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「核なき世界共に」という見出しで被団協「ノーベル平和賞」受賞の記事が出ていたが,原爆の双生児というか弟分に当たる原発の問題に対して,ほとんどアンタッチャブルでよいのか
※-1 本日の新聞朝刊冒頭には日本原水爆被害者団体協議会にとって,まことにめでたい出来事「ノーベル平和賞受賞」の記事がでかでかと掲載されていた
本ブログ筆者の購読する『毎日新聞』2024年12月11日朝刊は,その被団協が「ノーベル平和賞」を受賞した記事を,4面にわたり掲載していた。本日の記述にとって関心のある,それら記事については,活字で引用するとやたら長くなるので,以下には画像の形式で紹介(引用)しつつ議論する。
その引照などをおこなう前に,本ブログ筆者の関連する問題意識を明確に提示しておく。すでに,本ブログ内の原発関係の記述においては,それなりにくわしく批評してきた論点であったので,ここではごく簡潔に
「原爆の双生児」でなれば「原爆の舎弟分」である原発の問題を,仮にでも「完全に棚上げした」ままで居られるような,それも「〈唯一の被爆国〉であると唱えてきた日本」の「被団協の基本的な立場だ」としたら,これに対しては,大きな疑問符が突きつけられて当然である。
a) ともかく,本日配達された『毎日新聞』朝刊からつぎの各4面を,順に紹介しながら,思うままに議論する。まず1面から。
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この1面に記述されている文章からだけでも,「被」批判点となるべき表現がいくつもある。ごく簡単にいっておけば,敗戦後の占領史のなかでの事実経過としてだが,当時,日本社会のなかに浸透させられた「原爆の核のタブー」に酷似した「原発の核に関したタブー」が,その後における日本原発史において,なにも介在していなかったかといえば,完全に否である。
要は,同じ核に起因した事故の発生を受けて,「沈黙を強いられ,……見放され,孤独と廟無と生活苦,偏見と差別に耐え続けた」と,いまもなお生活全般において苦しむ,しかもこのさいその数の多寡比較はさておき,東電福島第1原発事故現場の被災者たちの存在が,軽視されていいわけはない。
その『核のタブー』は原発に無関係でありうたか? とんでもない大ありも大ありであって,まさに「原爆=原発」(より正確には原爆≧原発)である事情は,そう簡単に軽視できない。
つづけて,あとに紹介する他面の記事にも当然出てくる話題であるが,現在進行中である「プーチンのロシア」による「ウクライナ侵略戦争」に関しては,「ロシアのプーチン」とこの取り巻き連中が,なにかにつけて二言めには「戦術核」補注)を使うかもしれないと,アメリカやNATO諸国に対する脅しをしかけてきた事実は,周知のことがらである。
補注)「戦術核」はこう解説されている。
対象を敵の軍事拠点などに限定した形で,低出力の核攻撃をしかける兵器のこと。
外務省作成の「日本の軍縮・不拡散外交」は,戦術核を「一般的に個々の戦場で使用するための核兵器」と記している。局地的な戦闘での使用が想定される短距離核ミサイル,核火砲,核地雷などが例として挙げられている。
戦術核の対となるのが「戦略核」であり,都市を壊滅させるような大規模な破壊能力をもつものとされる。
米国とロシアの新戦略兵器削減条約(新 START)では大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM),航続距離8千キロメートル以上の戦略爆撃機などを削減対象の戦略核として挙げている。
射程や爆発の威力などで区別されることが多いが,戦術核と戦略核にはそれぞれ厳密な定義はなく,個々の兵器についても明確な線引きはない。冷戦期に米国と旧ソ連が核軍備を管理するため,便宜上つくられた分類との考えもある。
ロシアによるウクライナ侵攻では核兵器にくわえ,放射性物質をまき散らすことを目的とした「汚い爆弾」が使用される懸念も広がった。
註記)「きょうのことばセレクション 戦術核」『日経をヨクヨムためのナビサイト nikkei4946.com 』2023年4月1日 掲載,https://www.nikkei4946.com/knowledgebank/selection/detail.aspx?value=2098
