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ヴィーナスが19世紀に降臨すると・・・? マラルメの美姫『エロディアード』

先日の記事↓の続きです。


💎 マラルメの美姫『エロディアード』



 フランスの象徴派詩人、ステファヌ・マラルメ/Stéphane Mallarmé(1842-98)の劇詩『エロディアード──舞台』("Hérodiade──Scène")の冒頭を読んでいて、これは19世紀の詩人の脳裏に現れたアフロディーテ(ヴィーナス)の現し身ではあるまいか、と感銘を受けました。



 詩の冒頭──エロディアード姫はもう死んだに違いない・・・と悲嘆に暮れる乳母が、姫を見出して駆け寄り、亡霊でないことを確かめるために指にキスをしようとします。
 以下は、それに対するエロディアードの返答。

退がりなさい。
けがれなきこの髪の黄金こがねなす奔流、
が孤高なるこの体をそそぐとき
恐怖のあまりこの身は凍りつく。
光にいだかれた我が髪は不滅なのです。
おお、女よ、ひとつのくちづけでさえ
わたくしを死に追いやるでしょう
もし美が死でないとするならば。


Reculez.
Le blond torrent de mes cheveux immaculés,
Quand il baigne mon corps solitaire le glace
D’horreur, et mes cheveux que la lumière enlace
Sont immortels. Ô femme, un baiser me tûrait
Si la beauté n’était la mort..

(なお、今回訳したのはマラルメの詩『エロディアード──舞台』のみで、そのほか書簡などは渡辺守章氏の訳です。拙訳にはフランス語原文を併記しておきますね。)


💎エロディアードと「サロメ神話」


 このエロディアード姫は、新約聖書に出てくる「サロメ」のドッペルゲンガー的存在です。

 サロメは、ルネサンス(14〜16世紀)からバロック(17世紀)にかけて持てはやされた題材でした。

 19世紀のフランスでは、バンヴィルやそれに続いたマラルメが、言わば"通俗的"になってしまった「サロメ」という名のもつイメージを"初期化"すべく、サロメの母親であるヘロデヤ(フランス語ではエロディアード)の名前で呼び直すという作業をしたようです。
 ですので、マラルメのエロディアード詩群にはやはり洗礼者ヨハネが出てきて、首の主題、銀の大皿、ふたりの聖婚が謳われます。

僕の抱くわずかな霊感は、ひたすらこの名前エロディアードに負っているので、もし我がヒロインが、サロメという名であったなら、僕は、この暗く、裂けた柘榴ざくろのように紅の名、エロディアードを考え出しただろう。

ルフェビュール宛書簡(1865)


 マラルメを捉えて離さなかったエロディアードの幻影を、彼は何度も挫折しながら書き表そうとし、病気で息を引き取った頃にも取り組んでいたと言います。

 今回取り上げた『エロディアード──舞台』のほか、『古序曲』、『エロディアードの婚姻──聖史劇』などが遺されている、未完の詩群です。


僕はついに我が「エロディアード」に着手した。恐怖の思いの中でだが、それは、僕が新しい言語を発明しているからで、必然的にそれは極めて新しい詩法から迸り出なければならないが、それを僕は次の二言で定義する ──〈事物を描くのではなく、事物の作りだす効果・作用を描くこと〉だと。・・・(略)・・・生まれて初めて、僕は成功したい。駄目だったら、二度とペンに触れることはないだろう。

アンリ・カザリス宛書簡(1864)
カザリスは医師・詩人でありマラルメの友人でした

本気で「エロディアード」に取りかかっている。・・・(略)・・・恐ろしい主題を選んでしまったから、その感覚は生々しく、時には凶暴なまでの激しさとなり、漠として漂う時には、神秘の様相を呈する。それに、僕の〈詩句〉は、時として苦痛を与え、刃物のように傷つける。付け加えて言えば、こうした〈印象〉の全ては、交響曲のように、次から次へと連なって・・・

同上(1865)


ティツィアーノ『サロメ』(c.1515)
マラルメが『エロディアード』を執筆すると聞いた友人エレディア(詩人)が、この絵の複製画をマラルメに贈ったそうです(1865)


💎 "人間"サロメと"女神"エロディアード


 「サロメ神話」といえば、現代でも抜群の知名度を誇るのは、オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」でしょう。

 個人的な感想ですが、ワイルドが彫像したサロメ(1894年パリで出版)はひとつの「決定稿」ではあるにせよ、マラルメのエロディアード姫はより抽象度が高いために、純度の高さは比較になりません。ワイルドのサロメがあくまでも生身の人間であるのと同じ程度に、エロディアードは女神然としています。

