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【ジャーナリズム】「評論家・批評家」として生きることも、決して間違いではない。「ファスト教養」を読んで。

昨年読んだ本の中で群を抜いて面白かったこの本。

久しぶりに再読して、改めて、示唆に富んだいい本だと思った。

誰もが端末一つで世界中に対して自己を発信するできる現代では、「誰もが一角の人間になることができる」つまり「誰もがスターになれる」という言説がまかり通る。

成功を収めることができる人も確かにいるのだろうけど、それも有り体に言えば”一握りの人間だけ”。

確かに、捜索活動を通じて自らを表現していく人の姿は煌びやかでカッコイイ。その姿が正義であると言う錯覚に陥ってしまうのも分かる。

ただ、オーディエンスとして生きる、もっと煎じつめて言えば「評論家・批評家」として生きることも、決して間違いではないと思う。

誰もが表現者になれるSNS社会において、評論家、批評家的な態度は「何も産み出さず、文句ばっかり言っている必要のない人間」として忌避されがちだ。

しかし、適切な批評がなされないフィールドは盲信を生んでしまう危険性を伴う。その先にある世界の恐ろしさは歴史を見れば言わずもがなであろう。

やはり、終盤で著者が言っているように、作り手を育てるだけでなく、受け手を育てていく必要性を強く感じた。

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