勇気が必要な時に思い出したい聖書の言葉
新しいことに挑戦する時、重大な決断を下す時、リスクがあっても正しいことをしようとする時など、勇気が必要です。
そんな時に、一歩踏み出す勇気を与えてくれる聖書の言葉を紹介したいと思います。
確信と覚悟
そうすべきだという確信が生まれたなら、覚悟を決め、「この決断には良い結果が伴う」と信じて、それに取り掛かるといいですね。
そのような決断を下さなければならない時、私はいつも祈って、それが正しい(あるいは間違っている)という確信を神からいただくようにしています。
自らを鼓舞する
勇気が出るまで待っていないで、こうやって自分を奮い立たせるのも助けになります。
私たちの背中を押してくださる神
聖書の登場人物も私たちと同じで、よく尻込みしたり恐れたりしていたので、神は何度もこういった言葉をかけて、背中を押しておられます。
神が共にいてくださる
モーセは、こう言って後継者ヨシュアを励ましています。
これから何百万もの人のリーダーとなって、彼らを約束の地に導かなくてはならないということになれば、ヨシュアでなくとも、誰だって不安にかられ、恐れてしまうことでしょう。
モーセのこの言葉は、それまで40年間の荒野での放浪生活の間、神が彼を見捨てずに導いてくださったので、これからも同じようにヨシュアを導いてくださるという神への信頼に基づいています。
すでに世に勝った方
イエスは、まもなく新たなステージに入ることで不安を感じている弟子たちに、この言葉を語られました。
すでに勝利者である主が、聖霊を通して私たちを導いてくださるとわかれば、勇気が湧き、心に平安が訪れます。
神が味方
神は私たちを攻撃してくる人や問題よりもはるかに大きな方なので、神が味方であるなら恐れる必要はありません。
かのマルチン・ルターも、激しく攻撃される中で、この詩篇118篇によって勇気づけられていました。
将来に目を留める
神が用意しておられる将来の希望に目を留めて、勇気を得ましょう。
行動には報いがある
この報いは、神からいただいた信仰による確信を行動に移す時にもたらされます。
「重い皮膚病にかかった十人の人」がイエスに癒やしてくださいとお願いしたところ、ただ「祭司に体を見せなさい」とだけ言われました。
たしかに、その病気が治ったかどうかを判断するのは祭司の務めでしたが、まだ癒やされてもいない段階で祭司のもとへ行くのは、かなり勇気のいることだったと思われます。
それでも、イエスの言葉を信じて行動に出ると、その途中で彼らは癒やされました。(ルカ17:11-19)
期待していた結果が得られないとしても
「やらずに後悔するより、やって後悔せよ」という言葉がありますが、たとえ期待どおりにならなくても、そこから学べることはあるし、神には、私たちの失敗や間違った決断からでさえも、益を生まれさせる力があります。
それに、今は失敗に見えても、後になってから、それは成功への途上にある一つの段階に過ぎなかったことが判明するかもしれず、後悔の必要もないのかもしれません。
これらの聖書の言葉が、勇気を持って最初の一歩を踏む助けとなりますように。