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自分の見方が、すべてじゃない。1100年後の現代に、土佐日記「帰京」の“帰らぬ女子”が教えてくれること。【現役ライターの古典授業03】

もしあなたが、

「『土佐日記』って読んだことありますか?」

と聞かれたとしたら、何て答えるでしょうか。
私はぶっちゃけ、

「土佐日記? えーと・・・読んだことはある(気がする)んだけど、どういう話だったかイマイチ覚えてない

という感じだった(←一応、過去形)と思います。

もちろん、この仕事(=現役ライター教師)を始める頃には予習&研究をしたので、「ああ!あれね!あの有名なあれ」と、内容をざっくり解説できるほどにはなりました。
でも、高校古典のカリキュラム的には必ずと言っていいほど扱われる題材なのに・・・若干、影が薄いのが『土佐日記』。
『源氏物語』『枕草子』『平家物語』あたりの超強力コンテンツに比べたら、内容的にも名前的にも、インパクトが違うのかもしれません。

でも、既にご存じの方は
作者が紀貫之
女のフリをして書いた、土佐から帰る時の日記
という2大キーポイントがパッと浮かぶのではないでしょうか。

一番有名なのは、冒頭の部分です。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
――『土佐日記』冒頭より

男もする(らしい)日記というものを、女(の私)もしてみようと思って、するのである(・∀・)

お茶目な紀貫之ワールド(?)の始まり宣言。
またこの一行は、古文の助動詞「なり」の識別で非常に有用な一文でもあります。
(前半が伝聞の「なり」、後半が断定の「なり」。理由は接続が違うから)

あとは、和歌名人の紀貫之らしい言葉遊びの部分とか(陸地なれど馬のはなむけす、潮海のほとりであざれ合えり等)、最終段「帰京」の部分で詠んだ和歌の解釈をしたかな~という記憶があれば、もう十分過ぎるくらいです。

ただ、私が最終段「帰京」を読み進めるうえで「これは・・・深い!」と思ったのは、和歌と言うより、和歌に至る”手前”の部分でした。
↓↓↓

(中略)思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。
船人もみな、子たかりてののしる。
かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、(以下、和歌に続く)

↑↑↑
ここです! ここ!

ね、
深いでしょう!?

・・・え?そうでもない?

まぁ・・・そうですね。普通は読み飛ばしますよね。
高校生の私も読み飛ばしてました。

ただ、ここはしっかり掘り下げていくと、非常に気づきの多い箇所だ!と今は思います。
『土佐日記』は「言葉も文化も違う時代の話だからよく分かんない」ではなく、多様な人々と生きている現代人こそ共感できる「あるある!」なシーンだと思うのです。

では、何が「あるある!」で、授業ではどのような流れで掘り下げて行ったのか。
今回も、虚構を交えつつの関西弁で、その一部をご紹介します。

◇本日の授業:土佐日記「帰京」後半、「さて、池めいてくぼまり~」より

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じゃあ、今日は後半からやね。主人公は久しぶりの家に帰ってきたんやけど、めっちゃ荒れ果てたからショック受けてんのやったな。

んで、庭の中に入ってみる。何が見えてくるんやろ。

さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ交じれる。おほかたのみな荒れにたれば「あはれ。」とぞ人々言ふ。

ヤバいな。庭、荒れまくりやな。
「荒れポイント」3点、挙げてみよか。

■荒れポイント①:池めいて

意外にスルーすんのがここ。最初の「池めいて」。
これ、「池っぽい」ってことやな。
「めく」っちゅうのは、言葉の後ろについて「~っぽい」って表すやつや。現代語やと「春めく」とか「ときめく」とかに残ってんな。接尾語、っちゅう部類やけど、こんなんテストで聞かれることはまずない。ニュアンスさえ分かってたらOK。

けどな、考えてみ。ここ、自分の家の庭やねん。
わざわざ「池っぽい」なんて言う必要あるか?なんで「池っぽい」なんて言うたんやろな。

多分な、こんな想像できると思うねん。

そもそも池はなかったが、年月が経って地面がくぼんで勝手に池っぽい場所が出現してた
池があったが、なんか荒れ過ぎて池かどうかもわからへん状態になってた

実はどっちか分からへんのやけど、共通してんのは「庭、荒れ過ぎぃ!」ってことやな。

ほんの小さなニュアンスやけど、こういうところも見逃したらあかんねん。

■荒れポイント②:ほとりに松~かたへはなくなりにけり

これはわかりやすいな。松があったんやけど、一部分はなくなってた、って話。

特に「五六年のうちに、千年や過ぎにけむ」っちゅうのは、「松=長生き(千年ぐらい)」っていう当時の常識から出てる言葉や。

五六年しか離れてへんのに、松がなくなるとか、千年経ったんかと思うわ」っちゅう浦島太郎的な強烈な皮肉やな。

その続きで「今生ひたるぞ交じれる」ってあんのは、次の展開への布石やから、今は置いとくわ。

■荒れポイント③:おほかたのみな荒れにたれば

もうこれはまとめやな。
超訳すると「ほとんど全部荒れまくってたから」ってことや。

池がどうとか、松がどうとか、いちいち挙げるのも面倒臭くなるぐらい荒れ過ぎてたんやな。

そんな訳で、周りのやつらが「あはれ。」って言うねん。
これは「あーあ」や。「あーあ」。

「あはれ」って聞いたらすぐ「しみじみと趣深い」って訳したくなるかもしれんけど、そもそもな、「あはれ=ああ・・・」って思わず出る嘆息みたいな音を言うねん。やから「ああ、って思わず言っちゃうような状況→趣深くて『ああ。』、かわいくて「ああ♡」、気の毒で『あーあ。。。』」って意味が展開すんねんな。
で、この用例は、原義そのままの「あーあ。。。」ってことや。

