アナログ派の愉しみ/映画◎熊井 啓 監督『海と毒薬』

いつか罰を受けるやろ
え、そやないか?


「ばってん、俺たち、いつか罰を受けるやろ。え、そやないか?」

 
医学部研究生の勝呂(奥田瑛二)が夜の闇のなかでタバコを吸いながら、そう問いかけると、同僚の戸田(渡辺謙)はせせら笑って答えた。

 
「罰って世間の罰か? 世間の罰だけやったら何も変わらへんで。俺もお前もこんな時代のこんな医学部におったから捕虜を解剖しただけや。俺たちを罰する連中かて同じ立場に置かれたら、どうなったかわからへんで。世間の罰など、まずまず、そんなもんや」

 
熊井啓監督の『海と毒薬』(1986年)の場面だ。周知のとおり、遠藤周作の同名小説(1957年)が原作のこの映画は、太平洋戦争下で実際に起きた事件をモデルとしている。1945年(昭和20年)5月、福岡市の九州帝国大学(現・九州大学)医学部において、軍部の指示により、アメリカ軍捕虜8名を生きたまま解剖実験して死に至らせるという「生体解剖」が行われたのだ。主人公の勝呂は、その現場に助手として立ち会った直後、抜き差しならぬ罪悪感に苛まれて冒頭の問いかけにつながった。

 
これに対して、ニヒリストの戸田は「世間」を対置させる。かれら捕虜は本土空襲に飛来して無辜の市民を殺害した重罪犯であり、一方で「生体解剖」は代用血液の開発や結核の治療法の確立などを目的とし、将来的に多くの人命を救うためのものであってみれば、「世間」のどこに罰の入り込む余地があるだろうか。

「神」が存在しないかぎりは――。

 
カトリック作家だった遠藤のテーマがそこにあったことは言うまでもない。戦後10年あまりのタイミングで発表された原作小説では、全編にわたっていまだ生々しい戦争体験が息苦しいまでに渦巻いて、その不条理への著者のまなざしは「生体解剖」にとどまらず、キリスト教国のドイツのユダヤ人虐殺や、アメリカの広島・長崎への原爆投下までも視野に収めていたはずだ。しかし、それから30年ほどの歳月が経過したのち、日本じゅうが空前のバブル景気に興じているさなかにつくられた映画では、おのずから主題が変容したように見受けられる。

 
実のところ、だれが観てもこの作品で最も強烈な印象を受けるのは、勝呂や戸田の上司の橋本教授(田村高広)が行ったふたつの外科手術のシーンだろう。かたや、美貌の令夫人の右肺の結核病巣を除去するという平易な内容だったにもかかわらず、執刀ミスによって手術中に絶命させてしまう。かたや、くだんのアメリカ軍捕虜の若い兵士を強引にベッドに縛りつけ、血管に食塩水を注入しながら最期を迎えるまで肺を切除していく。それぞれに状況がまったく異なるにせよ、教授が手にしたメスが人体の腹部を裂き、切り開かれた皮膚から内臓のなかへと分け入っていくプロセスが克明に描写され、それがありありと不安と恐怖を掻き立てるのは同じだ。小心なわたしはつくりものとわかっていても、顔をそむけずにはいられなかった。

 
かくして、原作小説ではあくまで概念上の「神」と「世間」の対立だったものが、映画でははっきりと目に見える形となって差しだされる。そこには生命をつかさどる「神」の領域に対して、医療という「世間」の論理がどこまでも侵食しようとする構図が横たわり、もはや戦争の非日常を離れて、あらゆる外科手術は「生体解剖」に他ならないとの現実認識がわれわれの眼前に突きつけられるのだ。

 
映画が公開されたのは、札幌医科大学の和田寿郎教授が執刀した日本初の心臓移植手術が失敗に終わってスキャンダルとなった事態に端を発し、人間の生と死の意味が問い返され、脳死の判定基準をめぐって医学界のみならず、世間一般までもが議論を沸騰させていたさなかのことだった。こうした状況で「神」と「世間」の対立のテーマはまったく新たな位相のもとで受け止められたことにより、毎日映画コンクール日本映画大賞、キネマ旬報日本映画ベストワン、ベルリン国際映画祭銀熊賞……など、国内外の数々の栄誉を授けられたのだろう。

 
果たして、それは過去の話だろうか? わたしはそうは思わない。つい最近(2024年5月)も、アメリカの病院でブタの腎臓を移植された患者が死亡したというニュースに接して、すぐさま勝呂の問いかけが脳裏を駆けめぐったのである。

 
「いつか罰を受けるやろ。え、そやないか?」
 

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