アナログ派の愉しみ/本◎アリストパネス著『雲』
ふわふわと中空に浮かびながら
ソクラテスは
哲学者という存在を初めて実見したのは、早稲田大学文学部に入ってまだ日の浅いころだった。新入生向けに日替わりでお試しの授業が行われ、そのなかの哲学のコマに出席したのだ。いよいよ世界の深奥への扉を開けることに胸躍らせながら……。講師は、樫山欽四郎教授。ドイツの近世哲学が専門で、とりわけヘーゲルの研究に実績を残したが、当時のわたしにそんな認識があるはずもなく、むしろ『おはなはん』の女優・樫山文枝の父親に対する興味のほうが大きかったように思う。
そのとき樫山教授が開陳した話の大半は忘れてしまったけれど、ひとつだけはっきりと覚えているのは、古代ギリシアでソクラテスと同時代を生きた劇作家アリストパネスの筆になる『雲』のエピソードだ。この喜劇では、ソクラテスは吊り籠にのって登場し、ふわふわと雲のように漂いながら、あれこれと詭弁を弄するありさまが物笑いのタネとなっている。つまり、哲学者の始祖とされる偉大なソクラテスも、アリストパネスの目には口先だけのいかがわしいソフィストに過ぎなかった。そこで、教授がわれわれに告げたのは、どんなものには表と裏の見方があることを肝に銘じてほしい、と――。
『雲』(紀元前423年)の筋立てはこんな具合だ。田舎者の地主ストレプシアデスは、馬道楽の息子がさんざん借金をして四苦八苦の状態。そこで、アテナイに出てきて、息子をソクラテスの弁論術の学校に入れ、うるさい債権者連中を言い負かす技を習得させようと考える。そんなストレプシアデスの前に、中空に浮かぶソクラテスが現れると、「さよう、天空のことというものは、思想を宙に釣るし、思索を思索そのものと同類の、空気によくまぜるのでなければ、科学的に正しい仕方で発見することは出来なかろう」(田中美知太郎訳)とうそぶき、雲の精に向かってこんな祈りを捧げる。
「ああ主なる、わが君、大地を宙にささえたもう、無量のアエール(空気)よ、ひかりかがやくアイテール(エーテル)よ、稲光と雷鳴をもたらす、おそろしの女神、雲ひめたちよ、いざ立たせたまえ、これなる思案所の空高く、おん姿をあらわしたまえ」
これは一体、どうしたことだろう。哲学者の始祖どころか、いかにもイカサマの祈祷師にふさわしい弁ではないか。樫山教授は論文『否定の論理』(1970年)で、その謎をつぎのように解き明かしてみせた。
「アリストパネスが、ソクラテスに、雲の女神に呼びかけさせているのは、深いイロニーである。それはソクラテス自身の内面の『空』に浮かんだ反映だからである。雲はとりとめなき思索の動きを現わすのには格好なものだからである。そこには内的な法則もなく、雲と同じようにゆれ動き、形を変えるものがある。〔中略〕だから真実なるものは、いかなる述語をももってはいない。だからといって、それは主観主義であるわけではない。そうではなく、それは一つの純粋に否定的な立場である。その意味で反語を語る人は最高度に自由である。その人にとって絶対的なものは無である。反語の人は完全な個人性の略語である」
少なからず難解な印象なのは、時代の違いのせいもあるだろう。1950年代から70年代にかけて、安保闘争の暴風のただなかで大学のキャンパスがイデオロギーと暴力に翻弄された時代にあって、樫山教授は哲学者として、ひとつの言説だけが絶対的真理ということはありえない、必ずそれを否定する言説が表裏をなしているわけで、アリストパネスがソクラテスに仮託したのはそうしたごく当たり前の事情だ、と力説しているのだ。かくして、あの春の日の午後、新入生のわれわれに対しても、ひとつの言説に呑み込まれず、つねにその表と裏を見据える「反語の人」となるよう訴えたかったのだろう。
後日、さっそく哲学の履修を申し込んだのはもちろんだが、非常に残念なことには、樫山教授は間もなく病床に臥して一度の出講もないまま世を去られた。したがって、偶然にもお試しの授業が最終講義となり、学生たちへの貴重な遺言となったのである。それを肝に銘じたことにより、以降、わたしはひとつの習性が身についてしまう。世界の指導者から日本の政財界の要人、ひいては自分がかつて仕えた職場の上司まで、エラそうな言説をのたまう連中を目にするたびに、アリストパネスが描いたソクラテスよろしく、だれもかれも雲にのってふわふわと浮かんでいるように見えて……。
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