「幸甚です」メール 京大文化人類学の教授の教育
文化人類学に限らないと思うが、
京大の伝統的な(京都学派の?)教育方法は「放牧」だという。
どんな感じかというと、修士課程の2年間に教授と話をした覚えがほとんどない。
英語の民族誌をチミチミとねちっこく細部まで教授といっしょに読むという時間が一度だけあった(芦生研究林での合宿)。オセアニアのある民族の豚飼養について、ここまで細かく書くかというくらいの、
…斜面に豚を放してそれがどうなって誰の所有で放したのは誰でそこの芋畑の世話をしているのは誰でどういう世話をどういう時期に誰がしていて…
といった記述を読んだ。細かすぎて、どういう結論にたどりつくのかが遠すぎて鼻血をふきそうだった。同期と手分けをして章別に読んだのだが、結論はわたしは読んでいないので、どういう研究だったのか未だに知らない(「結論」章を読んだ人いたっけか)。豚と芋しか覚えていない(だめだめだ)。
なんか「研究は、ねちっこく」「もう知らんというくらい細かく」あと「論文はのろのろでもいいから細部まできっちり読む」は叩き込まれたような気がする。不思議な時間だった。
で、ゼミでは自分の調査予定の地域の下調べをしてそれを教授と先輩に聞いてもらえるのだが、いわゆる民族誌的事実の提起ではないので、あまり先輩の質問もいきいきとはしてこない。
で、フィールドに行く。
誰も指導しない。
ひぃぃぃぃ。
わたしは落ちこぼれのカルガモの末子だったので、恥も外聞もなく先輩の袖をつかんでいろいろ教えてもらったが、心細いことこのうえない。
指導。
指導でおぼえているのは結局「民族誌を読め」くらいかなぁ(それも博士課程で聞いたことのような)。
論文のような細切れになっている小さな情報ではなく、
ひとりの研究者が何をめざしたかがみえる、一冊の本になっている民族誌を読め、
それは今でも覚えている。
道に迷ったとき、わたしはいまでも民族誌を読む。
研究者は生き様だ、ということもよくおっしゃっておられた。
金のために研究するようになったら終わりだよねぇ、とも。
そういうことはどんな教授でもおっしゃるもんなのかと思っていたが、後に単位の裏取引等をするような教授にもお会いし、あれ?おや?と思ったりしたことがある。
うちの教授は就職の決まった学部生の卒論を落としたりもしていたらしく、本当に、らしいよなぁ、と思う。
うちの教授以外の教授(文化人類学)のところでは、調査地にもどのくらいの期間行ってこいとか、この本を読めとか、そのテーマじゃなくてこのテーマをやれとかいう物言いもあったようなので、うちの教授だけ、結構変わっていた。
ものすげー自由なのである。
修論の中間発表会になるとうちの教授のゼミ生だけは、方向性がてんでばらばらで、すぐわかる。
うち以外のところのゼミ生だと「ああ、あの教授のところの学生な」と大体見当がつく。
そんな教授の研究者&教育者としての終盤の時間をひとりじめしていた(と思っている)のがわたしである。
その教授から書類をだすようにとメールがきたりする。そのメールがまたすごかった。まだまだ「キョーダイ!」にびびっている木っ端学生(笑)のわたしに、教授は「しかじかの書類を事務にご提出いただけますと幸甚です」と送ってくるのである。
幸甚!
幸甚なんていうことばを生で目にしたのは教授のメールが初めてである。
自信というか誇りというか、自分自身に敬意をはらうというか、教授はえらい先生ではなく、ただの「研究仲間」扱いでいいというのか、いつのまにか教授に多すぎるほどのものを教わっていたな、と今でも思いだす。
研究の方針を教授の研究室で話していると、教授はわからない単語があるとすぐにわたしの目の前で辞書をひく(博士課程)。
学生のまえで、教授が辞書をひく。
「なんでもすぐに調べないといけないんですよ」
とわたしに笑ってみせる。
何を教わったというより、みえるものすべてが勉強になった。
どっちを向いていても、どの角度からみた話も、その意味について、思うことばかり。
こんな教授のようにわたしもいつかなれるのかなぁと思っていたあのころから、ずいぶんの時間がすぎた。
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