ハードボイルド書店員日記⑧
本に囲まれて生きている。
家でも職場でも主役は奴らだ。私は忠実な召使に過ぎない。粛々と並び替え、積み直し、ときには読み、ときには売る。この場合の「売る」は専ら書店員としての職務を意味する。新刊古書店を利用しないわけではない。だがサガンの絶版本が100円コーナーに紛れているのを見掛けて以来、足が遠退いている。
数年前、年季の入った古書店でハイスミス「贋作」を見つけた。リプリー・シリーズで唯一の未読。逡巡の余地はなかった。1200円で購入した。やがて復刊した。新刊が詰め込まれた17号ダンボールの中に生まれ変わった奴らを発見し、しばし息を呑んだ。「晩秋」でポールと再会したスペンサーのように。税込972円。不満はない。私が買った時点では絶版だったのだ。むしろ素晴らしい。新刊古書店の鑑定ならサガンと同じ末路を辿っていた。
「この本『太陽がいっぱい』の原作の続きなんだ。面白そう」
文庫担当の女性が呟いた。私は内心でモヒートのグラスを掲げた。これも映画化していてDVDを持っていると告げた。「誰がために鐘は鳴る」級の分厚いリアクションを期待した。結果は「老人と海」だった。モヒートには早過ぎた。だが男はぶちのめされても負けない。「この本『リプリー』の原作の続きなんだ」と言ってくれるレディが必ず現れる。彼女のためなら喜んで巨大カジキと刺し違える。謎の地球外生命体と戦う宇宙航海士をリスペクトしているが、彼女の話をしているわけではない。
私は帯の破れた本を好んで買う。表紙が汚れていてもかまわない。そんな理由で返品を望む客の心情が理解できない。見た目が価値の主体であるなら、私などとっくの昔に断裁されている。ハイスミスと似ていなくもない「ミザリー」主演女優の素晴らしさも認知されない可能性がある。曲がったキュウリの方が断然美味いし、虫に食われたリンゴはグレイス・ケリーの唇よりも甘い。グレイス・ケリーの唇? 忘れてくれ。ラムをダブルにしたフローズン・ダイキリを3杯呷った後遺症だ。