納富信留『世界哲学のすすめ』
納富信留先生シリーズ。
ちくま新書の世界哲学史シリーズの成果をもとに、より普遍的な哲学を模索するという内容。
まず言葉、地図、暦などを例にとって、私達の思考がいかに自国中心あるいは西洋中心主義的であるかを解説する。
また西洋の哲学者がいかに西洋中心にものを考えているかも紹介されており、ポストモダニズムやらカルスタポスコロを経てもまだそれかよってやや呆れた。
現在欧米で主流となっている分析哲学については仲間内での閉鎖的な知的ゲーム、過度に限定された範囲での図式的な論争などと厳しい言葉を連ねているが、分析哲学の応用については期待がもてそうとのこと。
西洋が哲学の中心になるのはある程度やむをえないところがあって、古代から現在まで連続的に辿れるのが西洋と中国くらいだから。そもそもちくま新書の世界哲学史シリーズだって取り上げているのは西洋哲学ばかりである。
しかしギリシャを始点とする哲学史についても疑問なしとはしない。少なくともアリストテレスの伝統は中世でいったん途切れているからね。またギリシャ以前のメソポタミアやエジプトの影響を無かったことにするのはちょっとね。
中国などのアジアを中心とした哲学史も構想できなくはない。それについてはアンヌ・チャンが紹介されている。
また中国やインドやアラブ世界を中心とし、ギリシャを周縁とみる井筒俊彦の東洋哲学も好意的に紹介している。しかしそれは西洋人は受け入れないだろうとのこと。まあそうだろうな。
意外なことに有名なミリンダ王の問いにギリシャの影響を見るのは、西洋では一般的なことではないらしい。メナンドロスもナーガセーナもインドの伝統的な思考法に則って問答しているだけと考えるらしい。しかしそれは文献の時代的多層性を無視しており、古代に編纂された部分だけみればメナンドロスにはギリシャ的な発想がみられるとのこと。へぇーって感じだ。
あとはアフリカ哲学の話が面白かったかな。
そういうわけで今日発売の『ネオ哲学史』を読む準備が整ったのである。