海をも鎮める我が足
mes pieds qui calmeraient la mer

『エロディアード──舞台』


 美の女神アフロディーテ(ヴィーナス)は、海の泡から生まれたとヘシオドスが記したように、海のイメージを持つ女神です。アプレイウス『黄金の驢馬』のプシュケ挿話に出てくる描写↓を彷彿とさせます。

ほどなく潮の巻きかえす近くの浜辺に赴き、薔薇色の御足おみあしでたゆとう波の頂きを踏みながら進んでいくと、見る見る深い海原が(底から)頂上まで澄みわたって鎮まり返ります。そして女神が御胸にまだお思いになるかならぬに、まるで前からの指図みたいに、海の眷属どもがわれ後れじと、ご用を勤めにやって来るのでした。

アプレイウス『黄金の驢馬』
呉茂一訳


 また、『エロディアード──舞台』冒頭の、エロディアードが獅子の飼われている地下牢に降りていき、そこから無事に生還した・・・という設定も、前回の記事でご紹介した『アフロディーテ讃歌』で、獅子や豹など獰猛な獣たちを意のままに操る姿の変奏ヴァリアントに見えてきます。



 そんなエロディアード姫は、まるで究極の美が行き着いた純粋さに呪縛されたように、恐怖の中で身動きがとれなくなっています。

孤独に育ち、水中に揺らめく自身の影を無気力に眺めるばかりの、心動かぬ悲しき花よ。
N. Triste fleur qui croît seule et n’a pas d’autre émoi
Que son ombre dans l’eau vue avec atonie.

乳母がエロディアードに呼びかける台詞



そう、我が為に、我が為にのみ、虚しく私は咲くのです!
H.  Oui, c’est pour moi, pour moi, que je fleuris, déserte !

エロディアードの台詞


わたくしは、処女であることの残酷さを愛し、
この髪が与える剥き出しの恐怖のただ中で生きていたいのです。
夜には我がしとねもり、
侵されたことのないまま地を這う、不毛なる肉体の中で
貴方あなたが放つ薄明かりの冷たい煌めきを感じていたい。
御身おんみ、息絶えんとし純潔に燃え上がる
氷塊と残酷なる雪に満ちた白き夜よ!
J’aime l’horreur d’être vierge et je veux
Vivre parmi l’effroi que me font mes cheveux
Pour, le soir, retirée en ma couche, reptile
Inviolé sentir en la chair inutile
Le froid scintillement de ta pâle clarté
Toi qui te meurs, toi qui brûles de chasteté,
Nuit blanche de glaçons et de neige cruelle !

エロディアードの台詞



 清冽なる絶世の美姫エロディアードですが、永遠の象徴である黄金の髪に覆われながらその永遠を怖れ、また一方では現実の時間=終着点の死をも怖れて、身をすくませています。
 乳母という生身の人間の口づけ=接触によって、いずこともしれない時にたゆたっていた我が身を、現実の世界に繋がれてしまうのが怖ろしい。──これが、マラルメの描く《美》の姿です。

 そしてまたこのヴィーナスは、もはや愛を手放してしまったかのように、ひとり冷たく咲いている純潔の白百合。本来、愛と美(と生殖)を司るはずの女神から、愛を「引き算」してしまうと何が残るのか。その隔絶した美に似合うのは、もはや身体を持たず、愛を交わすこともなく、知と精神と弁術をもって神の道と正義を語る、洗礼者ヨハネの頭部・・・というところは、図像学イコノグラフィー的な見方からも符牒が合いすぎて怖い・・・と感じるのは、私だけでしょうか?


 ボードレールを「零落した時代のダンテ」と呼ぶことからも窺えるように、19世紀という時代は、当時の人々にある種の衰退・堕落を感じさせていたのでしょう。19世紀中葉に活動したボードレールより20歳ほど年下のマラルメが、《永遠》と《凋落》の狭間で相剋する美の、刹那にしか存在し得ない宿命を描いたこの詩句。前回取り上げた『ホメーロスの諸神讃歌』(紀元前8世紀末)の根底を流れる典雅な生命力と、鋭い対比をなしているかのようです。


💎 マラルメさんはどんな人?


