【ジャーナリズム】陽キャ的立ち振る舞いは、一種の自己犠牲なのではないか。
書評家の三宅香帆さんのつぶやきより。
ここから考えられるのは、言ってみれば陽キャ的振るまいも、サバイブするための他人への思いやりなのかもしれない。
私たちアラサー世代が体験したお笑いブームが、その背景にあると思うが。要は、ひな壇芸人的な立ち振る舞いを求められるというのか。
大学のとき、特に学部生のときは、「面白いことを言って(やって)場を和ませることが正義」みたいな雰囲気がそこはかとなくあって、そこから距離を置こうとしたら「だからお前はダメなんだ」と糾弾されて、なんか嫌だった。
しかも、芸術系の大学でそれだったから余計に驚いたわけで。
周りへの気遣いというのか、周りを意識せざるをえない状況というのは、今の大学生と私たちの頃とでは多少のギャップはあれど、本質は同じなのかもしれない。
ただ、自分を消費するという意味では、陽キャ的立ち振る舞いは一種の自己犠牲なのかもしれない。
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