「反哲学入門」を読み、哲学のよさがわかってからこの本と出合えてよかったと思った
本日、やっと「反哲学入門」を読み終えることが出来ました。哲学の本だけあって、薄いのに難しい本でした。とはいえ、帯には以下のように書いてあります。
解説を書いている三浦雅士氏はこのようにおっしゃっておりますが、9割以上の若者は賛同できないと思いますよ。
こういった本をありがたがって読む人はごく一部。ほとんどの若者は心地よく読むことができないので、この本と出合ったほとんどの人が「哲学書を読むなんて頭がいいんだね」とか、「読書をするなんてマジメだね!」なんていうネガティブな先入観を持ってしまうような気がします。
しかし、でもね、我慢して読み進めると、全くわからないことだけではありませんし、そもそもすべて理解しなくてもいいとか、わかるところだけ読んで血肉化すればいいという前提で読めば、思考の足場となりそうな知識が身につく感じの本でした。
だから、この帯を書いている文芸評論家の方には申し訳ないのですが、「哲学のよさがわかってからこの本と出合えてよかった」と店主は思っています。完全に意見が違いますね。
店主としては、1~3章ぐらいまでは難しいながらも楽しく読めました。特に前半の西洋哲学において、ソクラテス以前の哲学と、ソクラテスからヘーゲルあたりまでが違う哲学で、その後にニーチェがソクラテスの哲学を復権させたという指摘には、非常に感銘を受けました。そんな枠組みがあったのか!と驚きました。
また、アリストテレスが『自然学』で述べたこともよかったです。 樫の木の種子が樫の巨木に成長する運動は「自然」が樫の木に内臓されているからで、それに対して大理石の塊がヴィーナスの像になる(掘り出される)運動は「彫刻家の技術」が大理石の塊の外側にあるからだという指摘などは、そうやって考えるのか!という閃きとともに読みました。
しかし、後半の4~6章は本当に難しく、特にハイデガーについては著書を一冊も読んだことがなかったので、チンプンカンプン。ただ、それでもハイデガーがナチスに入党していたという経歴を知り、パズルのピースを1つだけ組めたような気がします。今後、機会があればハイデガーの本も読み、少しでも理解したい。
というわけで、何が言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが、やっぱりね、興味があることに関して書いてある本は、多少難しくても読めると思いました。そういった意味では、「知りたいと」という欲求こそが、本を開かせるのかもしれません。