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「多様性」を都合よく使わないで

ま、多様性だから…??

よく聞くようになった「多様性」という言葉。
この言葉を使うタイミングに引っかかることがあります。

私「相手に怒鳴られたんだけど、どうして怒っていたのかな?」
友「ま、多様性だから受け入れていきなよ。
私「???」

私は相手が怒っていた理由を一緒に考えたかったのです。なぜなら、怒鳴られた理由がわからなかったからです。理由を考える前に「多様性だから」という結論を言う友人の答えは予想外のものでした。

多様性だから受け入れるのは、なんだか違う気がして、
色々な理由を考えてそれを受け入れた結果、だから多様性だよね
ならわかるんです。

『誰が「働き方改革」を邪魔するのか』(光文社新書)は、ダイバーシティという日本が打ち出した多様化戦略がなぜ浸透しないのかに触れながら、「頑張りたくても頑張れない時代」を生き抜くヒントをつづっています。

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「右にならえ」を意識して受け入れているか?

 私たちはこれまで、みんながやっているのと同じように「右にならえ」方式でやってきた。(中略)
 右にならうことすべてがイケナイと言っているのではない。右にならうことが、私たちや企業に、相応のメリットをもたらしているのか?-そうしたことを意識したうえで、受け入れているのかどうかを問いかけたいわけである。

中村東吾『誰が「働き方改革」を邪魔するのか』(2017)光文社新書

先程の友人の発言は、みんなが言っているから受け入れるというような、「右にならえ」方式で多様性と言っているから違和感があったのだとわかりました。

もし"多様性"という言葉を会話に出したいのなら、
私「どうして怒っているのかな?」
友「こういう理由とか?」
私「なるほど、じゃあこうしたらよかったかな」
友「こういう会話ができるのが多様性っていうことだよね」

と、こんな内容だったら違和感がなかったのかも。(理想的すぎるかもしれませんが)

ダイバーシティを本気で加速させるためには「言わなければ」「話さなければ」正しい判断を下すことなどとうていできない。

中村東吾『誰が「働き方改革」を邪魔するのか』(2017)光文社新書

「多様性だよね」と言われると、言われた側はそれ以上踏み込めなくなる気がします。多様性をわかっている感を出しているけど、多様性を考える事から逃げているのではないか。

たくさんの話し合いを重ねて、もうこれ以上話すことがないぐらい相手のことを考えて、最後にぽつりと「多様性」と出るぐらいが多様性を語るにふさわしいのではないかと思えました。

「右にならえ」を徹底する罰則

日本の社会は、連帯責任により、グループ内の統率と期待値以上のアウト・プットを常に課し続きてきた。(中略)
「よくないこと」をすれば罰則が与えられるように構築された体制は、私たちが”いやがること””嫌うこと””不安をあおること”を巧みに組み入れた「右にならえ」を徹底するための鞭である。

中村東吾『誰が「働き方改革」を邪魔するのか』(2017)光文社新書

「右にならえ」が多様性の浸透を妨げていると著者は述べていましたが、その「右にならえ」は、連帯責任と罰則に慣れた日本人が無意識にやってしまうことだといいます。

自分は悪くないのに罰則を受けたこと、、。
思い返せばたくさんあります。小学校時代、掃除をしていない班のメンバーのせいで放課に掃除をさせられました。中学校時代、誰かの教室での過ごし方が悪かったせいで学年集会が開かれてお説教されました。

自分のせいで誰かが罰則を受けたら嫌だという不安感は常にあった気がします。今でも連帯責任を課されたら不安になると思います。

「右にならえ」の呪縛から逃れるには、「右にならえ」を植えつけてくるものに気づかなければならない。それに気づくには、それを教えてくれる人や本を見つけなければならない。

それにしても、「右にならえ」なものはほとんどが多数派なので、多様性を自然と受けいられるぐらいになるのは何十年後なんだろう。

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認めながら、認められる

お互いが許容し合い、見つけ出した財産を肯定し合いながら伸ばさなければ、多様な働き方は広がらない。

中村東吾『誰が「働き方改革」を邪魔するのか』(2017)光文社新書

今はまだ変革の途中だから、認められないことが多いけど

多様な働き方が広がった未来は、きっと優しい世界だ。

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ぶらっくこーひー * 読書
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