わたしは器が小さい(日々の切り取りエッセイ)
新しい事務所に引っ越して、
はや五か月が過ぎましたが、
くっ、またしても、、、
食に関するわたしのお話を、
今回はイラストたっぷりでご覧いただけたらと思います。
過去、引っ越し前のレンチンバトルを描いた、
「勝ったとか負けたとか」。
わたしの器の小ささを披露したお話です。
当時はレンジが一台しかなかったのですが、
今回の新事務所には、カウンターに四台のレンジが整然と並んでいて、
多少出遅れたとしても痛手を被らなくなりました。
レンジは卒業。
そして、次の課題がなんと、
レジ袋、です。
新事務所では、前日か当日の朝注文すれば、
お弁当屋さんが宅配してくれるシステムがあります。
わたしは週二回ほど、そのお弁当屋さんを利用しています。
このお弁当屋さんを、コアに利用しているのが、
わたしと四つ年下のプップさん(仮名)。
以前は課が一緒だったので、
数か月に一度グループで食事会に行く、
案外なじみの女性です。
彼女もわたし同様、よく食べる印象です。
皆さんもご存知のとおり、レジ袋は環境の観点から、
削減することが目的で有料化に。
ただし、このお弁当屋さんは、
注文した数をひとまとめにしてレジ袋に入れてくれています。
弁当がひとつであってもレジ袋はひとつ。
弁当がふたつでもレジ袋はひとつ。
弁当がみっつでも、、、
お弁当を複数頼むと、一人だけレジ袋をゲットできます。
みな、心の中では、できたらレジ袋がほしい。
なぜなら、食事後の処理がとても簡単だから。
以前の大きなビル(職場)では、
各階の廊下にお弁当の殻入れが用意されていましたが、
この新事務所はコンパクトに、
ひとつだけごみ箱が準備されています。
事務所内にあるものだから、
虫や臭いが出ないよう、
殻は外の給湯室で水に流し、
手間をかけて処分します。
ただし、レジ袋があると、
紙などに殻をくるんでレジ袋で密閉すれば、
あっという間に処分できます。
なので、できたらレジ袋はほしい。
でもわたしはなんとなく、
プップさんに譲ってしまいます。
昼休みになったら、
速攻お弁当を取りにいっていますから、
わたしに選択権があります。
プップさんに弁当だけ残して置いておくか、
プップさんにレジ袋を譲るか。
やはりわたしは目の色変えてレジ袋を奪うことはできません。
レンジは一番でないと気がすまないのですが、
それとこれとは違うようです。
なので、
常に自分の弁当だけ取り出し、
プップさんにレジ袋を譲っていました。
この「譲る」という概念は、
数年前のこの出来事が起因している気がする。
皆にほしいものを先に取らせて、
自分は余ったものでいいという美貌の人。
衝撃を受けました。
しかし、
それが数か月たってくると、
これまた話が違ってきます。
なんでいっつもいっつもプップさんにレジ袋ゆずらなならんのだろう?
という、感謝されないのに、
常に譲っていないといけない状況に、
モヤモヤしはじめます。
すると間もなく、
こんな珍事が。
たまたま、お弁当を取りに行くのが出遅れたときのこと。
今回はいよいよレジ袋ゲットできるな、と内心喜んでいたら、
なんと、プップさんは、
上の弁当を取りだし、わたしに「はい!」と手渡したのです。
衝撃でした。
普通、自分のとって袋入りを渡さんか!?
普通、人の弁当触らんようにせんか!?
いっつもレジ袋譲ってもらって、
たまには譲ろう、いつもありがとう、
というスタンスにならんか!?
と、心の中で雄たけびました。
その後、
この手の、「搾取される」という問題は、
わたしの昔からある課題で、
手を変え、人を変え、品を変え、
それはお金問題から、ソファ、レジ袋、
と、同じようなことを繰り返してきたのです。
(セラピーで気づく)
ああ、おんなじことやったと、
気づいて落とし込んで頭の中で解決したとき、
もうレジ袋など、
プップさんにくれてやらぁ、
という思いに至りました。
ここまでにくるのに、かなりセルフワークも繰り返しましたけどね!
「自分と向き合う」
「Face myself」です。
その後、
おもしろいことが。
その日、わたしはお弁当を注文してなくて、
プップさんと、ややユニークな契約社員の人が、
お弁当を注文していました。
なんと、昼休みになってすぐ、
契約社員のその彼女は、
プップさんにお弁当を取り出して渡し、
自分はレジ袋入りを平然と取ったのです。
プップさんの「え?」という表情が、
これまた見もので笑いを誘いました!
そして、また数日後、
今度はプップさんに助けられる出来事が。
もう、レジ袋、永久にやるよ、、、と、
思った出来事でした。
お恥ずかしい器の小さなお話ですが、
今ではレジ袋の行方がまったく気にならなくなっています。
そしたらわたしにレジ袋が巡ってくるときも増えたし、
不思議なもんやなと、
改めて思います。
たかが、な話ですですが、
されど、な話でした。
<メンバー紹介>
<搾取される、の番外編>
数年前、反面教師(母)と物理的に距離ができた際、
それまで友好だった友達親子の雰囲気が、
がらっと変化しました。
代表的な例がこれ ↓
レンジを待てないほどの待つのが嫌いなわたしが、
約束の時間から2~3時間待たされても何も言えなかった。
相手側の都合を配慮し、
いや、子供二人いるから大変だよね、と苛立ちを飲み込み、
自分の想いを後回しにして、ずっと我慢をしていました。
そのエピソードを当時の友達に話したとき、
「カイトさん!しっかりして!その友達親子、お母さんの役目してるよ!」
強い口調で、
わたしを覚醒させるために、
厳しく諭してくれました。
本当だ。
同じことしている。
同じパターンだ。
それでも、
根本的な解決や気づきができていなかったから、
友達親子は離れても、
また違うパターンで、
同じ課題を繰り返してきていたのでしょう。
最近見たブッダ関連のYouTubeです。
ご興味あればぜひ。
(見出し、インパクト強いですが、内容なるほどな~っと納得です)
要するに、
「親しくすべきでない友と、親しくすべき友がある」
前者は奪う友、追従する友、口先だけの友、脱落する友。
後者は助ける友、苦楽をともにする友、忠告を惜しまぬ友。
そして慈悲深い友である。
きちんと、言葉で伝え、理解してもらないなら離れ、
離れたことにより、
相手側も自分を見つめなおす機会が訪れる。
やはり、風のように去るだけではなく、
きちんと話し合うことは何よりも大切なのですね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました☺