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破またはQ: 心理屋が属性と名前を伏せて「当事者」として治療グループへ参加した話(2日目)

【お断り】
 今回の匿名かつ属性を伏せての参加は、治療グループの方針です。そのため、私一個人が他参加者を欺くためにしたことではなく、参加者全員の「安全の保護」「安心して場に居られる」ためのやり方のひとつです。
 また、治療グループは参加者の個人情報及びグループの治療性の保護のため、特定を防げるよう脚色してます。ご理解くだせえ。

スーパーイヌスキー(空腹)

 1日目で「これは患者としての自分でここにしがみつくしかない」と思ったイヌスキー。その日の夜は涙が止まらず、よくわかんないけど泣いて泣いて寝た。

 そして2日目。腫れぼったい目をしながらみんなに挨拶。昨日よりグループの緊張性が穏やかになっており、なんだか柔らかい雰囲気。自分が「腹を割る」と思えたからだろうか。


助ける-助かるは続くよどこまでも

 話の流れが「助けを受けること、与えること」という内容になった。リカバリーのプロセスではその相互関係が大事なんだそうな。

治療者の1人が「私、援助とか、助けるとか、そんな言葉大嫌いなの。何様なの?って対等じゃないんだもん」と。そして当事者が「私は『助けられる側・援助を受ける側』はあるけど『なにかを与えて助ける側』は想像できない、してきてない気がする」。

イヌスキー、意を決して声を挙げる。

「私は、ちょうどお二人の間なんですよね。患者でもあるし、治療をする側でもある。治療する側の『助ける』『援助する』って言うの私も大嫌いなんですよ。そこには見えない、そしてどうやっても上下関係みたいなのが出てくるし。そして、患者側の自分からすると、援助者側の『そこで生きていてくれるだけで私は助けられてるんだ』みたいな話もちげーよバーカってなるんすよね。
 でも、治療者も患者も正反対の人間かと言ったら違うと思う。同じ線の上に立つ、スペクトラムのどこかにいると言う感じ。完全なヘルシースーパーマッチョなんていないし。だから助け合うとか一旦置いておいて、『補い合う』『お互い様』的な感じがいい気がする

 シーーーン。

 おいなんか言えや。

 数分の沈黙後、当事者の参加者がこう話す。
 「なんか、与えてもらった人に、直接返そうとするから辛くなっちゃうのかな。スペクトラムなら尚更、一対一の関係で『助ける-助けを受ける』になるとしんどくなる。どうやったって例えば医者に何か返せるかって言うと返せないしね。じゃあ、自分と同じように悩んだり、苦しんだり、大変な人に、あの時助けてもらったように、同じように接して『助ける』ことができればそれでいいんじゃないかな。補い合うなら、尚更」。

そうか、私の世界は「あなたと私、部外者」じゃなくて、もっと神経回路みたいに点と点の私とあなたが「助ける-助かる」で繋がったら、他の点につながってまた「助ける-助かる」を繰り返せばいいんだ。

 「助ける-助かる」はそのセットで終わりじゃなくてどんどん展開して続いていくものなのか。そもそも、助ける-助かるがヒトの営みで、ヒトの文化であることを、すっかり忘れてたな。


「綺麗に話せば話すほど
誰かを傷つけてるんじゃないか」
私たちの泥臭く悩む権利

「こうやって、『助け合いはいいですよ』とか、『補い合いましょう』って、ほんとにその通りなんです。けど、こういう綺麗でまとまってて、誰かにとっての答えを言ってしまう時、私は誰かを傷つけないか不安になるんです」とある当事者が早口で語る。

「パートナーに相談された時『こうだよ』って答えた時、『あなたはすぐ正しい答えを言うから嫌。私がしっかり考えることをすぐとっちゃう』と言われて、すごく反省してて。大事なのはそこに答えはないけど、それでもグツグツ悩んでわかんねぇっていうのを誰かと一緒に泥臭くこねくりまわすことかもしれない

 気持ちがキツい時、辛くて不安な時、どうしても私たちはすぐ答えを欲してしまう。すぐ納得せずに吐き出してしまうのに。
 これはきっと、答えが欲しいのではなく『一緒に泥臭く悩んでわかんねぇ』ってやりあって欲しいってことを指してるのかもしれない。
 1日目の話と重なるが『泥臭く悩んで傷ついてすぐに言葉にできなくてうだうだする権利も、そこから、その泥から這いずり上がって、上がったぞー!という権利も誰からも奪われることはない』ことが大事だ。

 誰かにとっての素晴らしく美しく、綺麗な言葉は、その輝きと鋭利さで誰か傷つけて無力にさせてるかもしれない。言葉を職業道具として使う心理屋は、これを聞いて、どうすればいいんだろうか、でも、お腹からでるまとまりのない、心の喃語をとりあえず相手にぶつけてみるしかないのかも。もしかしたらそれが誰かの代弁になって、誰かを助けてるかもしれない。


「怒り」の次は
「ユーモアのステージ」

「泥臭く悩ませろ!」「リカバリーの中で傷ついてそこからまたリカバリーする権利を奪うな!」患者としての言葉にならない怒りはこういうことだったんだなぁと思い、治療者としては「患者の同意なしに治療方針を決めるな!」「勝手に主治医を変えるな!」「病棟のメシ不味すぎ!どうにかしろ!誰だってうまいもん食う権利あるわ!」と立場が上の人にもadvocacyしてブチギレている。

 でも、自分のためにはうまく怒れない。なんで怒ってんだ?って今さっきわかったレベルだ。なんで私、自分のために怒れないんだ?

