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人にない物を持つ代償

最近……今日気づいたことがある。

「私は幸せだ」ではなく「私は幸せでいなくてはいけない」
になっていた。

私は恵まれているし、願った思いはほぼ叶っている。
だから「幸せだと思わなくては」になっていた。

障害とも向き合っていると思っていた。
でもいざ躁状態になると心が大きくなって大胆な行動や万能感にあふれて、他人にその人の改善すべき点などを、ストレートに言ってしまう。
いつもなら慎重にいくところを、行動に起こさなくてはいけないと心がせかせかしてしまう。
言ったり行動した後は、満たされた気分でいっぱいになるのだが、鬱になった瞬間青ざめて、自分のしたことを後悔する。でも後の祭り。

そんな状態でも「私は恵まれているから幸せだ」と言い続けてきた。
私は次第に自分の心に靄がかかっていることに気づかず、『本当の自分』に蓋をして生活してきた。
娘が生まれてからは、よけいに。

最近育児に慣れて、力が抜けた時ふと「いなくなりたい」と思うことが増えた。むしろ「最初から存在しなかったことにならないかな」と考えてしまう。

今日は朝ごはんを食べながらなぜか号泣してしまった。
娘も夫もまだ起きていないので、独り寂しく泣いた。
私の心の瓶は、たぶんずっと前にあふれていた。
今はもう、自分自身にウソがつけないくらいあふれている。

それでも生きていかなくてはいけない。
自分を自分で殺すことは、他殺と変わらないと私は思っているからだ。
したくないと言えばウソになるが、ここは最後の砦としてウソをつき通そうと思う。

私の心臓も脳も手も、他の臓器たちも全身全霊で今日も働き続けているのだから。

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