アナログ派の愉しみ/映画◎小林正樹 監督『東京裁判』
大川周明が東條英機の
禿げ頭をひっぱたいたワケ
息つく間もない、とはこうした映画を指して言うのだろう。小林正樹監督のドキュメンタリー『東京裁判』(1983年)だ。わたしが今度鑑賞したのは3回目となるが、40年前に初めて観たときと変わらず、しばしば呼吸するのも忘れて咳き込んでしまった。満州事変から支那事変、太平洋戦争まで17年8カ月におよぶ日本の戦争行為が裁かれた東京裁判(極東国際軍事裁判)の全容を、当時の記録映像にもとづき再現したこの作品は、後世のわれわれにとってまさに国宝級の遺産ではないか。
1946年(昭和21年)5月3日、戦犯容疑者28名を被告として開廷したのち、裁判管轄権をめぐってアメリカ人弁護団による「もし真珠湾攻撃を犯罪というなら、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下も犯罪ではないか」との異議申し立てにはじまり、ソ連から連行されてきた元満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の「私は日本軍部のロボット同然であり、自分自身の手も口も持っていなかった」という証言(のちに自伝において偽証だったと告白)、また、元関東軍作戦参謀・石原莞爾が病気のため山形県で開かれた臨時法廷において「満州建国を立案した自分が戦犯として法廷に召喚されないのは不思議だ」とうそぶくありさま……などなど、度肝を抜くような場面がめまぐるしく続いていく。
いちばんのクライマックスは、最終局面でのキーナン首席検事と東條英機元首相のあいだの天皇の戦争責任をめぐる応酬だろう。GHQ(連合国最高司令官総司令部)のマッカーサー元帥の指示で天皇免責を方針とするキーナンは、それをウェッブ裁判長以下に納得させるためにあの手この手を使い、ようやく東條の口から「私の進言、統帥部その他責任者の進言によって、しぶしぶご同意になったというのが事実でしょう。陛下は最後の一瞬に至るまで平和のご意思を持っておられまして、なお、戦争になってからも然りです」の言葉を引き出して政治目標を達成するのだ。かくして東京裁判は1948年(昭和23年)11月12日、東條ら7名の絞首刑をはじめ全被告への有罪判決をもって結審する……。
ことほどさようにすべてが歴史的瞬間といっても過言ではないドキュメンタリーにあって、わたしが最も注目したのは、開廷初日の検事側の起訴状朗読のさなか、被告席の大川周明がいきなり手を振り上げて前列に座る東條の禿げ頭をひっぱたいたシーンだ。もとよりこのエピソードは広く人口に膾炙して、当代最高の知識人といわれた人物の突拍子もない行動は狂気なのか狂言なのかと論議を呼び、現在まで決着を見ていない。しかし、その情景をあらためて目のあたりにして、わたしは第三の解釈がありえるのではないかと思い当たったのだ。
「ユーモアに関しては、もう一つの〔中略〕より重要な場合のことを想起したい。それはすなわち、ある人間がユーモア的な精神態度をわれとわが身に向け、それによって自分にふりかかってくるかもしれぬ苦悩を防ごうとする場合である」(高橋義孝訳)
これは精神分析学者フロイトの論文『ユーモア』(1928年)の一節だ。かれはユーモアには本来、機知や滑稽と同じく、何かしらわれわれの心を解放させ、大らかに魂を高揚させるものがあるが、それだけにとどまらず、ときにはより深いところで精神病理的な傾向を帯びることもあると指摘するのだ。あの大川の振る舞いがユーモア? 実際、そのあとに東條本人が満面の笑みを浮かべてしきりに周囲を見やっているのは、照れ隠しだけでなく、そこに相手のしたたかなユーモアを受け止めたからではないだろうか。フロイトはこんなふうに論を運ぶ。
「けれども大切なのは、それが自分自身に向けられたものであれ、また他人に向けられたものであれ、ユーモアが持っている意図なのである。いってみれば、ユーモアとは、ねえ、ちょっと見てごらん、これが世の中だ、随分危なっかしく見えるだろう。ところが、これを冗談で笑い飛ばすことは朝飯前の仕事なのだ、とでもいうものなのである」
大川はただちに法廷から連れ出されると、精神鑑定の結果、梅毒による精神障害と診断されて免訴になったことを伝えて、映画はエピソードを終えている。だが、フロイトの所説にしたがうなら、この冷徹な超国家主義者こそが初日のタイミングですでに東京裁判の危なっかしさを見抜き、あからさまに冗談で笑い飛ばしてみせたのかもしれない。わたしはそんな想像をめぐらしたくなるのである。