【ステファヌ・マラルメ】(1842-98)
 フランスの詩人。象徴主義、高踏派、ヘルメス主義。
 最大の「師」であり乗り越えるべき対象であったボードレール(1821-67)、ゴーティエ(1811-72)、バンヴィル(1823-91)、ポー(1809-49)などの影響を受ける。
 「芸術のための芸術」の理念のもと、文法や構文を解体する試みをし、偶然を排した絶対的な詩の可能性を追求しました。難解な詩や思索の持ち主として知られています。
 文学だけでなく音楽など芸術の分野でも大きな影響を残し、19世紀末から20世紀にかけての、芸術の"ルネッサンス"を促しました。
 フランスの最も偉大な詩人のひとりと呼ばれています。

【火曜会】
 1870年頃からパリの自宅で催した、毎週火曜日のささやかな友好の集まり。のちに文学サロン〈火曜会〉となり、20年以上続く間に、新世代の前衛詩人たちを糾合きゅうごうした「純粋詩の殿堂」とも「象徴派の牙城」とも目されるほどになりました。そして、「師」の美学を乗り越えようとする次世代の気運とともに下火になっていき、マラルメはパリを離れヴァルヴァンの別邸で暮らすことが増えたと言います。
 〈火曜会〉には、非常連さんも含め、ポール・クローデル、ジッド、モーパッサン、オスカー・ワイルド、ポール・ヴァレリー、音楽家ではドビュッシー、画家ではホイッスラー、ルドン、ゴーギャンらが集ったとのこと。(夜8時からだったのですって😉)

〈火曜会〉で使われたテーブル
ヴァルヴァンにあるマラルメ博物館のサイトで、写真を見ることができます。

【代表作】
『半獣神の午後』『詩集』『サイコロの一振り』など。

↑こういった「よそ行き」の紹介文に書き添える事ではないけれど、冬好き、百合やアヤメ科大好き、ガーデニング大好き、また女性のブロンドの髪が神々しくて大好きだったそうです(^^)/


エドゥアール・マネが描いたマラルメの肖像画(1876)
オルセー美術館



💎 美のための美、詩のための詩


 一冊の、究極の『詩集』という名の詩集を編むことを目指し、韻文詩ではアクロバティックなまでに重層的な脚韻を踏まずにはいられず、またポーの詩論のように、言葉の響きへの徹底的なこだわりをも併せ持つ、まさに「詩のための詩」を刻もうとしました。

 「偶然を排する」というのは、おそらく、ひとつひとつの言葉をなぜそこに置いたか、を「説明」できるという意味なのだろうと思います。
 マラルメの詩は、意味を伝える詩である以上に、言葉の性質や機能を組み合わせ、"配合"する詩だったようです。

 たとえば、さまざまな位置に散りばめられた単語の音の響きを呼応させる。脚韻も、2音節分揃えるという一歩踏み込んだ押韻をしてみたり。(「バンヴィル風脚韻」とも呼ばれます。)

 また、フランス語の名詞は性別を持っていますが、脚韻がabba cddc effe ... の場合に、aとdとeに男性名詞、bとcとfに女性名詞を配置し、

・・・・・・・・・・・・(男性名詞)
・・・・・・・・・・・・(女性名詞)
・・・・・・・・・・・・(女性名詞)
・・・・・・・・・・・・(男性名詞)

・・・・・・・・・・・・(女性名詞)
・・・・・・・・・・・・(男性名詞)
・・・・・・・・・・・・(男性名詞)
・・・・・・・・・・・・(女性名詞)

・・・・・・・・・・・・(男性名詞)
・・・・・・・・・・・・(女性名詞)
・・・・・・・・・・・・(女性名詞)
・・・・・・・・・・・・(男性名詞)

[以下同様]



 ・・・と、名詞の性の並びが男女女男 女男男女 男女女男 ・・・ となるように配置することによって、恋愛詩では形式の上でも男女が包摂しあう様を示す・・・ような技巧も見られます。そもそもフランス語では、(英語とは違って)名詞の後に形容詞が来ることも多いので、行末を名詞で揃えるだけでも一苦労のはずなのに。
 驚異的にシステマティックでありたい左脳系の美を目指した方だったようです。まさに前衛ですね!

