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日本に好意を持ってくれている国

少し前のことです。私はとても疲れていたのですが、何もする気が起きなくても、不思議なことに、この本を読むことだけはできました⬇

2002年に出た本で、夫が古本で入手していました。裏表紙には、

内戦、伝染病、貧困、飢餓
あらゆるいのちの闘いをつづけてきた日本人医師史上最悪の大干ばつ発生に
医師団は1年で1千本の井戸を掘り
いままた空爆後のアフガン難民に
いち早く食糧援助を開始している

と書かれています。中村哲さんって、すごい人なんですね。

アフガニスタンには親日的な人が多いといいます。その理由として、氏は次のように説明しています。

アフガニスタンの人たちが、日本というと何を想像するのかというと、日露戦争、それから広島、長崎。この三つは、どこに行ってもだれもが知っている。

アフガニスタンは一時期、外交権をイギリスに預けていたので、日本とアフガニスタンとは独立記念日が同じであると信じている人が結構いる。

どういうことかというと、これは私の説だが、いわゆる私たちが考えられる国民国家というのは、日本では明治維新以降にできたが、そういう意味での近代国家誕生の経緯が両国ともよく似ている。

その共通の経緯というのは、ロシアと欧米からの帝国主義的な外圧だった。

北方からのロシアの脅威と、南からの脅威、すなわち英米とオランダ、フランスが日本を分割支配しようと狙う危機感の中で明治維新が起きた。

はじめは幕府がフランスの援助、薩摩がイギリスの援助を受けるなど複雑なことになっていた。

もしあのまま行っていると、チモールのように日本列島にいくつか植民地ができて、関東地方の共通語はフランス語で、九州は英語ということになっていたかもしれない。

ところがその中で、当時の指導者は偉かった。日の本の国を束ね、こういう英米仏露などの夷狄(いてき)南蛮とは一致して当たらねばならぬとして、現在の日本国家というものが形成された。

この経緯が、アフガニスタンと非常によく似ている。アフガニスタンの場合、北からロシアが攻めてくる。南からはイギリスが攻めてくる。

これをパシュトゥン部族が二回にわたって撃退するという中、南北の外圧、侵略への危機感によって、現在の「アフガニスタン」という国の独自性が形成された。

成立のあり方に、多少、日本との違いはあっても、その経緯は非常によく似ていたといえる。

地理的条件も両国に幸いした。日本が極東の端にある距離的に遠い国なら、アフガニスタンは険峻なヒンズークシュ山脈という天然の巨大な要塞が容易に外国人を近づけなかった。

とくに日露戦争で日本が勝利したことはアフガニスタンにも大きな影響を与えた。

当時、インド防衛を至上目的としていたイギリスは南下してくるロシアに対抗し盛んにアフガン制服を企てていたが、日露戦でロシアが敗北したことで、当然ロシアは南下どころではなくなった。

イギリスも頑強な抵抗をつづけるアフガニスタン征服を諦めて、これを英露の緩衝国として征服の野望を放棄した。

つまり、日本とアフガンは直接の関係はなかったけれど、しかし日露戦争という思わぬ奇縁、不思議な縁というものがあったということ。

そういう意味で彼らは親近感を持ってくれている。また同時に、広島、長崎が原子爆弾の実験場にされたということで、同情と親近感を持っているのではないかと思う。

それと、やはりイスラム教国とキリスト教国は、どこかぎくしゃくしたところがあって、そういう対立とは、日本は無縁であるという点もあるのだろうと思っている。

ここまで読んで、私は愕然としました。

私、何も知らない・・・


と思ったのです。

そりゃあ、明治維新、日露戦争、広島、長崎ぐらいは知ってる。

でも、諸外国のほうが日本のことを知ってるのでは?とも思ったし、私たちって、本当のことを教えてもらってきたんだろうか?とも思いました。

高校でも日本史の授業はあったけど、2年生で世界史を選択したから詳しくは知らないとか、中学校の授業では詳しく教える時間がないとか、そういうことはあるかもしれません。

私は歴史でも何でも真面目に勉強してきたつもりではありますが、教わったにもかかわらず、私が忘れているだけかもしれません。

ただ、「日本史」という言葉自体に問題があると聞いたことがあります。諸外国では、自国の歴史は「国史」と言うそうで、そう言わない日本はどうやら独立国ではないんだとか。

ついでに言うと、右を向けば国粋主義、左を向けば自虐史観とかで、私たちはマトモな歴史を知らないのでは、とすら思ってしまいます。

私の思い過ごしかもしれませんが、社会の先生は、教えていい範囲で一生懸命、私たちに教えてくれたのかなと、思うこともあるのです。

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