自分が一番でないと気が済まない人
祖母が存命中、このnoteで言う「裏の田んぼのひろっさん」が、よくうちに来て祖母と世間話をしていました。
機嫌よく会話する仲だったのですが、ある時期から、祖母はひろっさんを煙たがるようになりました。
いわく、ひろっさんの孫のKくんが難関国立大に合格したことを自慢されるのが嫌みたいです。
いやいや、アンタがさんざんやってきたことでしょーが⬇
私も弟も国立大出身ですが、それよりKくんの大学のほうがレベルが高いので悔しいのです。
このことからもわかるように、祖母は自分が一番でないと気が済まない。
こんな姑と同居していた母の苦労は言うまでもありません。
母は近所の人からほめられるらしい。
よくあの人と一緒に暮らしてたね
みたいに。
そんなふうに勢いがあって、エネルギーが有り余っていた祖母ですが、亡くなる前の何年かはすっかり弱って、認知症も進みました。
弟が祖母に
「いけてけつかんけ!」
と声をかけます。祖母は普通に
「いけてけつかるよ」
と答えたりしてるのですが、反応がイマイチだと弟が
「電池抜けてけつかる」
とか言ってます。ガラが悪い言葉をかけながらも、弟は祖母をお風呂に入れてあげたりするので、祖母は弟のことを
「ようあったもんじょ」
とよく言っていました。弟は
「また始まった!」
と言って、まんざらでもない様子です。ちょうど私が結婚して、まず入籍とともに実家を離れる頃でした。弟が
「ねェ(姉)がもう名字違うとか難しい!」
と言うと祖母が
「簡単やしな」
と言います。おばあちゃんはわかってない、理屈ではわかっていても、感情が追いつかないとか、弟はそういう説明をしていました。
ちなみに、祖母は
「〔ゆきわ〕がいてへん(いない)」
と頻繁に言ってたそうで、弟が「おばあちゃんが一番わかってない」と言ってました。
時を経て、冒頭のnoteで書いたのですが、祖母は弟のことを父(自分の息子)だと思うようになりました。1代ぐらい、認識がずれているのです。
だから私のことも、最後の方は認識できていたかわかりません。
ただ、私が息子を妊娠中の春だったか、夫と一緒に実家で晩ごはんを食べさせてもらって帰る時、祖母は座ったまま穏やかに
「タケノコ持って帰り」
と言いました。父か誰かが、山で掘ってきたのでしょう。
それは長年生きてきた祖母の、命の言葉だったのです。