時織 / 30代女子。自信がなくても、シンプルに幸せに生きる

[30代。シンプルな幸せを、もがきながら、描く] 33歳で適応障害と診断されてからの[…

時織 / 30代女子。自信がなくても、シンプルに幸せに生きる

[30代。シンプルな幸せを、もがきながら、描く] 33歳で適応障害と診断されてからの[休み方]や[フリーランスのリアルな日常]を書き留めています。 30代は、思ったよりも息がしづらい。過去と、未来が交わる年だからなのかな。 そんなあなたが、ここでは、深く息が、できるように。

最近の記事

300円。何に使う?[#自分を大切にするチャレンジ]

33歳適応障害をきっかけに「自分を大切にする」を本気で考えた 33歳。 フリーランス2年目。 大きく稼げてはいないけれど なんとかかんとか2年が過ぎたときに 夏の終わりとともに告げられた [適応障害]という診断。 とにかく、とにかく身体も心も沈んでいくなかで 「自分のことを、本気で大切にしよう」 と、布団のなかで泣きながら決意しました。 適応障害のわたしの症状は? ・今まで気にならなかった小さなことがすごく気になる ・パートナーやこどもなど身近な人にイライラをぶつ

    • 頭の中で聞こえる「責める声」に負けないように

      頭の中でずっと自分を責めていた 33歳。フリーランス2年目。 「何屋さん?」と言われたら 「なんでも屋さん」と答えるくらい 頼まれたことなら、なんでもやってきました。 でも、ずっとずっと 頭の中では 「肩書きがないと売れない」 「なんでわかりやすく〇〇屋さんって言えないんだろう」 「成功者はもっと、もっとがんばってる。努力してる。」 「がんばれ!!」 そんな言葉がリピート再生。 壊れたレコードのように ずっと鳴り響く「自己否定」のオト。 10年以上一緒にいる夫から 「

      • 「あたりまえ」を慈しむ

        理想が高すぎて、苦しい。 33歳、フリーランス2年目。 自分で仕事をするようになって 「仕事」に対するハードルを、自分でとんでもなく高く設定していました。 朝から夜まで いつメールが来てもすぐに返さなきゃ 成功している人は 寝ないで働いてる。 寝ちゃだめだ 仕事の依頼が来たら 全部引き受けないと! 頼まれごとは試されごとっていうし! 周りの人たちから言われる 「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」 の言葉がまったく耳に入っていなかった私は、 とにかくハードルをあげて、

        • 「ふつう」という、呪い。

          適応障害になって家に帰りづらくなった 適応障害になった33歳・フリーランスの 日常を綴っています。 適応障害になって 私はなかなか家に帰れなくなりました。 外に出られない、ではなくて 家に帰れない、です。 なぜか? 家には6歳の、小学校1年生の息子と 64歳の夫の義母が一緒に暮らしています。 泣いたり、イライラする姿を どうしても見せたくなかったのです。 笑顔のお母さんで、いたいのだと この時ようやく気づきました。 嫌いだった父のことを、ふと思い出した そんな

          「がんばれ」よりもしんどかった言葉

          病院の予約がとれない 病院に行こう。 と思った時に一番驚いたのは 心療内科・精神科の予約のとりずらさだった。 はじめに電話したクリニックでは 「ご予約が取りづらくなっておりまして…」と。 「一番早くていつ予約がとれますか?」と聞くと 「一番早くて11月ですね…」 (電話した時は10月の初め) え、そんなに先なの? と衝撃を受けた。 4件目で予約がとれた 諦めずに電話をかけ続けて ようやく4件目で予約がとれた。 正直、身体も心もしんどい時に、 1ヶ月待つのは、過

          33歳。後厄。「適応障害」と診断されて、

          30代は、あの日の自分が思ったよりもオトナじゃない。 31歳からはじまる「厄年」 33歳でようやく厄が明ける、と思いきや なんと「適応障害」とやらになった。 はじまりは、夏の終わり。 その年の夏は、フリーランスになって2年目。 いただける仕事も増えてきて 睡眠時間は毎日2〜3時間。 周りからは 「やすめ」と散々言われ続けていたのに 休むのが怖かった私は とにかくとにかく働き続けて ある日、朝、身体が動かなくなった。 意識はあるのに、起き上がれない。 なんとか起き上