<ブルックリンから実況レポ>レイシストの汚名を着せられてしまった白人母子に有色人種夫婦が声をかけ続けてみた結果
今週末は娘が所属するバレーボールのクラブチームの試合でペンシルバニア州ランカスターに2泊3日の遠征。新調したJeepでの初のロードトリップとなったわけだが、いや〜Bluetoothってイイですね(苦笑)。主にNASの新曲を聞きつつ、同年代ラッパーたちの成長について思いを馳せながら雨の高速、片道3時間。
牛ふん堆肥の芳しい空気に包まれて、試合の合間に一瞬だけアーミッシュの女性たちが作るキルトショップに立ち寄ることもできた。
バレーボールの試合の方はいつもながら惨敗記録更新中。
それでも娘を含め去年からの持ち上がり組を中心とするチームの結束が固く、キラキラした青春がまぶしすぎて。自分がスポーツ少女だった時には勝ち負けにこだわりすぎていて全く見えていなかったものを見せてもらっている。子育ては自分育て、ってよく言われますけどね(誰に話しかけているんだ)。どうやら今年は末っ子ちゃんたちが集まっているチームのようで、そういう意味でも保護者の大半がまるで孫を見るような子育て達観目線なのか、「ユルさ」を楽しめる心境にあるというか。非常にリラックスした雰囲気。しかし、都会っ子(かつ弱小)チームの性なのか、ヘアメイクだけはいつもどのチームよりも完璧。
試合内容はさておき、今回は初めてほぼチームの全員+その保護者(コーチを除く)でディナーをした。今回はすべての家族がリーグ側に指定されたホテルに押し込められていたので、そのすぐ近所にあったチェーン系のステーキハウスにて。
マンハッタンからスタテンアイランドまでまたがる地域から集まる我がクラブチームの選手たちは、そのおよそ半数がキリスト教系の学校に通っている。あとは宗教色のない私立と公立の生徒が同じくらい。黒人とアジア人のハーフである娘の他に黒人女子1名。ユダヤ人女子1名。残りは白人(○○系、と詳しく説明しなくとも「白人」として生きる人々、という意味。移民ではない白人社会に溶け込みたくて仕方がないこじらせたアラブ系の叩き上げファミリーもいるがそれはまた別の話)。
たまたま娘が選んだチームの本拠地がブルックリンでも共和党支持者や警察・消防署系のブルーライブスマター野郎達の多い地域にあるという土地柄、保護者の雰囲気は私たち家族が慣れ親しんだ超リベラル地域のそれとは全然違う。もうちょっと庶民派というか。
北ブルックリンとは相容れない、独自の価値体系が確実に存在する。
イメージ的にはバーグドルフ・グッドマンとJCペニーの違いくらい。
より突っ込んでいうと、「スーパーボウルがある日曜日はもちろん練習は休みです!」とかの通達が来ても保護者からブーイングの出ないアメリカ~ンで大雑把な価値観。「その他の価値観」の存在を認識すらしていない感じ。そんなこと北ブルックリンでやったら「意識ひっくぅ〜」って笑われる。
そもそもブルックリンの南端まで練習に通うのは遠くて大変だし、我々のような異人種混合のダイバースな家族が出入りするには、このチームの本拠地から察する「人種的・政治的雰囲気」は息苦しいこと自明なので、当初は家や学校の近くかマンハッタンのクラブチームに参加してくれ、と頼んだくらいだった。そもそも娘が嫌な目に遭うんじゃないか、という懸念もあったし。
でも、北ブルックリンやマンハッタンのチームは今のチームよりも必要とされるコミットメントや技術的レベルが遥かに高く(D1レベルの大学でのプレイを希望する、スポーツ推薦を目指す選手と、ほぼ毎月行われる全米各地でのトーナメントに家族で飛行機移動も厭わないほどのコミットメントを確保できる財力のある家庭がたくさん)、練習の内容もハードコアなので娘は恐れをなしたのだろう。通いやすい地域のチームには見向きもしなかった。
弱めのチームに参加することで、試合でのプレイタイムを確保したかったのかもしれない。そういう意味ではとても現実的なチョイスではあった。
それに、Z世代は親世代の無知や不勉強を通り越してよっぽどしっかりしてるので、親が「ちょっとアレ(=レイシスト)」でも、子どもたちはその真逆だったりする「家庭内ねじれ現象」もあったりして、私達の世代の持つイメージだけで一概に決めつけることもできない。
去年から同じチームで持ち上がった家族もいるし、子どもたちが同じボールを追いかける姿を応援しているうちに何となく親同士も打ち解けてきたし、チームディナーをするにはこの上ないタイミングだった。
