boo_papa
日々生きている中で生まれた詩たちを綴っています。 2014年〜現在までに出来た作品をランダムにアップしていきます。 是非、毎日の隙間に読んでいただければと思います。よろしくお願いします。
食べたもの、飲んだもの、自分で作ったものなど、集めてみました。
映画などを観たり、ラジオなどを聴いたり、本を読んだりした時に思ったことや、ふと感じたことをまとめています。
不定期に作っている超短編小説を綴ったものです。極めて短いものばかりなので、気軽にお読みください。
地方中小企業サラリーマンである私が毎年繰り返しているお米づくりについてレポートしたマガジンです。
スコット・フィッツジェラルドはかの有名な、「グレート・ギャッツビー」を書いたアメリカの作家さんです。 ぼくらが青年期を過ごしたいわゆるロストジェネレーションという時代の、さらにひとつ前のロストジェネレーションである1920年代に大ヒットした作家さんなのですが、彼は大量のアルコールを摂取しながら、次々と作品を生み出し、ヒットさせたそうなのです。 一方、後の方のロストジェネレーションを生きた私としてはとてもそんな芸当はできません。 20代の頃、バンドをしていた私は調子に乗っ
あのひとは とても落ち着いた声をしている うわずることのない 地に足の着いた声 ささやかな間違いは 微笑みとその声により 何かの間違えに帰す 落ち着きは人を未知の何かに変える 落ち着きのない私には分からない 未知のその先には何があるのだろう あの落ち着きと微笑みが失われる そんな瞬間があるとすれば 声を失い 目を見開き 驚いた表情をして 隠されていた感情の波が その背後から溢れるとしたら 私はいとも簡単に呑み込まれ 耐えられないだろう ただただ 落ち着いた声の
冬になり、食欲の秋は通り過ぎてしまいましたが、フルーツの美味しい季節が続きますね。 畑をするようになってよくわかるようになりましたが、春夏は意外に旬のフルーツのバリエーションが少なく、秋冬はバリエーションがマックスになるのです。 春はイチゴ(野菜)や春夏の間はさくらんぼ、すももなど、そして夏はスイカ(野菜)やメロン(野菜)、夏みかん、びわといったところで、実は野菜に分類されるものが多かったり、また品種が少ない(か、違いが大きくわからないものが多い)からなのかあんまり庶民感
月が闇夜を照らしてくれるが あの看板や その看板も 煌々と光っているので 月に照らされている実感はない でもあの空に あの月のように 美しくて 丸く くっきりとした球体がひとつなかったならば 人間は 一丁宇宙に行ってみようか と思っただろうか 思ったとしても 目指すところは あったのだろうか 人々は 昔々から 月を見ては 涙を流し 詩を咏い 物語を想起し 救われてきた 月のない夜空はさぞ寂しいものだろう 月は確かに人々の心を照らし続けている
昨日は暗くなってからとある半島にあるこの宿に着いた。 社用車のカローラ・フィールダーでの4時間のドライブの末。 昭和か平成の初めの景気の良い時に建てられたと思われるこの宿は、その頃特有の増築構造になっていて、私は宿泊費の安い本館に部屋を取っていた。 本館は古いが、立地がよく、ベランダのある窓からは海が見える。 宿に着く少し前で食事を取っていたので、家族に電話した後、すぐに寝巻きに着替えて離れにある温泉場に向かった。 途中、新館に入ると大広間からカラオケの音が聴こえる。
私の視点 私の目の視点 私の目の高さの視点 私の目の高さの視点に映り込むこの木 この木は三角形に見えています あなたの視点 あなたの目の視点 あなたの目の高さの視点 あなたの目の高さの視点に映り込むその木 その木はどのような形に見えているのですか かみの視点 上からの視点 無限の高さにありながら 全てを収めるその視点 木は丸く それを見つめる私の頭も あなたの頭も丸く 木を取り囲む私たちの陣形も丸く かみが降らせた雨の滴は丸く 降った雨が水面に作る無数の波紋はどれも
人間は勝つことが好きです。 成功することが好きです。 私ももれなくそうです。 逆に負けることは? 失敗することは? おそらく好きな人はあまりいないでしょう。 でも最近は "子供の失敗の機会を奪ってはいけない" という言葉が評価されたりします。※フランスの格言だったと思います これは賛成です。 失敗は多くを与えてくれます。 私も仕事や生活の中で沢山失敗をしてきました。 そのおかげで、というかそれを経てでないと成長できない成長をしてきたと思います。 そう考える
昨年、妻のおばあちゃんの家で獲れた渋柿で干し柿を初めて作ったら、とても美味しく、↓のようなアレンジもできて、満足感が高かったです。 今年も妻の両親からおばあちゃん家の渋柿を沢山いただいたので思い出し思い出ししながら干し柿にチャレンジしましたよ。 畑に行く道の脇にめっちゃ美味しそうな柿が成ってて、思わず一個もいで齧った時にそれが渋柿だった時。グアーって感じになりますよね!口の中の水分が無くなっていく感じ。 干し柿はそんな渋柿を見事に美味しく食べれるようにする、人間の知恵の
農家でないサラリーマンの私が田んぼで稲作をする模様をお伝えすることで、何気なく食べているお米を作る、先人たちが作ってきたと言うことがどれだけありがたく、手間がかかっているかを知ってもらえればなにより・・・というシリーズです。🙇 ----------------------------------------------------------- 前回、9〜10月の熟成時期のお話をしましたが、 11月(ホントは10月の後半くらいが適期)に入り、ついに稲刈りを完了いたしました!
