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音があまりにも噛み合う原作者監督というストロングスタイルと、僕の知らない市場: THE FIRST SLAM DUNK 感想

漫画の神様だけに許された映画

スラムダンクを見てきたら、音があまりにも映像と噛み合っていて驚いた。スラムダンクオタクでもここまで偏執的につくりあげられるのなら、それはもはや人生がスラムダンクといったところだろう。

そしてエンドロールを最後までみて納得した。原作、脚本、監督ぜんぶ井上雄彦おじさんがやっていたのだ。

原作、脚本、監督ぜんぶというと、風の谷のナウシカの宮崎駿おじさんとか、AKIRAの大友克洋おじさんとかが成し遂げる、漫画の神様だけに許されたストロングスタイルに相当する。これでおもしろくないわけがない。

けれど、オタク仕様と化した自分のTwitterのタイムラインにおいては、今回のスラムダンクの話は驚くほど流れていなかった。そもそもこんなストロングスタイルじゃないんだろうと思い込んでた。

あいまいなコンセプトへの僕の過剰防衛が、観に行くのを遅らせた

そう考え出してしまったきっかけは、映画館でPVをみたときだった。全体としてコンセプトがあいまいになっているように感じたのだ。安易なわかりやすさを求める側の人間なのをどうか笑ってほしい。10分以上の動画にすら耐えられない、かわいそうなお子様なのだ。少なくとも2001年宇宙の旅は同じカットのところは全部可能な限り飛ばしながら見ていたのは事実だ。

というのも、あいまいなコンセプトを謳うプロジェクトは、特にこの半世紀、強い酒を提供して人を酩酊させてきたIT業界では危険信号なのだ。僕は脊髄反射レベルの感覚で把握してしまっている。

白状しよう。僕はスラムダンクのあいまいなコンセプトのPVを通して、IT業界における二日酔いに至る情景と結びつけながら、以下のようなものを思い浮かべてしまった。


とにかく売上を用意してこい、と会社で強制されて安請け合いをしたリーマン(プロデューサーあるいは編集)は、ある大規模プロジェクト案件を獲得したはいいが、自分の仕事すら知識がなくてままならないので自分の仕事だけに徹することにした。

リーマンは、プロジェクトをリードするエンジニア(監督と脚本)には経験になる、と言って適当に安く呼んだ。リードするエンジニアたちも、正直リーマンの微妙さに辟易しながらも明日の糧を探していたのでやむなく受けた。

プロジェクトキックオフのなかで、製造コストがえげつなくてまともなソフトウェアハウス(2Dアニメ制作会社)への発注が困難であることが確定した。かといって微妙なソフトハウスに仕事をまわしてわかりやすく崩壊させるわけにもいかない。

なので折衷案として、安易にパッケージソフトウェア会社(3Dモデル特化のアニメ制作会社)を採用して適宜カスタマイズし、それっぽくやりきってしまうプランを決定してしまった。パッケージソフトウェアの最も得意とする分野を利用しようという発想は、知識のないリーマンには不可能だ。

リードエンジニアを含む製作陣は、安請け合いをしてしまった代償を払うべく、日夜徹夜で複雑なドメインをどうやってモデルに落とし込めるか走りながら考えるしかなくなった。

エンジニアたちの努力でどうにかできあがったものの、リーマンの売り込みは当然甘く、全員の見解の相違は起きたまま、ローンチは失敗。使い物にならなかった。やがてメディアと法廷上での場外乱闘が始まろうとしていた。


それにしても、PVのなにがお子様の自分にとってお好みではなかったのだろうか。

PVのあいまいさこそが、この作品の本質に最も近かった

見返した時に感じたのは、そもそもどういうストーリーラインにしようとしているのかが見えないこと、その割にはNBAのごときスーパープレイをガンガン切る方針に倒していないことにあった(TwitterではMBAと書き間違えた。突然ビジネススクールになるな)。

前者のストーリーラインをわかるようにしてしまうのは、ダークナイト・ライジングやMGSV、デスストランディングなどがほど近い(小島秀夫おじさんのゲームは映画でもある、と言っても過言じゃないはずだ)。映画を見る価値を喪失させてしまうという商業的な部分からはよくないのかもしれない。ただ、そこで顧客が見るか否かの意思決定を行うことができる。

後者のNBAのごときスーパープレイに方針を倒す、つまり映像的に最も強烈な部分で押していくやりかたは、トップガン マーベリックやTENETが採用していた手法であり、何が何だかわからないが映画館に行くことに駆り立てられる。大きなスクリーンで、みんなと一緒にみられるということを楽しむようなスタイルだ。少しでもいい評判が見えたら、すぐに観に行く決断を行うことができるようになる。

このハイブリッドを採用したせいで、PVとしては判断に困る、コンセプトのあいまいなものになっていたんじゃないかと思っている。

けれど、映画の中身をみれば納得がいく。これはPVのほうが正しいのだ。面白いストーリーラインの存在するNBAスーパープレイ集として、この作品は完成されていたからだ。

それでも、観にいくまではこの答えにたどり着くことはできなかった。

僕のしらない市場

状況が変わったのは興行収入の話が流れてきてからだった。映画がどういうものなのか、という感想は流れてこないが、ごく少人数から大量の前売り券を買わせて金と空席をつくりあげるやりかたでは、ここまでの興行収入は不可能だろうという値になっていた。そしてついにTwitterタイムラインにも流れてくるようになった。いい作品だという評判に至ったは間違いなかった。

そうして観に行って、席を立つ時、なぜ僕のタイムラインに流れてこなかったのかを深く納得した。

金曜日の夜、TOHOシネマズ日比谷にいたお客さんは、信じられないほど女性で埋め尽くされていたのだ。最近みてきた「すずめの戸締まり」以上におじさんが見当たらない。コナン映画やヒロアカ映画をみにいったとき並みだ。狙った客層が違かったのか、それとも偶然なのか。答えはよくわからない。

僕以外のみなさんは、こんなに上映から時間が経過したはずなのに、どうしてスラムダンクをみることにしたのだろう。僕みたいに偏見を持っていて出遅れた、という可哀想な人は、あの映画館では見当たらなかった気がする。

世界は、僕が想像するよりもずっと広い、ということは間違いなかった。

みなさんは知っていて、原作を読んで楽しんでいたはずの僕は見識が狭くて知らなかった世界。そこに映画スラムダンクはあったのだ。

とりあえず、この本をポチった。
スラムダンクのたのしかったところをもっと知ることができたらいいな。


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