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【くるしいときは本を読め】
はじめに
2022年9月、私は3ヶ月前とはまるで別人のように痩せ細った父の亡き骸に頬を埋めていた。
冷たい父の体とは対照的に、温かい涙が頬を伝う。
父は死んでいて、私は生きてる。
それはどうしようもない事実だった。
リビングの出窓には、父が買いだめたタバコが3箱重ねられていた。
とうとう封を開けられることがなかったそれを1つ、父の棺に入れた。
父の身体は、このタバコと共に燃えてしまう。
その瞬間、私は初めて人は必ず死ぬのだということを知った。
人生は有限で、その残り時間すら知ることは出来ない。
唐突に、これまでの自分の人生が無意味なものに思われた。
将来なにを生業としたいのかなんて考えもせずに、周りに流されて決めた大学受験に就職活動。
頭にあったのは、少しでも偏差値の高い大学に入りたい。少しでも有名な大企業に入りたいということ。
それさえ出来れば社会からはみ出さず、バカにされずに生きていけると思った。
就職したら、結婚、出産をするのが幸せ。
次はマイホーム、マイカー。
子供に何をしてあげれば、どんな自分になれば周りに良い母親だと認められるのか。そればかり考えて、急激に普及したスマホの検索画面に毎晩のように『良い母親とは?』と打ち込んだ。
しかし、大抵最後は『いかがでしたか?』で締めくくられる情報に私が求める答えはなかった。
子供のころ、本が好きだった。
父が連れて行ってくれる図書館と古本屋も好きだった。
社会からはみ出さないように。
そこに焦点を合わせるようになってから、何年経ったのだろう。
いつの間にか自分が何を好きだったのか、分からなくなっていた。忘れていた。
未開封のタバコと一緒に燃えてしまった父の骨を長い箸で摘みながら、今まで見過ごしてきた疑問が大きな壁のように自分の前に立ちはだかるのを感じた。
『人生ってなんだろう?』
『人間ってなんだろう?』
『生とは?死とは?』
『私ってなんだろう?』
『幸せってなんだろう?』
こんなこと、考えても仕方ないことなんだろうか。
これまでの自分がそうだったように、周りにこんなこと考えながら生きてる人はいない気がした。
そんな話、誰ともしたことがない。
自分が何者かなんて考えることもなく、学校に流され、会社に流され、家族、友人、社会に流されながら生きる。
時に人生が上手くいかないことを、学校、会社、家族、友人、社会のせいにしながら。
今思えばそれはそれで悪くない。
そんな風に生きるのは、楽と言えば楽だった。
でも、ひとたび頭に浮かんでしまった疑問と、気がついてしまった時間の有限性を、無視することはもはや不可能だった。
気がついてしまったら最後。
自分なりの答えを探す以外、道はないように思われた。
もう以前の自分には戻れない。
子供が生まれてから、図書館には定期的に通った。
ただしそれは『良い母親』としての務めのためであって、自分が図書館を好きだとか本が好きだとか、そんな理由であってはいけないと思っていた。毎度迷うことなく絵本.児童書コーナーに直行し、どっさりと絵本を借りて私の『良い母親欲』は満たされていた。
でも父の骨を拾った数週間後、私はほとんど無意識に絵本コーナーとは逆方向の棚に向かっていた。
気がつくと、何冊かの本を手にしていた。
自分のために、本を手に取ったのは何年振りだったろう。
まるで本に呼ばれたみたいだった。
それから、私は貪るように本を読んだ。
インターネットでは見つけられなかった答え、誰とも議論できなかったこと。
ーそして、あの日以来ずっと頭をもたげていた、いくつかの疑問。
本は、多くのヒントを私に与えてくれた。
誰にでも解決したい悩みや、苦しんでいることがあるだろう。
『人生ってなんだろう?』と誰かと議論を交わしたことがないのと同じく、『人生に何の不満もなく幸福だ。』と言っている人にも、私は出会ったことがない。
答えが一つではない問い、答えがない問いに苦しんでいる多くの人に伝えたい。
ーくるしいときは本を読め。
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続きはnoteで少しずつ更新していく予定でしたが、最後まで書いて、本のようにまとめたいと思います。
時間がかかると思いますが、出来上がったらよろしくお願いします。