ロシアは,単に戦術核を口にして脅しをかけようとしてきただけでなく,ウクライナ侵略戦争の当初(2022年2月22日戦争開始)からすぐに,ヨーロッパ地域に立地する発電所としては一番多い,6基を擁するウクライナ側のザポロジェ原発を占拠した状態が,いまだに続いている。同国のザポロジェ原子力発電所においては,各100万kWのロシア型PWRの原発が6基ある。
というように書いたところで早速,ザポロジェ原発が今日(2024年12月11日)においてどうなっているかと思い,ネットを検索したところ,ちょうどこのような記事がいっせいに報道されていた。この記述を進めていた時から5時間前に発信されていた記事であった。
なお,前後する記述のなかでは「地名:ザポロジェ」の日本語表記が一貫していないが,これはひとまず無視してほしい。
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要は,原爆の核も原発の核もまったく同じに「核の問題を有する」。この程度の事実はあえて断わるまでもなく,事実そのものとして自然にえられる理解であった。
いまのところ,核拡散を防止するとかなんとか議論したところで,ロシアのような強権独裁(狂犬毒砕)国に対しては,通用する余地すらありえない点は,宇露戦争がまだ続行中である戦乱的な状況のなかで,より鮮明になっている。
b) つぎに,1面下,『毎日新聞』朝刊に毎日掲載されるコラム「余録」の紹介となる。
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原発も核の問題として原爆とは基本で同一
なにが問題の焦点にあったのか? 原爆の被害はそれこそ人間を殺し,建物などの物的施設もなにもかも,メチャクチャに破壊する。しかし原発も爆発事故を起こせば,原爆ほどではないにせよ,同じ性質の現象:結果をもたらす。
しかも,両件に共通してもたらされる被害は,「核」が「放射性物質」の拡散となるところから発生する。こちらの次元・側面から観た「原爆と原爆の差」に質的な相違政ななにもなく,ただ単に同じだとしかいいようがない。
なぜかというと,同じ理工学的な技術が軍事的に応用されたか,それともいちおう民生用に利用されたかの違いはあっても,またその性能としての高度さや破壊力にも違いはあっても,技術の次元に関してはたしかに,一線上に並びうる「核の技術問題」同士であった。
c) さらに進んで『毎日新聞』朝刊3面「総合」。
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つぎを記述する
小見出しの2番目が「国際社会,高まる脅威」と書かれている。この段落の記述はやはり,「ロシアのプーチン」によるウクライナ侵略戦争の深刻性に言及している。
ロシアの根っから性悪な国家体制が問題である点はいうまでもないが,日本とてプルトニウムを国内外「合計」で約44.5トン有している(国内保管分は約8.6トン,海外保管分は約35.8トン)点には,用心深くこの事実を読みとる余地があった。
この海外保管分は,英国に約21.7トン,フランスに約14.1トンとなっているが,先日,その英仏でプルトニウムの管理を任されている工場がある地域を訪問した日本人側関係者(広い意味での被団協関係者)は,現地の人たちに「あなたの国のせいで,この付近では子どもの白血病が多くなっている」と非難され,返す言葉がなかった由。
日本はいままで核燃料サイクルを依然成立させえず,つまり,高速増殖炉の運転もだいぶ昔から失敗つづきであって,日本国内で使用済み核燃料の再処理ができない原発利用体制に留め置かれてきた。
その意味ではまた別個に,「トイレのないマンション状態」(使用済み核燃料などの最終処分場の確保すら半世紀以上が経った現在に至ってもまだ確保できていない)を,解決するメドさえまともに見通せないできた「これまでの事情」に鑑みるとき,
そのみっともない実情とは裏腹に,「いざというときのために核兵器を準備するため」の条件は常時ととのえておきたいという「下心」だけは,実に無責任でデタラメなあり方であっても確信犯的に決心できている。
つぎの本はアマゾン通販で紹介する1冊だが,ここの書名とおりの現実が,国民たちの目線には届かないところで画策されてきている。
この本の宣伝文句は,こう説明している。
“原子力の平和利用" を隠れ蓑に,日本は核(兵器)開発を進めていた!
