幸せと不幸という生き物
幸せは傍らにいる
気付かない人が多いだけ
気付かないより 気づかないふりの方が正しい
人は幸せにいつでもなれる
幸せは影のようについてくるから
ただ幸せになるより不幸になる方がずっと楽
不幸に浸っていれば誰かが手を伸ばしてくれる
不幸な自分に酔うことができる
幸せに話より不幸話の方が人が聞いてくれる
たまに同意してくれる人もいる
幸せは見える人によって姿を変える
他の人には不幸に見えても 幸せに感じる人もいる
幸せと生きていくことは楽に見えて辛い
幸せな話をすると「自慢?」なんて時に言われる
幸せになるということは孤独なのかもしれない
共有出来る人が少なかったり
幸せだから何でもできるわけでもなく
何かあった時手を差し伸べてくれる人がいない
幸せか否か自分で選ぶことが出来る
例えば自分で選択して生きている今
自分で決めたのに
『○○しなくてはいけない自分』
と 悲観的に捉える人がいる
確かに辛いかもしれないけれど
自分で考えて 自分で選んだ道
同じ決定をしても
『○○を選んぶことが最善』
思って行動すれば幸せは一気に大きさを変える
そして自分を飲み込む
幸せも不幸せかも決めるのは事象ではない
結局 自分自身
幸せだと思いたいなら
そこから幸せは始まる
不幸と生きていきたいなら
そこから不幸との共存が始まる
どちらと共に生きていきたいか
それは己が決める
己次第で人生観は変わる
ただ自分が幸せではなくては
他人を本当の意味で幸せにはできない
自分との関わりで 他人が幸せになったとき
自分自身が不幸なら
他人の幸せを心から喜ぶことができないから
他人を幸せにしたいなら
自分をいつも見ていてくれている幸せと向き合う
どんな環境でも幸せは見ていてくれる
真っ向から見つめ合えた時
世界は色づき始める