 ロラン=バルト(記号学)、ジャック・ラカン(精神分析)、レヴィ=ストロース(文化人類学)、ミシェル・フーコー(哲学)らが異分野から後に続いたというのも頷けます。その入口となったのが《詩人》だというところも、フランスらしいなあと思いつつ。

“Ce qui n'est pas clair n'est pas francais.”
(明晰ならざるものフランス語に非ず)

アントワーヌ・ド・リヴァロル(1753-1801)




 そして、彼が天頂に見上げた《美》は、なんだかずいぶん冷たくて峻厳な感じがします。友人宛に、「僕の〈詩句〉は、時として苦痛を与え・・・」とこぼしたくなる気持ちにもなるでしょう。
 マラルメのご苦労を偲んで、正座して読みたくなってきます·͜· ♡


 すごい、と感嘆する一方で、もともとの詩って、相聞歌だったり、恋人の窓の外で歌うマドリガーレだったり、そういうところから出発しているのでしょうから、こと詩作においては、マラルメ自身が、愛を忘れて美であることの恐怖におののくヴィーナス=エロディアード姫そのものにも思えてきます。





🌷 あとがき


 今回の記事を書くにあたって参照したのは、渡辺守章『マラルメ詩集』、Wikipedia🇫🇷/🇬🇧、ネット上の論文・・・などです。また、noter福田尚弘さんのポーの記事もあらためて読み直しました(おもしろいですよー)(^^)/


 まだざっとしかマラルメのことを知りませんが、『エロディアード』の周辺だと、ポーとバンヴィルの影響が濃いのかな、と思いました。

 どうやら、マラルメさんは"すごすぎてちゃんと翻訳し得ない"らしくて、「マラルメ学」は果てしなく奥深いようです。私のフランス語力だと逆に、技巧的なすごさがわからないので、でも、意味としてはこうですよね・・・? と、なんとなく訳せてしまうのですが・・・。
 ことばって、意味や音以外にもたくさんの情報を含んでいるなあ・・・と、あらためて意識を向けることができました。

 気になる詩もあるので、また挑戦してみようと思います。

🧸🧸


 昨年、フランス詩を翻訳してみよう!と思い立ったきっかけのひとつが、実はこの『エロディアード』だったのです。フランス詩の概説本で知りました。

 でも、フランス語をほとんど忘れかけていたので、ひとまず短い詩から・・・と、いくつか訳してみて、さてそろそろマラルメ...? と射程を定めつつ、その前にボードレールをひとつ訳して──見事に沼落ちしてしまったのでした・・・(-人-)

 今回、やっと少しだけエロディアードの世界を覗いてみて感じたのは、抽象的な意味での「美」に迫ろうとした人といえば、やっぱりマラルメだったのではないか、ということです。修験者的・・・詩に仕える修道士のような方ですから、きわめて美しく、時に幻想的でもあるのですが。


 でも、マラルメの沼にハマらない気がするのはなぜなんだろう・・・もちろん、詳しく知らないうちに断ずることはできませんが。


 ボードレールが「永遠」という言葉を使うとき、キリスト教の神様の影が見え隠れするのです。空を見上げるとき、それは神の居ます空であり、時に激しく反逆しつつも、それもまた神の存在あってのもの。

 もしボードレールが乙女なら(?)、川岸にたおやかに腰かけて、長い髪を傾けながら、「神さま・・・いる・・・いない・・・信じる・・・信じない・・・」と、花びらを1枚ずつ抜いては川に流す、その占いをずっと続けていそうな感じがします(恋占いじゃないところがポイント☝️)。死別した実のお父さまがもと司祭ですので、6歳😢まで一緒に過ごした間に、きっと神さまについてのお話を聞くことも多かったのではないかしらと想像しています。
 その、神さまをめぐって振り子のように揺れていた感覚が、ちょうど私の、キリスト教とのなんとも煮え切らない関係性に触媒のように作用して、ぴたりとはまったのではないか・・・と、あらためて噛みしめている今日この頃です。

 あっ。このままボードレールで終わるとおかしいので、最後にマラルメを引用しておきます(笑)


 わたしが言う、一輪の花! と。すると、声が消えればその輪郭も消える忘却の外で、具体的な花々とは違う何かが、音楽として立ち昇る、観念そのものにして甘美な、あらゆる花束には不在の花が。

『ディヴァガシオン』より「詩の危機」



 このような、「こう書くしか表しようがありません」という感覚、すごく響いてきます。澄んだお水みたいに、すっと入ってきました。
 ドビュッシーやポール・シニャックを思い浮かべつつ・・・。

 あくまでも私の(野暮な)解釈ですが・・・。絵画が視覚から、音楽が聴覚から生まれた、という切り口で、「じゃあ詩は何から生まれたの?」と問うとき、その答えのひとつは《声》であり《発話》である、と言えるのだそうです。マラルメのこの詩は、《発話から生まれ、花開いた観念の美としての詩》を表したのかなあ・・・と🤔



 ↓「サロメ」に興味のある方はこちらもどうぞ ·͜· ♡



↓フランス詩と文学関連の記事はこちらにまとめてあります。

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