みんなはまだ若いから、「自分の家が荒れる」ってことが、よう分からんかもしれん。
でもな、家ってホンマ、手入れせんかったら荒れるねん。

先生はな、小さい頃、ばあちゃんちで暮らしててん。ばあちゃん、庭の草むしりとか、畑の世話とかせっせとやってたんや。

けど、ばあちゃんが入院して、誰も庭の世話をせんくなった。
高一の時、ばあちゃんちにたまたま行ったんや。
そしたらな。

あんなに綺麗やった庭に、腰ぐらいの雑草がぼーぼー生えてた。
イチゴがなった畑も、キュウリやナスが下がった畝も、見る影もない。
ていうか行けんのや。草が凄すぎて。

ぴかぴか・ツヤツヤやった思い出が、無残な現実に上書きされてなぁ。
なんや凄く、悲しかった。

こんな中で、筆者は何を思うんやろうなぁ。次見よか。

思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人もみな、子たかりてののしる。
かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌・・・

うーん。悲しいなぁ。

やっぱなぁ。育った家は、思い出が詰まってるからなぁ。
色んなこと思い出すねんなぁ。

特に「この家にて生まれし女子」が、筆者的には一番つらいんや。

実はな、筆者は娘を亡くしてんねん。
実家で生まれて、一緒に土佐へ連れてったんやけど、向こうで亡くしてしもた。この土佐日記でも、何回か出てくんねん。

やから「いかがは悲しき」や。「どんなに悲しいことか」。
「いかが(は)」は、疑問・反語のことが多いけど、これは詠嘆の用法やな。さしずめ英語で言うと「How sad it is!」。

で、そんな中で「船人もみな、子たかりてののしる」。

これは、船で一緒に帰ってきた従者たちの子供が、周りで騒いでいる状況なんや。久しぶりに京都へ帰ってきて嬉しいんやろなぁ。

で、ここで聞きたいんやけど。
みんなは子供がお父さんお母さんにじゃれてる光景見たら、なんて思う?

生徒A:――えーと・・・かわいいな、って。

うんうん。そうやな。かわいいもんなぁ子供。他は?

生徒B:――うるさい。

なんや子供嫌いか 笑。「子供嫌うな来た道や、年寄り嫌うな行く道や」言うやろ。
でもええよ。他の意見ある?

生徒C:――自分も小さい頃、あんな風やったなって思う。

ほらほらぁ 笑。こういう意見もあるよなぁ。

でもまぁ、分かったと思うけど、「人によって感じ方はさまざま」やねん。
見ているのは同じ光景や。今回は、子供が親にじゃれてる様子。

それを見て「かわいいな」と思う人もいれば、「うるさいな」って思う人もいる。「懐かしいな」って思う人もいれば、甘えれんかった人は「うらやましいな」って思うかもしれん。

で、筆者はというと、「なほ悲しきに耐えずして」。
つまり「悲しさに耐えきれなくなった」んや。

同じぐらいの子供を、自分は亡くしてる。
同じぐらいの子供が、元気に騒いでる。
それだけの状況が、つらくてつらくて、たまらんのや。

もっと言うと、さっき、松がなくなったそばに「小さな松が生えてる」って状況があったやろ。
自分の子は死んだのに、新しい命が生まれてる。
松が生えてることすらも、幼い我が子を亡くした身にとっては、連想づけてしもてつらいんやなぁ。

ここの場面から分かるんは、同じものを見ても、みんな同じように感じてるとは限らんってことや。
自分の見方が、全てじゃない。

先生の家にも小さい子おるけど、子供をかわいいと思う人ばっかりやないのは分かってる。
世の中には色んな人生があって、色んな人がいるんや。

やから、大事なんは想像力であり、思いやりなんや。
自分の見方はひとつしかないけど、他人の目線を想像することはできる。

筆者はな、つらいんやけど「そんなことを口に出したら、周りの喜びに水を差す」ってことは分かってたんや。

やからあるやろ、「ひそかに心知れる人と」。つまり「こっそりと」、「心を知っている人」だけに言ったんや。この悲しみを共有できる人、つまり奥さんやな。
やさしいなぁ。ホンマ、よう配慮できる人や。
紀貫之は国司として人望があったと言われるのもよう分かる。

土佐日記は今から1100年ぐらい前に作られたと言われてるけど、言葉遊びだけやなくて、この筆者の心の動きがよう分かる作品やと思う。
家が荒れて悲しいのも、子供を亡くして悲しいのも、昔も今も変わらん。
子供がじゃれてる様子を見て、かわいいと思ったり、つらく思ったり、その人の背景で色んな見方になることは、色んな人と共存して生きてく現代こそ知っとくべきことやないかなぁ。

それで、その悲しさを歌った歌が・・・


(キーンコーンカーンコーン)


お。ええとこでチャイムが 笑。

じゃあ、歌の解釈は、また次回。

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