英日翻訳、結局は日本語の問題だった
共訳書『自由の国と感染症』絶賛発売中である。
翻訳なんて内輪の抄読会くらいしかやったことがなく、商業翻訳は初めてだったのでまあまあお勉強しました。医学論文を訳して医者相手に読むときは、かなり適当でいい。というか適当に訳すほうが、元の英語を想起しやすいから、英文直訳調を好んで用いていた。
ところが一般書として訳すのだから、それは許されない。本書のメッセージを伝えるために英語の勉強時間を削って取り組むのだから、ちゃんと伝わってほしい。
そして、国連英検だのケンブリッジ英検だのやってる人間にとっては英語を読むことはさほど難しくない。資格試験と違って、辞書も使えるし、時間制限もないし。
また英文を英語のまま理解することが習い性になっているので、それを日本語として出力することに慣れていないことも問題だった。
自分はいったん英語で理解しているので、変な日本語が出力されていても理解できてしまうのだ。あるいは自分が出力した日本語に愛着が湧いてしまうという謎の現象が発生し、素直にもっと読みやすい日本語に直せないとか。。。これらは結局のところ時間が解決したのだが、ごりごりとお勉強したことも重要だったと思われる。
そのお勉強の過程の一部をnoteの記事にしてきたので振り返ってみよう。
まずこれ。
読みかけて積ん読になっていた。ちゃんと読んでよかった。
やはり古典というか基本はおさえておかないとね。
次に読んだのが『翻訳スキルハンドブック』。Kindle Unlimitedだったからポチったんだけど、これは本当に良かった。
情報集中のしかた、便利なツールの使い方、定訳の探し方、訳落ち・間違い探しの方法などなど。実践知が満載だった。超おすすめ。
この頃が本格的な作業の真っ最中だったと思う。
やり始めると、英和辞典に載ってる訳だとしっくりこないという事態が頻発した。
そこで『翻訳スキルハンドブック』でおすすめされていたこれを購入。
これもとてもいい。ああこんなふうに訳したらいいんだなあという自由さ。もちろん好き勝手に訳していいわけではない、翻訳契約には逐語的に訳す(verbatim)とあるからだ。どこまでが逐語的といえるかについてこの辞書から学ぶことができた。
しかしこの辞書は収録語数が十分とはいえず、途方に暮れてしまうこともあった。そこで活躍したのが、この記事でも紹介した『日本語シソーラス類語辞典』だ。
この辞書は本当に大活躍した。とりあえず英和辞典にのっている意味を入力して、どんどん辿っていくと、そのうち良い訳語に行き着くからだ。ほうほうこの日本語にはこんな意味もあるのか、こういう表現もあるかと日本語力も向上した。英日翻訳に限らず、日本語を書くすべての人におすすめしたい。
てか冷静に考えて、あれだけ英語の類語検索しまくってるのに、日本語はしてなかったのがおかしいよな。
しかしこれでも良い訳語が決まらないことはある。そうなったら英英辞典の出番である。
英語の説明をボケっと読んでいると、なんとなくぴったりの訳語が降ってきたことが何度かあった。
このところ語義は英英辞典で確認するという基本中の基本中をさぼっていたのは本当に良くないことだった。英和辞典の訳にとらわれず、しかもvebatimに訳すなら、英英辞典は欠かせないツールだ。
ツールといえば自動翻訳だ。今回はDeep Lを補助的に使用した。
誤訳が多いと指摘する人もけっこういるが、そのことに私は驚く。彼らは今や自動翻訳を人間と比較しているのだ。私は一昔前の全く使い物にならない自動翻訳しか知らなかったから、人間と比較しうるということ自体に驚愕してしまった。Deep Lの訳はそれぐらいクオリティが高い。
しかしそれでも、まだまだ一般書として出版できるクオリティの日本語ではない。自動翻訳が人間にとってかわるのはずいぶん先のことだろう。
Deep Lは二重否定が苦手のようで、否定語が重なると誤訳が増えた。また定期的に訳抜けが発生しており、コロンやセミコロンの前後で多いような気がした。そういう仕様なのだろうか。
もう一つDeep Lができないのは、『翻訳スキルハンドブック』のところでも言及した情報収集だ。これについては日を改めて、こんなにお勉強したんですよとドヤ顔させていただきたい。
そして英語と日本語の違いを痛感させられる作業でもあった。口語の日本語は、英語のように主語と述語がバシっと決まるわけではない(いわゆる牛丼文法)。気を抜くと書き言葉でもそれをやってしまう。
というような問題意識から上手な日本語を書きたいという欲求が高まってきた。だから各種『文章読本』についての記事を最近ときどき書いているのであった。