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ツンデレの天に向かって牙をむく

不安がどっと押し寄せて、布団の中で縮こまる日がある。

「良くなっている」
呪文のように唱えているが、本当に良くなっていたらこの呪文は必要ないのではないかと、ふと思う。

レンビマを5日間休薬したら、3日目からお腹の痛みが強くなってきた。前の休薬の時もそうだったなと思い出す。
休薬5日目、友達と会う約束をドタキャンした。
朝起きれば……、昼になれば……、と治ることを期待したが、痛みは強くなる一方で、とても動けるような状態ではなかった。
朝の診察も夫に車で送り迎えしてもらわないと無理だった。

あきらめて友達に連絡すると、「全く問題ないです」と快くキャンセルを受け入れてくれたし、体調を気遣ってくれた。
ありがたかったが、数年ぶりに会う人だったので、会えないことが残念で仕方なかった。楽しみにしていたのになぁとがっかりした。

休薬5日目なら、むしろ元気なのではないかと思っていたが、まさかこんなに激痛がやってくるとは。
最近は「痛みがゼロ」になる時間帯があったので、この痛み連続地獄を忘れていた。
結局48時間以上、痛みがゼロになる瞬間はなく、ただ痛みと向き合い続けた。
最後の方はまたメンタルがやられてしまい、二度と痛みから解放されないような気持ちになって、激しく落ち込んだ。

その後、レンビマを再開したら、お腹の痛みはだんだんマシになっていった。
2日目、ようやく薬を飲めば「ゼロ」の時間帯ができるようになり、痛みから解放されたことに安堵した。
永久にこの痛みが続くのではないかという恐ろしい妄想から逃れられた。
ただ、レンビマの影響で血圧が上がりやすくなっている。これは前からだが、明らかに以前より高い日が多く、ついでに頭痛もする。
降圧剤は飲んでいるが、昨晩はまた上が180を超えていたので、怖くなってじっと横になっていた。(下も114だった。通常時の上くらいだ)

甲状腺の薬を飲み始めてから、倦怠感もかなり楽になっていたのだが、また倦怠感や眠気も出始めた。何もできないまま布団の中で1日が終わる。
レンビマの副作用が最初の頃のように強くなっているのを感じる。
休薬が続けば痛み、再開すれば高血圧と倦怠感。
どちらにしても元気になれない自分がいる。
食欲も少し落ちた。

思えば9月が「良くなっていたピーク」だった。
9月から10月初めくらいまではとても調子が良かった。いろんな人に会ったし、仕事も復帰した。キャンプもした。
なんだかこれからずっと上り調子なのだと信じていた分、後戻りしたようで気持ちがついていかない。
先になればなるほどもっと良くなっていると信じて、11月は週に1、2本の取材を入れているし、人と会う予定もいくつかあるのに、大丈夫なのだろうか。
人と会うのは断ることもできるが、仕事はちゃんとこなせるのだろうか。そんな不安に襲われる。

わかっている。
マイナスイメージを持たず、良いイメージを持っていたほうがいいということも。
だけど、肉体と精神は結び付きが強くて、体が弱っていると前向きな気持ちを持つのが難しい。
後ろ向きだから、体も弱る。体が弱るから……、そんな悪循環に陥りそうになる。

病気を克服できる人って、体よりメンタルの強い人なんじゃないのかな、と思う。
病と向き合う生活を長く続けていくのは、人が思っているよりずっと精神的な強さが必要だ。もしくは、生きる目的。執念に近いようなもの。そういうものがある人が、病を乗り越えられるのだと思う。

ガンになって8年半。
再発してから数えても5年が過ぎた。
落ち込んでいる時は、いろんなことを投げ出してしまえたら楽になるのかな、と思う。

姉が言ったことがある。
「かおりは生きることへの執着がすごいよね」と。
そして、「私はもう生きてやりたいこともないから、代われるものなら代わってやりたいわ」と。

子供の頃からあまり仲の良い姉妹ではなかった。
初めて聞いた「姉らしい」言葉だった。
そんなふうに思ってくれていたのだと驚く気持ちもあった。
あんなに痛いのが嫌で、採血すら怖くてベッドに寝てやってもらうような人なのに。
「代われるものなら代わってやりたい」
そんなこと言ってくれるんだ、と思った。嬉しいというより戸惑った。

生きることへの執着。
そんなこと意識したことがなかった。
執着というより、まだ死にたくはないだけだ。
夫を一人で置いては逝けない。
それに、なんだろう。執着というより、悔しいのかもしれない。人生100年なんて言われる時代に、50代で早死にするなんて。

なんでやねん!
くそー!まだ死んだらへんで!
見ときや。絶対復活したるからな!

