前者がロブ・ライナー監督の『スタンド・バイ・ミー』(1986年)、後者が小栗康平監督の『泥の河』(1981年)とは言うまでもないだろう。

 
『スタンド・バイ・ミー』の舞台は1959年の夏、オレゴン州の田舎町。原作者を投影した主人公のゴーディ(ウィル・ウィートン)は12歳。ある日、放課後に遊び仲間のバーンから思いもかけない提案が持ちだされる。

 
「死体を見たくないか?」

 
なんでも町の不良たちが盗難車でドライブ中、3日前からブルーベリー摘みに出たきり行方不明で目下大騒ぎになっている少年の死体を森の向こうで見つけたらしい。そんな密談をしているのを盗み聞きしたというのだ。そこで、ゴーディはガキ大将のクリス(リヴァー・フェニックス)と相談し、バーンと、もうひとりの友人テディも加わって4人だけで、だれにも告げず往復2泊3日の死体探しの旅に出ることに……。

 
一方の『泥の河』の舞台は1956年の夏、大阪の河口近くの町。原作者を投影した主人公の信雄(朝原靖貴)は9歳。川べりで人足たちを相手にする食堂のひとり息子で、ある日、見ず知らずの同い年の少年・喜一(桜井稔)と知りあう。かれは最近対岸に停泊するようになった宿舟に母親と姉とともに貧しい暮らしを送り、小学校には通っていなかった。大人たちはその舟を「廓舟」と呼んで、母親が身を売るための客引きを喜一がやっていると噂したりするなかで、ふたりはたがいに手と手を差し伸べるようにして交流を深めていく……。

 
こうして眺めてみると、少年が夏の季節に友だちとそれまでの日常から足を踏みだして未知の世界と出会うという、基本の枠組みは通底することが明らかだろう。しかし、スクリーンから受け取る印象にはかなりの隔たりがあって、前者がまばゆい青空ときらめく星空の輪郭が明確な風景なのに対し、後者はじとじとと降り続く雨や灰色の夜闇に閉ざされた輪郭がはっきりしない風景となっている。それはカラー映画とモノクロ映画の違い、広大無辺のアメリカ大陸と極東の島国の風土の違いといった事情の他に、太平洋戦争からまだ10年あまりの月日しか経っていない時代にあって、戦勝国と敗戦国の精神風景の違いも色濃く反映していたはずだ。

 
そのうえで、もうひとつ、どちらの映画に重なるところを指摘したい。死。先述のとおり、『スタンド・バイ・ミー』ではゴーティと仲間たちはハナから死体に導かれてはるかな森の向こうへ旅立つわけだが、『泥の河』のほうでも信雄は荷馬車引きの男の事故死、河に舟を浮かべたゴカイ採りの老人の溺死を目の当たりにすることが重要なモティーフとなっている。それだけではない、宿舟の窓を覗き込んで偶然、喜一の母親(加賀まりこ)のうえに覆いかぶさった刺青の背中を目撃したときも、かれには凶々しい死体と映ったのではないか。

 
「お化け鯉や」

 
運命の糸に操られて出くわしたふたり。土砂降りのなか、橋の欄干に並んで泥の川面を見下ろしながら、信雄に向かって喜一はそう告げて巨大な魚影が浮かびあがる。「だれにも言うたらあかん。絶対秘密やで」。お化け鯉とはまさに死のメタファーに他ならない。少年は死を媒介とすることで世界の神秘へと分け入っていく――。その不気味なヴィジョンこそ、スティーヴン・キングと宮本輝とのあいだの最ものっぴきならない共通項だとわたしには思えるのである。
 

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