勢いを増す「日本核武装論」に正面から反論を試みる初の本格的論集。
巨額の税金を投入しつづけながらなんの成果も生み出さない「高速増殖炉もんじゅ」は,なぜ止まらないのか。
「もんじゅ」が生み出す高純度「超兵器級」プルトニウムの存在,戦後の原発導入時の舞台裏やアメリカとの「核密約」も絡む核開発裏面史,核弾頭を運ぶミサイル技術の実際等々,資史料に基づき徹底検証。
北朝鮮の核問題,ミサイル防衛,戦中日本の原爆開発,米軍再編問題等もまじえ多角的に論じる。
巻末に「それでも核武装したいのか」(槌田敦,16頁),および巻頭に「新序-こっそり変えられた『原子力の憲法』」(小若順一,7頁)の2篇を増補。初版(2007年)発行から「3・11」後の今日までの情勢をふまえた増補新版。
★ 小出裕章氏推薦:「核と原子力は違うもの? 騙し続けた国と騙し続けられた国民。いつの間にか日本は巨大な核保有国になった! 」
参考にまで触れれば,日本の宇宙ロケット打ち上げ技術そのものは,その最上段のロケット部分に人工衛星を載せるか,核兵器を載せるかという問題については,完全に用意万端である。
日本は敗戦国としてなのだが,世界のなかで唯一の被爆国だという訴求点は,21世紀の現段階となって「やや,お涙頂戴的な基本性格」を帯びつつある,といえなくはない。国際政治の現場,世界中のどこかでいつも起きている紛争や混沌をめぐっては,そこに核兵器の問題が渦の中心をなす難題として実在していた。
北朝鮮がなぜ核兵器を保有するのか? かといって日本も核兵器は,技術経済的な潜在力ならば申し分ないくらいに,すでにその力量を蓄えている。そのなかでの「被団協がノーベル平和賞」を受賞したという記事が,このたび開催された授賞式を機会に,あらためて大々的に報道された。
ところで,ここで因縁があるダイナマイトの話に映る。ダイナマイトなどの火薬に話題を移していうと,そのものは平和利用される(工事や建設のために利用される)から善いモノだという理屈をめぐっては,さらにつぎのように考えてみる必要があった。
いま,ウクライナ侵略戦争が展開されている現地で,爆弾や砲弾を爆発させる材料や,その砲弾や機関銃や小銃の弾丸を飛ばすために薬莢に詰められる材料として〔ダイナマイトや火薬などそのほかの材料が〕利用されてもいるとなれば,こちらはその悪い面への利用であるという理屈にもなる。
その善い・悪いの区分はむずかしい面がある。かといって,その整理ができた場合でも,その区分じたい完全に引き離して論じることは不可能であった。これと同じ思考方式を採るべきなのが「原爆と原発の間柄」にも,厳然としてあった。
日本は最近,あの岸田文雄が首相になってから間もなく,「原発の再稼働のみならず新増設まで」推進すると宣告して以来,全電源に占める原発の比率をなんとしてでも多く増やそうと画策してきた。
再生可能エネルギーの方途の目を,意図して摘むような経済産業省資源エネルギー庁の頭脳回路は,どちらかというまでもなく「原発病患者」の立場だとしか診断できない。どうしてそうなるかは再度,「戦争問題」との関連を思いおこしてみれば,諒解がいくはずである。
d) 『毎日新聞』朝刊そのもの紹介に戻る。社会面に進んで紹介する。
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帝政ロシア末期の小説家トルストイが著した長編小説であった
トルストイが36歳のときから執筆を始め
1865年から1869年にかけて雑誌『ロシア報知』で発表した
サマセット・モームによれば『世界の十大小説』といえ
「あらゆる小説のなかでもっとも偉大な作品」と評された
その「戦争と平和の問題」に対しては,もちろん平和の観点・立場から被団協のように,それも被害者の立場からモノをいい,主張することは,有意義である。だが,この国の場合は「自国の被害」は,それも原爆を投下された敗戦国側の立場から〈絶対価値観のごとき基本姿勢〉を構えたかっこうになって,絶対に「平和を!」と唱えてきた。
だが,その反対側の視座・立脚点からの訴求しようとする問題意識は,なぜか,極端なまで希薄であった。原発は原爆を寸止め技術的に,つまり兵器そのものとしてではなく,電力生産のために応用したがゆえに,なにか事故が起きれば「原爆の使用に近い状態」になるほかなく,大事故につながりかねない危険性とつねに同居している。
