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【ジャーナリズム】社会について

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個人的に気になる時事問題、社会問題について考えてみました。
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2023年10月の記事一覧

【ジャーナリズム】HSPブームがもたらしたもの。「HSPブームの功罪を問う/飯村周平」を読んで。

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉を知ったのは、2014年頃だったと記憶している。今から10年近くも前の話である。 その頃はこの言葉に対する認知度は今ほど高くはなく、関連本はもちろんのこと、この本でも取り上げられているような、SNSでHSPを自称する人も皆無に等しかった。 それから月日は流れた現代。検索エンジンしかりSNSしかり、「HSP」という言葉を入力してみれば、関連書籍、解説ブログ、診断サイト、HSPを自称するアカウント、コミュニティ

【ジャーナリズム】子育て世代の暗黙の了解。「母親になって後悔してる」を読んで。

仕事、家事、育児。 これらすべてを完璧にこなした上で、美容や勉強など、自己研鑽、自己啓発もこなす。 それが人として、親として理想的な姿であるというテーゼを、現代の子育て世代は暗黙の了解として受け入れているのではないか。 そんなことを感じた。 「いや、無理やって。」 そうやって声を上げることさえ許されていない。 現代にふさわしい(とされる)理想的な母親像が、個人の行動はもちろん、感情や思想さえ支配してしまっているこの問題って、男性にも同じことが言えるんじゃなかろうか

【ジャーナリズム】人間関係に悩む人は必読。「本当の自分が分かる心理学〜すべての悩みを解決する鍵は自分の中にある〜」を読んで。

最近自分の身の回りで起きているトラブルの原因のすべてを言い当てられたようで驚いた。 認知の歪みを無くすことで人生生きやすくなるってことはある程度理解はしていたつもりだったけど、その歪みはどこから生まれてくるものなのか。 この本では被害者意識と自己防衛というのが、その歪みを生み出す根源と定義されており、納得。 自分が無意識のうちに持っているマインドやそれに起因する行動って、実は認知の歪みの一種だったんだなという気づきがあって、目からウロコが落ちまくりだった。 ただ、アド

【ジャーナリズム】自分の頭で考える人間になるために。「人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか」を読んで。

生きていくことは、自分自身のナラティブ(物語)を作っていくこと。 誰もが一度は、生きていく中で感じたこと、感じていることだと思う。 しかし、昨今の世の中にはびこっている、分かりやすくパッケージされたインスタントなナラティブは、自分の頭で考える力、つまりは自分自身のナラティブを形成していく力を骨抜きにしてしまう。 ナラティブの形成を他者に任せてしまった人たちの成れの果ては、説明するまでもない。 経済、文化、平和、教育の在り方を、ナラティブというキーワードを通じて、それぞ

【ジャーナリズム】「評論家・批評家」として生きることも、決して間違いではない。「ファスト教養」を読んで。

昨年読んだ本の中で群を抜いて面白かったこの本。 久しぶりに再読して、改めて、示唆に富んだいい本だと思った。 誰もが端末一つで世界中に対して自己を発信するできる現代では、「誰もが一角の人間になることができる」つまり「誰もがスターになれる」という言説がまかり通る。 成功を収めることができる人も確かにいるのだろうけど、それも有り体に言えば”一握りの人間だけ”。 確かに、捜索活動を通じて自らを表現していく人の姿は煌びやかでカッコイイ。その姿が正義であると言う錯覚に陥ってしまう

【ジャーナリズム】山口周さんが本当に伝えたかったこととは。「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 」を読んで。

この本が出版され、今ほどではないがそれなりに巷で話題となっていた頃、大学院で芸術を専攻していた私は「俺たちの時代が来た」と感じていた。 ただ、その考えがいかに能天気なものだったか。今となると反省しかない。 本来この本が提唱したビジネスにおける美意識やアートの重要性は、経済や論理(この本で言うところのサイエンス)に基づいた幸福でなく、倫理や情に基づいた幸福を追求するためにあったはずなのに、気がついたら経済を発展させるために美意識を使うという、奇妙な展開になってしまった。

【ジャーナリズム】よりよい生き方を望んだ戦後の若者たちの足跡。「『働く青年』と教養の戦後史:『人生雑誌』と読者のゆくえ」を読んで。

戦後間も無い頃、高度経済成長期もまだ訪れていない頃、経済的な理由で、大学進学はもちろんのこと、高校進学すらままならず、働きに出た若者たちがたくさんいた。 そのような若者たちの間で熱心に読まれたのが「人生雑誌」と呼ばれる雑誌。 「葦」「人生手帳」という二つの雑誌がその代表格とされていて、一時は10万部近くも発行された。 戦後の若者たちは何を思い生きていたのか、 人生雑誌は若者たちに何を与えたのか、 若者たちは人生雑誌に何を求めたのか。 それらを紐解いていくのがこの本

【ジャーナリズム】人生なんて本来、コントロールできるものではない。「仕事選びのアートとサイエンス」を読んで。

読書仲間からの推薦本。 要は計画的なキャリア形成なんて土台無理な話で、キャリアのほとんどは偶然によって形成されるというのが周さんの主張。 では良い偶然に出会うためにはどうすればいいか?とにかく目の前の仕事を一生懸命やって、日々の暮らしを大事に過ごすしかないよね。という話。 当たり前のことと言えば当たり前のことだし、私も就職するときはそのような思いで社会に身を投げ入れたつもりだったけど、知らぬまに忘れていた。 しかも、会社から求められていたのは「いついつまでにこのような

【ジャーナリズム】陽キャ的立ち振る舞いは、一種の自己犠牲なのではないか。

書評家の三宅香帆さんのつぶやきより。 ここから考えられるのは、言ってみれば陽キャ的振るまいも、サバイブするための他人への思いやりなのかもしれない。 私たちアラサー世代が体験したお笑いブームが、その背景にあると思うが。要は、ひな壇芸人的な立ち振る舞いを求められるというのか。 大学のとき、特に学部生のときは、「面白いことを言って(やって)場を和ませることが正義」みたいな雰囲気がそこはかとなくあって、そこから距離を置こうとしたら「だからお前はダメなんだ」と糾弾されて、なんか嫌