天に向かっていつも噛みついている。
もともと私は夫に「このー!誰にでも噛みつく野良犬がー!」と言われていたような人間だ。
歳を重ねて、自分でも気持ち悪いくらい丸くなったけど、やっぱり牙をむいているのが合っているのかもしれない。
今は人ではなく、天に向かって牙をむく。

特にまだやりたいことがあるわけでもないし、思い残すこともない。
子どもがいないから、「あの子が……」みたいな、そういう心配もない。
でも、悔しい。
子どもの頃から探してきた、自分の生まれてきた意味をまだ見つけていない。

この間、瞑想の先生に誘われて久しぶりにお会いしてお茶をした。
数年前にあった奇跡と、昨年私が化学治療を受けようと決意したきっかけのことを、一緒に答え合わせした。(内容は長くなるのでここでは端折ります)

「最初に、ガンを治してやりたいことは何?って聞いたら、かおりさんはすぐにこう言ったのをよく覚えてる。『書きたいです』って」

そうなんだ。
私がやりたいことって、本当にそれだけなんだ。
欲なんて、ない。
生きることへの執着もない。
ただ、まだ書きたいことが残っているのかもしれない。

「それを書いてね」と先生は言った。
「楽しみにしてる」と。

昨日の夕方、また倦怠感で何もできずに落ち込んでいたら、先生からLINEが届いた。

見ると幸運がくると言われている彩雲の写真だった。


急いで私も空を見上げたけれど、うちからは見えなかった。
落ち込んでいる私に幸運を贈ってくれたのだな、と思った。
先生はいつもタイミングがいい。

それから、仕事復帰一発目の増田明美さんの取材の制作会社からメールも届いていた。
制作会社→クライアント(発行元)→増田明美さんとチェックがまわり、結果的に1つも修正がなかった。
ライターにとって一番嬉しいことだ。

増田さんからのメッセージ。
「まとめて頂いた原稿も私らしい自然な口調で、温かくてスマート。
写真もとてもいいですね。直しは全くありませんので、よろしくお願いします」

ディレクターさんからも
「これもひとえに山王さんのインタビューとライティングの精度の高さによるものです。ありがとうございました」
と添えられていた。

天は私の敵なのか、味方なのか。
時々こうやって、まだ生きたいと思えるようなプレゼントをくれる。

くっそー!
嬉しいやんけ。もっと仕事したくなるやんけ。
書きたくなるやんけ。
なんやねんな、もう。
こんな痛めつけて、まだ立ち上がれって、エサを目の前に吊るすなんて卑怯やよ。

っていうか、ご褒美かな、これ。
天はツンデレなのか。

結局、私はまた前を向いた。
向くしかないのだ。また書きたいし、人に喜ばれたい気持ちを抑えられない。
気合いで11月を乗り越える。やれると思えたから、仕事を入れたのだ。やれるはずだ。
メソメソと不安がっていても仕方ない。

同じ境遇でなければ、きっと誰にもこの辛さは伝わらない。
前を向き続けることの勇気と、恐怖をはね除ける強さと。
それを「持たない者」が、「持とうと頑張ること」が、どれほどのことか、理解されない。
「強いね」なんて言葉で片付けてほしくない。

強い人間なんているもんか。
強くありたい人間が、無様にもがいているだけだ。
体調や検査結果に一喜一憂し、天に振り回されている無様な自分。
「私はもう十分生きました。天命に従います」と、静かに死を待って暮らしている人の方がどれほどかっこいいか。

でも私は、どんなに死が近づいてもはね除ける。
無様にあがいて生きてやる。
そして、その姿をここに書いてさらしてやる。
きっと、こういう人間から生きる力をもらえる人もいると思うから。
瞑想の先生と約束した「書きたいもの」もまだ書けていないし、まだ死ねん。

しんどい時は寝て、動ける時は動く。
深く考えずに、そうやって1日1日を過ごしていくうちに、必ず完全復活の時は来ると信じて。

それに、こんなふうに気持ちを書いてぶつけたら、なんや知らんけど元気出た。
(興奮して頭痛いけど)
落ち込んでいても治らない。
ただ、1日1日、できることを、だ。

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