レストランでは、選手のテーブル、母親のテーブル、父親のテーブルときれいに分かれて親交を深めた。文化的な違和感を感じる場面は当然ありつつも、当たり障りのない無難な話をしながらつつがなくディナーは終了したが、ある母子だけが来ていなかった。
母子は去年のチームにもいたのだが、その娘が去年のチーム結成当初、他のチームメイトの聡明さに気づかず「うちの学校のある黒人女性教師が『BLM』と書いたTシャツを着て登校したのでクラスメイトや保護者が結集して学校に苦情を言い、その教師を停職に追い込んだ」と鼻息荒く報告する「レイシスト声明」でたちまち墓穴を掘ってしまったのだった。そんな「声明」はすぐに子どもたちを通して保護者にも伝わるから、試合の応援の席でもその母親が他の保護者に交じることはなく、誘われることもなく、「溝があって当然」のような雰囲気ができあがっていた。
その娘が通っているのは、聞いたことのない小さなミッション系の学校で、母親ときたら「議会を襲撃した夫や息子でもいそうな、MAGA帽被ったヒルビリー系」または「山奥で密造酒作りに勤しむムーンシャイナーの妻」と言われたら誰もが真っ先にイメージしそうなビジュアル。伸びっぱなしの髪、毛玉のついたヨレヨレの伸縮素材の上下セット、色々なものが乱雑に詰め込まれはちきれそうになっている、擦り切れた安っぽいバッグ。足元は汚れたクロックス。試合の合間の待ち時間は他の保護者と交わることもなく、古くて汚いミニバンに寄りかかってVAPEをモクモク吸っている。その娘にしても、他の女子たちが挙って着たがる旬なファッションやトレンドなどには見向きもしていなそうな感じで、これまた毛玉のついた、腿の上までめくれあがってしまう機能性の悪いスパッツの食い込みを引っ張り下げてばかりいる。
私は自分の娘から当初の「レイシスト声明」にまつわるドラマはもちろん聞いていたが、実は私はそのレイシストの娘を去年から一目置いていた。
体型や身長は明らかにバレーボール向きじゃないのに、とにかくものすごく熱心で根性があるのだ。誰よりもデカい声をはり上げ、誰よりも熱心にボールを追いかけ、コートを転げ回っている。昭和のスポ根母的には、チームにとってかけがえのないプレイヤーだ。チームメイトからは「人のボールまで取ってでしゃばりすぎ」と疎まれたり、ムラはあるものの、彼女が調子の良いときは強烈なジャンプサーブで連続得点し、チームの勝利に貢献してくれたことも何度もあった。
その巨漢の母親にしても、90年代に見たようなでっかいビデオカメラを頼りない三脚にくっつけ、どんな小さな練習試合も欠かさず録画している。
バレーボールという特技をアピールして大学から奨学金をもらうために娘の活躍する姿を撮り溜め、それを娘が編集して各大学のコーチ陣にアプローチしているのだ(注:スポーツ推薦で大学進学する場合の定番)。
娘のプロムドレスがどうのとか、パーティーのためのヘアアポイントメントがあるから次の週末の練習は休ませる、とか言ってる「LIVE LOVE LAUGH」系のハウスワイフ達とのおしゃべりもあまりピンとこないし(話題にのぼる俳優やセレブの名前がいちいち初耳)、私は試合を見るならベストポジションで見たいので、自然な流れで録画に夢中な巨漢ヒルビリー母の隣に座ることが何度か続いた。
スポーツに政治は持ち込まず、試合の時は別け隔てなく応援すべきという信条のもと、その娘にサーブの順が回ってくれば、彼女の名前を叫び、声援した。良いプレーを見せれば称賛し、試合が終われば労いの声をかけた。自分はスポ根かつチアリーダー経験者なもので、ついつい声援に力が入ってしまうというデフォルトの傾向はさておき。
当初の「驚きのレイシスト声明」にドン引きしたリベラルな白人保護者たちの方が、その母子との距離感はよっぽど「遠巻き」だし、見限っているのか、彼らがそのヒルビリー母と会話するところは見たことがない。意識の高い彼らにしてみれば、「同類」のレッテルを貼られることほど怖いことはないのだろう。そういう意見を聞いたこともある。
でも、私は特にBLM以降「don’t hate the players, hate the game(超訳:罪を憎んで人を憎まず=ある特殊なルールの元で行動するよう仕向けられている弱い立場にある人間ではなく、彼らがそうなってしまった根本的な原因=システムを憎め)」的な心境に達してしまったというか、そもそもの分断の原因は格差であり、環境のせいでマトモな教育を得られなかった人々を憎んでも意味がないと心底思っているので、その母子が直接的手段でこちらに憎悪むき出しの行為をしてこない限り、こちらから分断を助長する言動はしない。
