リアルアーティストの矜持
(動画を拝借します。)
「本当に孤独を受け入れられた時、真の創造性が生まれる」
自分は子供の頃から「表現者気質」ではあった。
アーティストだの表現者だの言うと
「不思議ちゃんっぽい」とか「掴みどころがない」とか
イメージとしてそういうことを想像してしまうけど
自分の場合はそうではなく、「とにかく我が強い」子供で
「自分で選んだこと」に対しては頑として自分の選択を曲げず
「選んだことをハッキリと表現する」ことに対してとてつもなく貪欲で
どんな相手だろうが、どんなに争いになろうが
「ハッキリと表現する」ことは子供ながらに貫いていた。
そういう子供だったので
”一人の人間” としては、
「協調性のない」人間であり、敵の多い人間で
「頑固者」だと、大人に言われることも多かった。
しかし、 ”一人のアーティスト” としては
これがすべて「表現者としてあるべき姿」であると
自分がそうなった時に初めて知った。
「何かを表現する」ということは
自分の表現したモノに常に自分で責任を取ることであり
賞賛と批判の両方を常に受けることを意味する。
そりゃそうだ。
「自分が表現するモノ」というのは
カッチリ作品として仕上げるにしろ
完全即興の生の作品として表現するにしろ
自分の意志でなにか選び、それを体現することになるので
超自我の体現に等しい。
それを客が見た時、
客が好き嫌いを示すのはこれもまた当たり前の話になる。
だから賞賛もあれば、批判も出る。
表現者であれば、アーティストであれば
「自分が表現したモノ」に対して
その両方を受け取めなければならない。
それが出来ないのなら
アーティストなんかならないほうがいい。
「何かを表現すること」というのは
そんなに生半可に出来るようなことではなく
賞賛と批判の両方を受ける覚悟
自分で責任を取れる潔さ
自分を貫き通せる強靭な意志
これがないと絶対に出来ない、恐ろしいまでにリスクとスリルを伴う。
だから客の感性をぶち破るような凄まじい表現力を持つアーティストは
例外なく「とてつもなく我が強い」
甘い共感ばかり客に求めるような媚びたアーティストなんかいない。
誰一人として「客に媚びない」
これがリアルアーティストである。
このリアルアーティストというのは、
常人ではおよそ考えられないほど、非常識でもある。
だから
”一人のアーティスト”としては最高でも
”一人の人間”としては、必ず生きづらさが伴う。
すべて、超自我ゆえである。
”一人のアーティスト” と ”一人の人間” を
切り離せる人間もいればそうでない人間もいる。
表現欲が貪欲であればあるほど、切り離せなくなることがよくある。
そうなったときに
リアルアーティストであればあるほど
必ず孤独と向き合わざるを得なくなる。
孤独に耐えきれずに何かしらに依存したことで
自ら破滅するリアルアーティストはホントに多い。
そうならずに生きていけるリアルアーティストというのは
孤独と戦い、孤独であることを自ら受け入れ、悟りの境地を開く。
そして悟りの境地が開けた時に
はじめて唯一無二となり
絶妙なまでにギリギリの状態を自分で楽しめるようになる。
これは難儀なことで、これこそが至芸ともいえる。
リアルアーティストの神髄、ここにあり。
拙い文章お読みいただきありがとうございました。
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