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ニック・チェイター『心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学』読んだ
一昨年くらいから時間とか意識についてチマチマと本を読んでいる。
だから一部で話題のニック・チェイターを読んだのである。
本書の原題はThe Mind is Flat、つまりマインド(知性、意識、心、、、どれもしっくりこない訳だ)はツルペタということだ。
私達は主に視覚情報から、意識において外界について稠密なコピーを作っていると考えている。ところが様々な実験から、人間の視覚は中心窩でしかまともに外界を捉えられておらず、その断片情報をつなぎ合わせて外界についての心的イメージを構築している。そのイメージはツルペタでスカスカなのである。
断片情報を組み合わせるときに、なんらかの解釈を援用することで日常生活に支障のないレベルの心的イメージを作っている。
この解釈が曲者で、視覚情報となるべく整合的な解釈をでっち上げているのである。これは有名なロボトミーの実験から示されている。脳梁が切断された患者は、右目と右手、左手と左目の各セットの間で連絡がない。右目は左目が見たものを知らないから、左手がなぜそれを選んだのか正解を知らない。だが右目で見たものから解釈をでっち上げるのだ。
まあこれはツイッターランドのレスバを見てきた皆さんならお馴染みの光景だろう。
自分の意見の間違いを指摘されたものは、それを取り繕う理屈を即座に思いつく。しかしその理屈は、根本が間違っている以上、傷口を広げるものでしかなく、さらなら醜態をさらすことになる。
好きなものを選んで、それから理由とか論理を考えるのが人間だからこういうことはおこってしまう。
ところが選んだ(提示された)ものを好きになり、それからその理由を考えるというプロセスもあるらしい。。。アメリカのどっかの大学の実験によると、それで投票行動まで変わってしまうようだ。
解釈が後からついてくる例は本書ではたくさん挙げられている。ホルモンやカテコラミンによって惹起された気分の変化は、そのときの情況、過去の記憶などから、悲しみとか喜びというラベルを貼られるのである。
このように本書では魅力的な世界観が提示されるのだが、無意識とか脳のバックグラウンド処理なんてものはない、という考え方にはどうしても馴染めないのであった。フロイト流の精神分析が正しいとは思わないが、ラカンはけっこう好きなのです。
井筒俊彦氏の著作にあるような、深層意識を想定したほうが上手く説明できることも多いように思われる。
本書の著者だって、過去の経験からいま現在の感覚情報を解釈することは否定していないのだから、意識されざるものがあるとしたほうが矛盾がないように思われる。
著者のニック・チェイター氏はウォーリック大学の教員らしい。ウォーリック大学はニック・ランド、マーク・フィッシャー、スーザン・ストレンジなど有名人を多数輩出している。
だからニック・チェイター氏の著作をもう1冊購入済みなのである。
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