俯瞰すれば、たとえば議会を襲撃したようなバカヤロー達は「もっと強大で遥かに邪悪なシステム」のコマにすぎないし、いつだって最前線で身体を張った戦いを強いられるのは弱者なのだ。「他の誰かのアジェンダ」を巧妙に刷り込まれた可哀想な操り人形なのだと思えば、愚かな彼らもまた犠牲者だ。同情はしないが、せめてこちらは冷静でいたい。
フラフラと安定しない巨大なビデオカメラとチープな三脚を抑えながら、隠れた位置にあるスコアボードを見るのに立ち上がる度に膝が痛い、と嘆く巨漢の彼女に代わりスコアを確認したり、予定されていた試合スケジュールに変更があったら教えてあげたりと、最低限のコミュニケーションを交わしつつ隣に座る時間が増えるうち、うちの娘にサーブが回ってきた時など、10回に1回くらいその母がとんちんかんな発音(注:娘の名前は日本語)で中途半端な声援をしてくれるようになった。とりあえず対外的には誰にでも優しいうちの旦那も、夫と死別したというその彼女(他の保護者が興味本位で彼女のFacebookをチェックしてみんなに教えてくれた情報)の荷物を持ってあげたり、ドアをおさえてあげたりしているうち、二言三言交わすようになっていた。
ここまで来るのに、昨シーズンの全て、つまり半年くらいはかかっていたはずだ。
そこに来て、この週末の遠征で、その母との会話の中で、彼女はうちの旦那の母校でもあるパークスロープの外れにあった某ミッション系の高校に「行きたくて仕方なかったが、親がどうしても行かせてくれなかった」ということが判明した。私はそこまで突っ込んだ会話などしたこともなかったのに、いきなり旦那がめっちゃカジュアルに彼女を「フツーの会話」に引きずり出したのだ。これまで見たことのないような情熱で、彼女はいかに自分がその高校への進学を諦めざるを得なかったことを結構な大人になるまで引きずり、恨めしく思っていたのかを語った。あの調子だと、今でもかなり引きずっている感じだ。
おかげで色々なことがつながった。経済的な理由なのか、なぜ彼女が希望する高校への進学を諦めなければならなかったのか、それはわからない。でもその母親の、娘への熱心なサポートを見て(バレーボール以外の、学業やアート系のカリキュラムでも娘は「校内で常にトップ」なのだそうだ)、彼女はきっと自分が叶わなかった人生を娘に託したいという、ごく普通の母心の持ち主なのだなあと、共感の気持ちすら芽生えた。レイシスト発言でうっかりチームメイトに嫌われてしまったその娘にしても、とりあえず自分の成功のために尽くしてくれている母親への感謝やリスペクトの度合いは他のドラ娘達の比じゃないというか、チャラめのチームメイト(うちの娘のことです)なんかよりずっと母想いなんじゃないの??と、うっかり嫉妬してしまいそうになるくらい母を慕っている。相変わらず彼女達から先に挨拶してくれることは無いのだが、こちらから声をかけると母子とも笑顔で答えてくれるまでにはなった。
「頬を打たれたらもう片方の頬を差し出せ」と言いたいわけではない。そんな変態趣味はない。
だけど、「罪を憎んで人を憎まず」の心境で、他の白人保護者たちが見限ったレイシスト母子に声をかけ続けた唯一の家族が、彼女たちがその無知や無教養により「嫌うよう仕向けられた」黒人とアジア人の有色人種カップルで、そこにほのかな共感が芽生え始めていることは特筆すべきじゃないか、と思った。
ひねくれた言い方をすれば、そういう「レイシズムの現場での地雷除去」を担っているのがヘイトされる側の有色人種、というこの構図は腹立たしくもあるが、ヒューマニティは減るもんでもないし。
私と旦那が「見限った」のはシステムであって、彼女たちじゃない。好きでもないけど、人としての最低限のリスペクトを見せ続けたら、流れが変わることもある、というのを実証できた手応えは大きい。
帰りのクルマでは、そんな手応えについて割と嬉しめに夫婦で話していたというのに、うちのドラ娘はエアポッドを両耳に差し込みTikTokばかり見ていた。いつものケースだが。レイシストと私達の分断より、娘との「分断」の方がよっぽど手強いんじゃなかろうか。。