お酒と表現について
スコット・フィッツジェラルドはかの有名な、「グレート・ギャッツビー」を書いたアメリカの作家さんです。
ぼくらが青年期を過ごしたいわゆるロストジェネレーションという時代の、さらにひとつ前のロストジェネレーションである1920年代に大ヒットした作家さんなのですが、彼は大量のアルコールを摂取しながら、次々と作品を生み出し、ヒットさせたそうなのです。
一方、後の方のロストジェネレーションを生きた私としてはとてもそんな芸当はできません。
20代の頃、バンドをしていた私は調子に乗って、焼き鳥屋にいき、呑んでから練習に行く、という愚行に及んでしまいました。
結果的に、リズムもろくに取れず(拍子が特殊であったこともありますが・・・)、無駄な練習となり、メンバーに迷惑をかけた上、ちょっと険悪なムードにまでなりました。
ミュージシャンといえば、お酒、というイメージがありますが(今は違うか)、あれはちょっと特殊なもので、勢いがついたり、"神回"みたいなのが生まれることもあると思いますが、酔っ払ってなにか精密なことができるかといえば、なかなか難しいと個人的には思います。
なのでそれ以降、バンドの練習やライブの前にお酒を飲んだことはないです。
でも、フィッツジェラルドの例を見ると、本当に人それぞれだなと思うのです。
生みの親である作者が身を滅ぼそうとも、お酒なしでは生まれなかった名作や、名曲。
そういったものたちにも、なぜか強く惹かれてしまうのが人間ですよね。
作品はその時代における極都会的なものでありながら、そこには理性による緻密さでは片付けられない、極人間らしさがあるからなのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。