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昨日、誕生日を迎えた友人がおり、特別な人の誕生日は自分にとっても特別な日だなと思いました。神がその人を通して私の人生にもたらしてくださった祝福を感謝すべき日ですから。そして、聖書を読みながら、友だちというものについていろいろと考えていました。 聖書には、友人関係について多く記されており、中でも有名なのは、この言葉でしょう。 クリスチャンになってからの人生を振り返ってみると、私が何らかの形で「倒れた」時には、友だちが必ずそばにいて、私を起き上がらせてくれたし、倒れないように
人生、思い通りにならないことは度々あります。「苦しい時の神頼み」で、普段は信仰心を持たなくても、そんな時だけ神にすがるという人もいることでしょう。 英語では、「好天時だけの信仰(fair-weather faith)」という言葉があり、それは、天気の良い時、つまり、物事がうまく行っている時だけ立派な信仰があるように見えるけれど、うまく行かなくなった途端に信仰が揺らいでしまうことを言います。 本当の信仰は苦しい時にも楽しい時にも神に頼り、天気の良い日にも悪い日にも神を信じる
私たちは生きていく上で、喜びばかりではなく、悲しみや嘆きも多く経験します。聖書の登場人物も同じで、中には信じられないほど深い悲しみを味わった人たちもいますが、そこには常に慰めと希望も見られます。 今回は、心が悲しみに包まれた時に思い出したい聖書の言葉をいくつか紹介したいと思います。 悲しい時には悲しんでもいい悲しみは人生の一部であり、悲しい時に泣き、嘆くのは、いたって正常なことです。いつも笑っていなくてはいけないとは、聖書に書かれていません。悲しいのに無理して笑顔を作るよ
私たちの多くは「人に迷惑をかけない」よう教えられて育ってきたと思いますが、ノートルダム清心学園の理事長を務めた渡辺和子さんは、「善きサマリア人のたとえ」(ルカ10:30-37)を持ち出して、私たちがさらに一歩進んだ行動をすることを勧めています。 これを読んで、「黄金律」とも呼ばれる、イエス・キリストの有名な言葉を思い出しました。 「自分がしてほしくないことは、人にもするな」から一歩進んで、積極的にお互いに親切な言葉をかけ、親切に接するなら、この世の中はもっと生きやすい場所
聖書には、慰めという言葉がたくさん出てきます。人生には苦しみ・悲しみをもたらす出来事が多く起こり、誰もがいつかは慰めや励ましを必要とするからでしょう。 そして、具体的な慰めの言葉もたくさんありますので、「慰めが必要だ」と思う時には、ぜひ聖書を開いていただきたいです。 あらゆる慰めに満ちた神聖書は、神が私たちを慰めたいと願う「慰めの神」であることを、何度も繰り返し語っています。 =「忍耐と慰めとの神」(ローマ15:5) =「うちしおれている者を慰める神」(2コリント7:6
孤独の原因や対処法はさまざまですが、悩みを打ち明けられる人がいると、それだけで気持ちが楽になることがあります。 政府が先月発表した「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和4年)」という報告書に、「不安や悩みを相談することへの感情」(複数回答)という項目がありました。 上位2位は、3位(10.5%)と大きく差をつけて、このようになっています。 「相談することで解決しなくとも気持ちが楽になる」(71.9%) 「相談することで解決できる、または解決の手掛かりが得られる」(5
社会運動家としても有名な伝道者、賀川豊彦は、「聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録である」と語りました。 誰かが数えてみたところ、聖書には叶えられた祈りが450件以上記されているそうです。それ以外にも祈りについての言及が多くあるので、祈りはクリスチャン生活の重要な部分であることがよくわかります。 そこで、祈りに関する聖書の言葉をいくつか紹介したいのですが、その前に、祈りはただの宗教儀式ではなく、天の父である神との会話であることを覚えていただけたらと思います。 親
新しいことに挑戦する時、重大な決断を下す時、リスクがあっても正しいことをしようとする時など、勇気が必要です。 そんな時に、一歩踏み出す勇気を与えてくれる聖書の言葉を紹介したいと思います。 確信と覚悟そうすべきだという確信が生まれたなら、覚悟を決め、「この決断には良い結果が伴う」と信じて、それに取り掛かるといいですね。 そのような決断を下さなければならない時、私はいつも祈って、それが正しい(あるいは間違っている)という確信を神からいただくようにしています。 自らを鼓舞す
友人が、最近読んだという新聞のコラムについて教えてくれました。 このコラムには、「人の身体は、転ばないようにではなく、うまく転ぶように作られていく」という言葉が紹介されており、さらに、「柔道でまずは受け身を習うように、感情を豊かで安定したものにするにも『感情の受け身』を習得することが大切だ」と書かれているそうです。 友人はそれを信仰生活に当てはめ、信仰を強く持つこととは、感情の受け身がうまくできており、かつ倒れたままではいないということなのだろうと話していました。 私は
体だけではなく、心も「疲れた~」と感じることは、きっと誰にでもあることでしょう。 仕事、人間関係、恋愛などがうまく行かなかったり、時間に余裕がなくてプレッシャーに追われたり、残業や介護や育児で疲れたり、あるいは、努力がなかなか結果となって現れなかったり・・。 そんな時に思い出すといい聖書の言葉を紹介したいと思います。 一人で重い荷物を負っているように感じる時、自分は一人ぼっちじゃないと思い出してください。 祈って、心の重荷を主にゆだねるなら、主はそれを代わりに、あるい
人間的に成長したいと考えることはあるでしょうか。それは、どのくらい本気でしょうか。 使徒ペテロは、このように書いています。 「成長しなさい」とペテロが言うのは、植物が育つのとは違い、人間の成長には自分の意志が大きく関わっているからです。 その意志があり、本気で成長したいと思う方のために、クリスチャンとして霊的に成長していくためのヒントとなる聖句を紹介します。 栄養(御言葉)と運動(実践)体の成長には栄養と運動が必要であるように、魂の成長には御言葉とその実践が必要です。
忍耐には様々な形があり、たとえば、他の人の過ちなどについて寛容であること(コロサイ3:13)もそうだし、困難な状況において諦めずに生き続けることもそうです。今回は、後者について、私の好きな聖書の言葉を紹介します。 忍耐は必ずしも一番大切なものではなく、我慢せずに声を上げたり、物事を変えようとしたりすべき時もありますが、ここでお話するのは「粘り強さ」「諦めずにがんばる」「最後までやりとおす」といったポジティブな忍耐についてです。 苦しみを通して忍耐を学ぶ忍耐で有名なヨブでさ
人生に困難はつきものであり、なかなか計算通りに行かないものです。 心は安心と平安を求めていても、人間関係、将来への不安、ストレス、孤独、失敗への恐れ、など、さまざまなことで思い煩い、悩み苦しんで、心の平静を失ってしまうことがあります。 そんな時に思い出したいのは、神は「愛と平和の神」であること(2コリント13:11)、そして人間は心の平和がないまま苦しみながら生きるように創造されたわけではないということです。 神やキリストが与える平安・平和について、聖書に多く書かれてい
失敗が好きな人はあまりいないと思いますが、失敗は生きている証拠です。 失敗したことを過度に後悔し、すっかり落ち込んでしまうなら、現在を台無しにし、進むべき未来に向かえなくなります。 そのような経験をした時、私にとって助けになった聖書の言葉をいくつか紹介したいと思います。 神はどう見ておられるか私たちは自分に厳しすぎる(あるいは甘すぎる)ことがありますが、神は私たちを正しく判断してくださいます。 もし、「自分はダメだ、何の価値もない」と感じるなら、神があなたについて語っ