ハンガリー出身でスイスの作家、アゴタ・クリストフさん(1935-2011)の3部作、悪童日記、ふたりの証拠、第3の嘘を読み終えました。 ※以前一作目の悪童日記、二作目のふたりの証拠については下記リンクのとおり、記事を上げさせてもらいました。 ネタバレを恐れるあまりに、周辺情報や抽象的なことしか書かない私の書評(?)。私自身が前情報なしで小説などを読みたい人なのでそんな形になってしまってます。 でも、物語に影響している作家さんの背景やハンガリーという国のバックグラウンドは
今日は妻がおやすみだったので、私の昼休みに私の職場近くに来てくれるとのことで、一緒にランチを食べようと、約束をしていた。 職場近辺にランチを食べれる店はあるにはあるのだが、最近は仕出し弁当生活にひたっていて、店舗事情はよく分からなくなっていた。随分前に行ったドイツ料理のランチ(黒パン、プレッツェル、葉物多めのサラダ、ソーセージ)が珍しく美味しかったので、そこにしようと私が提案した。 昼休みになる少し前に妻から連絡が。我が子を送ってから来るので少し遅れるとのこと。先に店に入
山には食料があるが、その辺の土をほじくり返してちっぽけなミミズを食う生活にはほとほと飽き果てた。もっと沢山のうまいものが食いたいと、おれはこの辺鄙なところに降りて来た。 ここの地面は固く、ゴリゴリしている。おれの足は硬いが、それよりも硬いかもしれない。走り続けたら足は削れていくかもしれない。 でもそんなことはどうでもいい。おれはうまいものが食いたい。 そういえばこの地面だが、足跡が残らないのがいい。山ではおれの重く強いこの体のせいで、そこらじゅうに足跡が残っていく。鼻で地
冬がやってきたようだ 彼または彼女には 顔がないし体もない でもわかる 冬はやってきた 太陽と私の間に冬はいる とても大きな体をしている ひんやりとした空気を纏い 私たちにまとわりつくが しつこくはない さらりとした肌触りをしている 私の頬を撫でては 赤くしていく 私の鼻を摘んでは 赤くしていく 耳を引っ張っては 赤くしていく それをニット帽で暖め マフラーで暖め 耳当てで暖める 自転車を走らせ 冬の中を通っていく 私のコートの中で 私の熱が高まる 空の高い
薄暮れ時 古いゲームウォッチの液晶画面さながらの空に 月と金星が浮かぶ 金星はボールで 上弦の月はそれを受け取るカゴだ いつでもおいでよと 月は言うが そうは問屋がおろさない 惑星である金星は 我々も月も惑わすので 期待通りには動いてくれない でも 星の並びのパターンは 無限数 あのカゴの中に ボールが入るパターンは必ずあるはず そのタイミングを見たのは いつのご先祖さまか それとも未来の子孫が目にするのか 想像すると 微笑んでしまうね
2024年10月13日の投稿でアゴタ・クリストフの「悪童日記」について記述させていただきましたが、今回はその続編である、「ふたりの証拠」です。 続編であるので、前作の終わりの時点、第二次世界大戦が終戦した後から始まるのですが、物語の舞台は作者のアゴタ・クリストフさんの祖国であるハンガリーがモデルになっていると言われています。 Wikipediaを読んで知ったのですが、ハンガリーは1946年に王政が廃止。ハンガリー共和国となった後、さらに共産化が進んで1949年にハンガリー
いえいえ、そうではないです。 稲刈りに備えてはざかけの準備です。 はざかけは刈った稲を日干しにするために竹で組む、まあ、わかりやすく言えば物干し竿のようなものです。 お米はこの干す過程でより熟成され、おいしくなります。(現段階では青い稲穂も干すことで枯れた色になっていきます。) この尖らせた部分を地面に突き刺して建てていくのですが、竹を斜めにノコギリで切っていく過程も気づきを与えてくれました。 今まで9年間も何も考えずに切っていたのですが、今年初めて気づいたのです。