現に,1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故事故,2011年3月11日に起きた東電福島第1原発事故は,そうした大事故,いいかえると原発の過酷な,深刻かつ重大な事故となっていた。
つまり,けっして「原発=原爆」ではないけれども,大約のところでは「原発≦原爆」となるほかない現象=被害が結果する。すなわち,原発は事故を起こせば,即,「準・原爆」になる。
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いまのところ一番危ないのはあのプーチン
まさに気違いに刃物
ところで,日本において原発の反対運動をしてきた人びとが,どのくらい抑圧されてきたか? 被団協の人びとは,自分たちが被爆者だという認識の枠外にまで出でて,一度でもよかったが,その事実を本気で考えたことがあったか?
『熊取六人衆』と呼ばれた京都大学工学部で原子力工学を学んだ学究たちがいた。この工学者たちは,原発事業にたずさわる学問や理論そのもののなかに,もともと技術としては「本当に危うい本質」が控えていた事実に気づいたがために,これはいけない電力生産の方法だと批判した。
【参考資料】-学科の名称には「核」が入っていた点に注目-
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原子力工学を学んでいくうちにそのように,原発の「異様・非常なる技術経済的・産業社会的な危険性・反社会性」に気づかざるをえなかった彼らは,事後それこそ,冷や飯食いを強いられる学究集団としての人生を過ごす境遇に追いやられた。
しかし,2011年3月11日に発生した東電福島第1原発事故は,彼らの学問・思想・批判がまっとうであり,正しかった事実を証明した。原発ほど,大事故を起こすと国土のみならず国家じたいまでも破壊するものはない。
少なくとも,いままで原爆として開発されてきた関連の兵器・武器,砲弾・弾薬に比較することが,十分に可能である「原発事故時の大災害発生」の問題は,とくに放射性物質の拡散・汚染が,格別に重大・深刻な被害となって,いつまでも尾を引きつづけていく事実をもって指摘できる。
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レベル7として記入していないもの
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低線量被曝の被害が深刻な現実として存在してきているし
これからも同じ生活環境が続く
広島・長崎への原発投下2発が殺した日本人と朝鮮人の統計にも注目しなければならないけれども,それとともに現在,世界中に「運転中で稼働される433基の原発と,建設中や計画中の原発も62基」あるという状況のなかでは,近い未来にそのなかから,チェルノブイリ原発事故事故や東電福島第1原発事故に相当する大事故が,絶対に起こらないという保証はない。
そのときどうするのか? 世界各国はどう対処するのか,できるのか?
原発の事故は平和の問題ではないのか? もっとも,戦争の問題はウクライナ侵略戦争が明証している最中であるが,平和のときも戦争のときもひっくるめて,原発はたいそう危険だという現実を,迫力をもって教示しているではないか?
ノーベル平和賞というのは,日本の首相であった佐藤栄作も授賞されていた。だが事後において,佐藤が,在日米軍基地への核兵器持ちこみ密約問題を隠蔽した事実が発覚してしまった。この安倍晋三の叔父のせいで結局,ノーベル平和賞の価値(真価?)は,大幅に減価させられた。
どういう比較の仕方をするにせよ,今回における日本被団協の受賞は,前段のごとき事実とはまた別様に,こちらなりに有意義な含意を発揮できると期待したい。
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【参考記事】-この記事のなかには原発ということばは一度も出てこないのは,当然といえば当然だが……-
--------【参考文献の紹介:アマゾン通販】----------