
プロフェッショナルとは…。
先日、大橋純子さんが亡くなられました。
この訃報から、心の中に空洞が開いています。
今日の投稿は追悼の意を以て、また備忘として書き留めておきたいと思います。
私は、この大橋純子さんが好きでした。
典型的な日本人タイプの小柄なのに、
どこから出るかと思うほどのパンチのある声量。
綺麗な歌声でした。
ある時、雑誌の片隅の小さなコラムに目が止まりました。
大橋さんに何の興味もなかったら、
きっとこの小さなコラムに気づかなかったに違いない。
それは「プロフェッショナルとは?」と言うテーマで書かれていました。
大橋純子さんには、大ヒット曲がありました。
その曲のおかげで、一躍、大橋純子という名前が世に出るようになり、彼女の代表曲になりました。
しかし、いつまで経ってもその1曲が多くの人の脳裏に焼きついたまま。
新しい曲は、いつまでも影が薄いまま。
コンサートでは、結局この代表曲を歌わない訳にも行かず、
徐々に、その代表曲の存在が邪魔になって行ったと言う。
もう、この曲は歌いたくない。
封印したい。
こんな気持ちになっていたと言う。
この気持ち、ワカル!わかる!
私にも似た経験があるから。
時間がそこで停止してしまい、未来も成長も阻まれるようで。
私の過去が、私の未来の邪魔になる、この哀しさ。
ある時、ニューヨーク在住時、
大橋さんがポールマッカートニーのコンサートへ行った時のこと。
コンサートの最後、アンコールにビートルズ時代の「yesterday」が…。
そこでコンサートは最大の盛り上がりを見せたと言う。
多分、その地が日本であったとしても、同じように盛り上がったと思う。
ポールがビートルズ時代の曲を何の抵抗もなく歌う姿に、驚いたと書かれていた。
それから思ったこと、感じたことが綴られていた。
ポールはこの曲を歌えば必ずお客さんが喜んでくれることを知っていた。
お客さんが喜ぶ曲を歌って満足してもらうことこそがプロの仕事だと知っていた。
ポールは自分自身がプロフェッショナルであることを知っていた。
最大に喜んでもらえる曲は、何もポールマッカトニー&ウィングスの曲でなくても良いのだ。
ビートルズあってのポールなのだ。
それから、大橋純子さんは気持ちを込めて、その代表曲を歌えるようになったと言う内容だった。
プロフェッショナルとは…。
今でも仕事中、脳裏を過ぎるエピソードです。