書かない自分は生きてない、なんて言ってみる。
noteを始めてみた。
理由は特にない。
実のところ、最近まで、noteの存在をよく分かっていなかった。
時々ネットで見かけてはいたが、それが一体どんなサイトで、どんなことができるのかは全く理解しておらず、漠然と「何か訴えたい人が己の意見を書いて発表する場所」という認識だった。
というのも、たまに見かけるそれは、いつも「何かに対して」自分の考えを述べているものばかりだったからで、わざわざnoteという場所で語る意味がどこにあるのだろう、と感じていたからだ。
一度、ある方のnoteを読んだら、何だか諭すような、説教臭いような内容で、馴染めないと感じたせいもあるだろう。
多分それはたまたま私の好みではなかっただけで、全てがそういう類のものではない、と最近、気まぐれでいくつかのnoteを読んで気付いた。
私は料理が好きだ。
けれど、けして得意ではない。
子供の頃から家族のために夕飯を作り続けているから、それが当たり前みたいになっているし、嫌いじゃない。
noteでは、色々な人が様々なものを書いている。
その中に紛れ込んだおいしそうなもの、を知ってから、そうかこんなものもあるんだ、と目からうろこが落ちた。
料理好きな私なので、料理が好きで、得意な人たちのnoteを読むのは結構楽しい。
使い方すら分からずに登録してから、四苦八苦している。
とりあえず何か投稿してみたくて、一番手っ取り早そうなのは募集中のコンテストに参加することかな、と考えた。
何も分からないところから突然何かを考え生み出すよりも、テーマがあれば書きやすいと思ったから。
その中からいくつか、楽しそうなお題やテーマを見つけて書いてみた。
ひとつ書いたら楽しくなって、2つ、3つと書いてみた。
書くのは楽しい。
書くことが好きだ。
幼い頃から本が好きで、小学生になる頃には将来は小説家になりたいと思っていた。
10代から20代の初めにかけていくつかの新人賞に応募してみたけれど、全て一次選考通過どまりで最終に残ることはなかった。
今読み返すと、よくあんなものでいけると思ったのが不思議なくらいひどい作品ばかりだった。
結局私はそれを趣味に変え、それからは自分のためだけに書き続けた。
書いても書いても満たされず、膨大な量になったそれを、ある日全部消去する。
若い頃からPCは持っていたが、ネットにつないだのはここ10年足らずの間だ。
それまでは、どこにも行きようのない大量の創作物たちがファイルに溜め込まれ、一定期間ののちに消去されていくことを繰り返していた。
ネットをつなげてから、まずはブログを始めた。
あまりにも音信不通になる私に、生存確認できるようにして、と友人に怒られたのがきっかけだった。
その友人以外に、誰も私のブログの存在を知らない。
それがあまりに気楽で、この10年足らずの間、毎日毎日日記代わりに何かを書いた。もちろん今も、よほどのことがない限りは毎日更新している。
そのうち日々のことを書くだけでは我慢できなくなって、小説も書き始めた。
二次創作というものを知ったのもこの辺りで、一本書いたら止まらなくなってどんどんどんどん書き続けた。
誰にも読まれることなく消去されていくだけだったものは、いくつかのサイトで公開し、その作品数は、ブログと合わせればおそらく500近くになっただろう。
一人孤独に書き続けていたから、初めは誰がこんなものを読むのだろう、と思っていた。
それでも書きたい欲求は止まらずに、今も数を増やしている。
Twitterを始めてからは、孤独だった私にも何人かの繋がりができた。
私が書くものは、大衆向けではないし、きっとそんなに「刺さる」ものでもないだろう。
自分が書いて満足しているだけだから、とても自分勝手なものなのだろう。
それでも、数少ない人たちは私が書いたものを「好き」と言ってくれる。
それがとても嬉しかった。
書かないと死ぬ。
本気でそう思っている。
ブログは毎日更新する。
何事もない、ただの坦々とした日常。
こんなの読んでて楽しいのか、と疑問になるくらい平凡な日々。
けれどまあ、ただの日記だ、と考えるようになってからはそれすら気にしなくなった。
書きたいから書いている。
だって、書かなきゃ死んじゃう。
noteを始めてみた。
ただの気まぐれだ。
日々のことや、普段考えていることを書くだけなら、ひっそりやっているブログで充分だ。
けれど、欲が出た。
誰かが私の書いたものを読んでくれて、「なんだか分かる」と思ってくれるかもしれない。
まるで独り言。
そんなものが、いつか誰かに「刺さる」ことがあるかもしれない。
実は、未だにnoteの使い方は分かっていない。
どんなタグをつけたらいいのかすら理解できていない。
画像を貼り付けるだけで四苦八苦し、ようやくアイコンを設定できた。
3日くらい見ていたら、いい画像が見つかるまでと適当に選んだ写真だけど、私らしいかなとも思えてきた。
使い方がよく分かっていないから、検索が下手くそすぎて、目当てのものにたどり着かない。
「こういうの」が読みたかった、というものに出会えるととても嬉しくなる。
読んでいると幸せになって、うなずいたり、笑顔になったり、なんだかとても楽しい。
いつか私の書いたものも、そういう存在になれたらいい。
noteを始めてみた。
だって、書かないと死ぬ。
もちろん毎日何かを書いて投稿することなどできないと分かっている。
けれど、書きたいものを書いて、いつでも投稿できるこの場所がある、というだけで、結構救われる。
だから、noteを始めてみた。
書かない自分は生きてないから。
つまり、そんなお話。
了
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