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「持たざる者のひたむきさ」を持ったまま
素晴らしい記事をありがとうございます。読みたくなりました。
私が「プロレスラー・大仁田厚」を知ったのは1991年です。なぜなら「週刊プロレス」を初めて買ったのがその年だから。当時の彼にはすでに一般的な知名度があり、よくテレビに出ていました。
日曜の夜8時に日テレで放送していた「天才・たけしの元気が出るTV!!」の中に「炎の大仁田・涙の男塾!」というコーナーがありました。悩める若者たちを集めて大仁田選手が鍛え上げ、カツを入れる内容でした。スタントみたいなことをしたり合宿で滝に打たれたり。
参加者の中に「次の試合で負けたら引退します!」と宣言したボクサーや「強い生徒会長になる!」と叫ぶ学生がいたことを覚えています。
その生徒会長は泳げないのに、どこかの川に勢いで飛び込んじゃいまして。溺れているのを大仁田選手が助けて「泳げないのに何で飛び込んだんだ!」と訊ねました。答えはよく聞き取れなかったのですが「やりたかったんです!」的なものだった記憶があります。
バラエティーゆえか、スタジオは「『男塾』といっても看板がベニヤ板」「大仁田さんは芝居心あるね」と見下した空気。でも私は単純なので胸が熱くなりました。
あの山本太郎さんの「メロリンキュー」も同じ番組でした。
不器用で飾らず、且つ他者に嗤われる恐怖に抗うひたむきな姿は理屈抜きで響きます。
もしかしたら大仁田選手も同じだったのかな、とこの記事を書いていて思いました。「涙のカリスマ」として成功を収める前の彼は、そういう真っ直ぐすぎる若者のひとりだったのではないでしょうか。
いまの彼も嫌いではない。でもやっぱり違いますよね。
「持たざる者」特有のひたむきさを手放さぬまま「持たざる者」から抜け出すことは不可能なのでしょうか? 山本太郎さんはそのミッションに挑んでいるように映ります。私もせめて「王様は裸だ!」と言える己であり続けたいです。
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