 答えはすぐわかった。「怒りはテメーも傷つけるし、私も傷つく」からだ。

 こうやって権利を主張すること(私には怒りいという意味わかんないパワーが付随されるが)は、ぶん殴りと同じだ。相手との戦いだ。パンチが強ければ強いほど、相手もデカ目なダメージを負ってくれるが、よく見ると「わ、私の拳も…腕も…ダメになってる…」ということがある。
 ぶっちゃけさ、今の患者さんのためにブチ怒って権利を守るためにファイトして、ちゃんと権利が得られて守られるなら腕なんか1本くらいくれてやるって思うんだけど、そう言えば腕って2本しかないし、こういうやり方やってたらそのうち蹴りとかやって足も失う可能性があるわけですよ。
 自分のためにやるには、ストックもうないとか、そこまで頑張って得たいという気持ちも無くなってくるし(自分には価値がないというセッティングされた自己評価のせいもある)、ぶっちゃけ治療者という鎧を着てるから戦えるわけで、素っ裸では負け戦すぎるんですよ。

 という話を、たまたまお昼が一緒になったリーダーに話す。「わかるわかるwwwウッハハハwwww」リーダー、大爆笑。

 「リカバリーで、自分は生きててもいいんだって思えるのが最初の一歩で、そのためには助けを受けていいんだと思った後って、『じゃあもっと回復するために病んで手放したもの、返せ』とか『健康な人と同じ権利をくれ』と回復のために必要な主張ができるようになる。

 でもやり慣れてないから怒りというある意味プリミティブな形で出てくる。

 そこで!怒りだけだと、権利が得られるものも得にくくなるし、なんかめちゃ疲れるし、そういう主張した相手と毎日やっていく必要も出てくるでしょ。

 その怒りを包んで相手が飲みやすくするために、ユーモアっていいのよね。ユーモアに包んで小出しにするとかさ

 イヌスキー、スーパーつくくらい頭がいいので腑に落ちたぞ!「そうか、一度のパンチで100出すと相打ちになる可能性もあるけど、20とか10とか小出しにすれば5回とか10回とかたくさん相手を殴れるわけか!」

リーダー「違うから」

 アイゼンクか、心理学者の誰かが「自分の症状をユーモアとジョークで言えるようになったら、それは良くなったという証拠だ(ドチャクソうろ覚えニュアンスは伝われ文)」的なことを言ってのを思い出す。そして大学の恩師が「鬱で落ち込んで自責だけしていたクライエントが怒り始めたら、よっしゃあ、一歩いけた、と思う」というのも思い出した。

 エネルギーはただ使うだけじゃなく、自分にとっても相手にとても「ほどよい」形にコントロールできえうと、また一歩リカバリーを踏みしめることができるんだな。


「あの時助けてくれてありがとう」
「あなたみたいになりたい」

 治療的グループ研修の2日目が無事に終わり、1人で帰っていると、1日目に大号泣エピソードを話してくれた当事者から声をかけられ、一緒に帰ることになった。

 私のことを大切に考えながらたわいもない話をしてくれるこの人をみて、私はずっとずっと言いたかったことを意を決して伝えた。

あの時、涙を流しながら言うのが辛くなりながら自分の入院で感じたことを話してくれてありがとう。おかげで1人じゃないって気づいたの。あなたの声は私の声だった。ほんとにありがとう。『自分は助ける側になったことない』って言ってたけど、そんなことない、事実私は昨日助けられたんだよ。ありがとう

 そうすると、その当事者は

「あなたも当事者なんでしょ、治療者と当事者との両輪、すごいなぁ、私もそうなりたい。助ける側もやりたくて今修行中!あなたみたいに、なりたいなぁ

 もう患者として生きることも、患者と治療者というミックスの半端な感じも、それで色々世界を諦めてたのに、どうして認めてくれるんだろう。

「当事者だったら、絶対相手の気持ちや痛みがわかる素敵で強い、いい治療者になれるでしょ。いいよね、それってすごくいいよね」と言う。
「あなたも、きっといい治療者になれるよ、今も私なんか救われてしまったもん」と返し、別れた。

人は与えられたことしか人にも自分にもできない。こんな自分を「いいね、素敵ね」と認識されたとき、私は初めて病んでる自分も治療者の自分にも「いいね、素敵ね」と言えるのかもしれない。

 まだ、自分にも世界にも諦めたくないな。ちゃんと傷ついて癒されて主張して泥臭く自分の足で踏ん張りたい。


最終日(3日目)に続く!(to be continue…!)

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