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感想

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#感想

ITなんでも屋は何を求めてヒロアカを読み続けてきたのか

さらば、ワンフォーオール ヒロアカの続きがもう出ない、週刊少年ジャンプ。 それを前に、IT…

「ドラゴンの巣」に挑んだ人々の孤独さに、処方せんはあるのか?

1兆円が隠された、ドラゴンの巣 日本の現実世界でほとんど影響がなかったように思える、金融…

アパレルの氷河期で、私たちがユニクロで買ってきたものとその理由

ショッピングモールとユニクロと本と ショッピングモール「ダイバーシティ東京 プラザ」。 そ…

scriptを第31回電撃大賞電撃 小説大賞に応募しました、疲れたので感想を書きます

水星の魔女でめいいっぱいの祝福をTwitterでしまくっていたら、iMacからいいねを押せなくなっ…

ロシデレを通して気づく僕の〇〇人らしさという偏見

コミカライズされたロシデレ あのライトノベルで出ていた「時々ボソッとロシア語でデレる隣の…

このリアルさには、ワケがある: リコリス・リコイル感想

女の子が銃を握って戦う。 戦後いまだ国内が平和な日本においては、幸運にも矛盾と化している…

音があまりにも噛み合う原作者監督というストロングスタイルと、僕の知らない市場: THE FIRST SLAM DUNK 感想

漫画の神様だけに許された映画 スラムダンクを見てきたら、音があまりにも映像と噛み合っていて驚いた。スラムダンクオタクでもここまで偏執的につくりあげられるのなら、それはもはや人生がスラムダンクといったところだろう。 そしてエンドロールを最後までみて納得した。原作、脚本、監督ぜんぶ井上雄彦おじさんがやっていたのだ。 原作、脚本、監督ぜんぶというと、風の谷のナウシカの宮崎駿おじさんとか、AKIRAの大友克洋おじさんとかが成し遂げる、漫画の神様だけに許されたストロングスタイルに

核攻撃にも耐えうる脆弱なインターネットの未来で: 情報セキュリティの敗北史 感想

かならず報いがもたらされるのに、未だ犯罪という災害が残る現代 かつてポール・バランおじさ…

好きなものを好きだと表現するために: その着せ替え人形は恋をする 感想

オタクで優しい読者モデルのコスプレギャルと、人形職人の技術を延伸させテーラーメイドコスチ…

ここに楽園はあった: 家庭教師のルルーシュさん 感想

コードギアス本編の感想 救いはあった。だが、あまりにも多くの犠牲を払った。 僕は相変わら…

続職エントリー:ボンクラヲタクの回帰: 息が詰まるようなこの場所で 感想

Twitterバージョンの感想 窓際三等兵さんのリプ(ありがとうございました) 以下感想文とい…

災害を越える役目を背負わされたいま: すずめの戸締まり 感想

鳴り響く警報音は、人を身構えさせる。 それは十二年前の学生だった僕にとっては、絶望の前奏…

ジョン・ポールのことばを阻むことは、だれにもできない?: 虐殺器官 考察・感想

はじめに(この記事ははてなブログで私が書いていた記事を加筆修正し、実験的に転載してます) …

平等のために、人は法《コード》に支配されていく: コードギアス反逆のルルーシュ 感想

「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ」 「戦略が戦術につぶされてたまるか」 たぶん、軍事オタクが言ったんだな。 ボンクラヲタクはこの作品をみるまでず〜っとそう考えて生きてきた。 それがなんとコードギアスからだった。知ったのは、本当に最近のことだ。 なんでコードギアスを今更見たのかというと、実はホロライブの大空スバルさんが同時視聴で見始めている、という話がきっかけだった。彼女がさまざまな感情をごたまぜにしながら感想を話していた。なら、きっと面白いに違いない。